見出し画像

爪の色相環は大団円

パソコン画面に文字を増やしていく作業に疲れ、窓を開けてベランダに出ようとすると、突然の強風で目が乾いた。ああもう少し、真っ青な空を見ていたかったのに。

慌てて窓を閉めて、両目を抑える。じんわり眼球が潤うまで待って、両手を離した。なんとなく、爪先を見た。

鮮やかなオレンジ色だ。両手の爪がオレンジ一色。朝からずっと。私の爪の色は毎日、朝になるとランダムに変わる。もちろん、マニキュアを塗っている訳ではない。数人の医者に診てもらったが、爪の病という訳でもないらしい。

床に座り込み、太陽の光に両手の指をかざす。オレンジ色の爪の光沢に、久々にときめく。筋金入りのインドア派。仕事でも家での独り作業がほとんどの私に、おしゃれする機会はほとんどない。

マニキュアの記憶は、学生時代に友達に一回塗ってもらった時の記憶のみ。除光液の独特の匂いがちょっと苦手でもあるから、自分でマニキュアを塗ろうと思ったことはない。

でも、顔を合わせるたびに爪の色がカラフルに変わっているものだから、知人や友人、親戚からはマニキュアが心底好きな人と思われている。ネイリストを目指しているのかと尋ねられたこともある。面白いので、あえて誤解されるままにした。

ごろりと寝転がり、オレンジ色の爪と、青い空の背景を眺める。昔は、大嫌いだったのに。爪がボロボロになるまで、泣きながら除光液で取ろうとしたこともあるのに。今は愛しい、爪の色彩。

腕を床に下ろし、晴天を見上げる。



最初に爪の色が変わったのは、大切な面接を受ける日の朝だった。いつまでも履き慣れないパンプスに悪戦苦闘しながら電車に乗り込み、座席に座って持ち慣れない就活用の鞄を膝の上で抱えた時、何となく爪先が気になった。

ちらりと右手の爪を見た時、「え」と思わず声を出し、注目を浴びてしまった。爪が銀色になっていたから。数十社の会社に落ち続けていた私が、やっと面接に臨めるという日だったから。

慌てて電車を降りて、ドラッグストアで除光液を買って、駅のトイレでひたすら爪先の銀色を落とそうとした。そして真っ青な顔で、荒れた手先を隠しながら面接会場に駆け込んだ。

結局、色は落ちず。面接には落ちて。爪の色だけで大きく動揺してしまった私が未熟だった。今はそう冷静に思える。でも、当時は全てを爪の色のせいにしてしまった。爪の色が毎日変わることを、憎んでしまった。



温かい光が身体全体を暖めてくれていて、眠くなってる。

色は光の電磁波だ。宇宙の果てには、その電磁波をほとんど完全に吸収してしまう星があるらしい。その星は真っ黒に見えるけれど、暗いだけなのだ。色を、光を吸収してしまうから、その星自体も本来の色を知らない。だれも、その星の本当の色を知ることはできない。

また両腕を上げて、今朝からオレンジ色を纏う爪を見る。私の奇妙な爪は、光を吸収するのではなく、反射させている。本当の色は何色なんだろう。光を吸収するために本来の色が不明な星と、本質的には同じなのかしら、なんて思う。当たる光を日替わりで、色として全て反射してしまう爪。カラフルに見えるけれど、本来の色は謎のまま。

ああでも、そうだとしたら、見えるもの全てが本来の色を隠していることになる。反射する光で物体の色を認識する私たちにとっては、そういうことになるのか。ん?何かおかしい。ん?やっぱりそうことになる?

「本当の、色、ね」

絡まった思考と腕全体の力を抜いて、ため息と一緒に独り言を放つ。投げ出した腕の先の、手の先端。強い光の中で、オレンジ色が白っぽく見えた。



この記事が参加している募集

お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。