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冬眠ミサンガの夢繋ぎ

目の前に、こんもりとドッグフードが盛られたエサ皿が置かれた。

君はしゃがんで、僕をぼーっと見つめてくる。いつもより多いけど、食べていいの?と視線で尋ねていると、君は顎が外れてしまうんじゃないかと心配になるくらいの、特大の欠伸をした。

寝ぼけている。まぁいいかと判断し、ご飯を食べ始める。11月に入ってから、君はずっと眠そうだ。


朝ご飯を食べ終わって、お気に入りのクッションの上でうとうとしていると、どこかに電話する君の声が聞こえてきた。

「……はい。3589番のカプセルです。準備するものは、いつもの通りですか?……はい。分かりました。じゃあ、明日から、よろしくお願いします」

ああ、君は明日、国立冬眠センターに行ってしまうのだ。春まで、もう君と会えない。寂しさがひたひたと忍び寄ってくる。

冬になると、君は冬眠用のカプセルの中で仮死状態になる。元の生活に戻れるのは3月頃から。冬眠が必要な体質なのだ。

冬眠する人はまだ珍しいらしい。しばしば、君から苦労話を聞かされる。

”クリスマスとかお正月とか、楽しいイベントは起きたら軒並み終わってるし。仕事を長期間休むから、やっぱり職場で肩身が狭いし”

”起きた後しばらく、身体中の関節が固くなるのが一番困る。腕も足も動かしにくくって。センターのお医者さんに聞いたらさ、たぶん死後硬直ですって。もうゾクッとしちゃうよ”

パタパタと忙しそうに家中を動き回る君を目線で追いながら、君が僕によく零す愚痴を思い出す。もうすっかり覚えてしまった。

「うん、寸法もぴったり。動きやすいし。やっぱり新しいパジャマ、買っといて正解だ」

寝室からパジャマ姿になってリビングに飛び出してきた君は、姿見の前で呟く。目新しい、ピカピカ光る白いパジャマ。カプセルの中で眠る君を想像する。眠ってるから、君は寂しくないだろう。でも、僕はとっても寂しくなる。

ハーネスを付けられて車に乗せられて、君の妹の家に到着して。君と玄関で別れる瞬間、僕は本当は悪い犬になりたい。暴れて、君にべったり張り付いて、冬眠させないようにしたい。

でも、僕は君にとっての良い犬でいたい。だから、いつも爆発しそうな感情を我慢して、遠ざかっていく君を見送っているのだ。

僕は体を起こして、君の太腿に前足をかけた。しゃがんだ君は、僕を抱き締めてくれる。

「今日も、良い感じに白くてもっふりしてるねピレちゃん。あ、今お揃い」

前足を君の肩にかけて寄りかかる。パジャマにもっと毛をつけてしまおう。そうすれば、明日、行かないでいてくれるかも。

「明日はピレちゃんも早起きしなくちゃね……。お、そうだ」

僕の前足を丁寧に下した君は、バタバタと寝室に行って、また戻ってきた。真っ青な紐を僕に見せてくれた。

「最近流行ってる、夢繋ぎっていうおまじない。夢の中で会えるように、同じ色のミサンガを作って贈り合うんだって。犬と人間でも効果があるのかは分かんないけど、試してみようかと思って」

首輪の上から、ミサンガという紐をくくりつけられる。

「私は眠ってるだけだから楽だけど、ピレちゃんは寂しいよね。帰ってくると跳ね回って喜んでくれるし、一日中離れなくなるから、寂しくさせてるんだろなって。ごめんね。だから、今回はせめて夢の中で会えるように、お揃いで編んでみたよ」

君が掲げた腕にも、同じ青のミサンガが結んであった。また、両腕で身体を包み込まれる。

「冬眠中はね、面白い夢が見られるんだよピレちゃん。でも寂しい。本当に、夢が繋がったらいいのに。ピレちゃんに、会えたらいいのに」




コポコポコポコポ……

どこからともなく聞こえてくる気泡の音が、楽しい。カラフルな熱帯魚の群れが目の前を横切って、頭上を大きなクジラが飛び越えていった。

お気に入りのクッションの上で寝ていたはずなのに、気付いたら海底に座っていた。根拠は無いけれど、何かが僕を迎えにくる気がする。

直感に従って、じっと待っていたら、右から大きな電車が走ってきた。僕の目の前でぴったり停まり、すっと扉が開く。戸惑いながら、誰もいない電車の中に乗り込んだ。座席に登って窓の外を覗く。

カタン、カタンと音を立てて、ゆっくり走る電車に揺られながら、僕は海底の景色に夢中になった。果てしない、群青色の世界。

しばらくしてから、遠くの方に人影が見えてきた。片腕を上げている。僕と同じように、電車を待っていたのだろう。

どんどん、僕はその人に近づく。光る白いパジャマと、青いミサンガがはっきり見えてきて、僕は尻尾を振るのを止められなくなった。


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