連作短編小説「次元潜水士」第10話「白鳥の歌」
西くんの潜水
次元潜水研究を手伝ってくれている境井さんと加納ちゃんとスイカを食べていた時、恩師の訃報が届いた。大好きなスイカも忘れてぼんやりとしていたら境井さんに変だと言われ、事情を話したら大慌てで礼服や数珠、葬儀場となっている恩師の家までの新幹線のチケットなどを準備してくれた。
いつもはクリアな頭の中が霧がかっている。葬儀当日もぼーっとしている僕を心配して、2人は駅まで付いてきてくれた。
電車とバスを乗り継いで、さらに山道をしばらく歩いてたどり着いた立派な日本家屋には、大勢の参列者が集まっていた。厳かな読経が終わった後は賑やかな宴会に変わった。下戸な僕はさりげなく宴席から離れる。体育座りで恩師、柏戸教授の遺影と向かい合った。なんだかまだ白昼夢を見ているようだ。
「父の教え子の西さん、ですよね?」
突然後ろから話しかけられてびっくりした。見覚えのある若い男性。さっき喪主の挨拶をしていた教授の息子さんだ。
「は、はい!西です。教授の息子さんですよね。本日はご愁傷さまで……」
「どうも。実は父から面白い教え子がいたってあなたのことをよく聞かされていまして。遺言にも西さんの名前があったんです」
「え……僕の名前が?」
在学中、柏戸教授には確かにお世話になった。研究室に入り浸って変な研究をしては失敗する僕を、海より広い心で見守ってくれた。行き詰まれば的確なアドバイスをくれた。教授がいなかったら、研究オタクで暴走しがちな僕は無事に卒業できなかったろう。ライフワークになっている次元潜水研究も、教授に勧められた次元研究から思い付いたのだ。
しかしお互いプライベートにはあまり深入りしなかったはず。遺言に僕の名前が出てくるとは寝耳に水だ。
「ええ。最後にして最高傑作の研究成果は、あなたに譲ると。遺言はそれだけでした。具体的には手書きの論文原稿と研究ノートが数冊になるのですが、どうか受け取っていただけませんか?何を考えているのか、いまいち分からない父でしたが最後の願いは叶えてやりたくて……」
「……分かりました。ありがたくいただきます」
僕の返事に固い表情を崩した息子さんは、教授そっくりだった。
帰りの新幹線の中で教授の最後の論文を読み始めた。地元の神社にまつわる伝承に関する論文のようだ。
夏の暑い日の午後5時、鳥居をくぐると異世界に行ってしまうというようなオカルトチックな言い伝え。その異世界には自分とそっくりな人間が必ずいる。その人間と会えなければ、元の世界に戻ってくることはできない。帰ってこれた者は奇妙な地図のような紙切れを握っているという。
まさか、と思いながら原稿用紙をめくると、参考資料として地図を写した写真が貼られていた。イアさんとリンさんが描いてくれた地図と似ている。驚いた。しばらく写真を眺めてから次のページに急いだ。教授の流れるような文字を目で追っていく。
”調査してみると、神社付近の村に不思議な地図を家宝として大切に保管している家がいくつもあった。もしも異世界が五次元世界だとすれば、この伝承は五次元世界に潜っていった人間が過去にいたことの記録になる。異次元へと渡る次元潜水という技術を実践するには、特殊な装備が必要不可欠である。しかし私の仮説が正しければ、生身のまま次元を渡る人間は一定数存在していたことになる。もしかすると、かつて人間には次元を渡る能力があったのではないか?と考えずにはおれない”
教授の残した言葉が強く僕を揺さぶる。次元潜水が、人間に元から備わっていた能力かもしれないなんて。まったく考えもしなかった。
物理学を研究していた柏戸教授は真面目な人ではあったものの、目ぼしい研究成果を残せず、ずっと他の教授たちから白い目で見られていた。僕の卒業後すぐに引退してしまい、以降は民俗学に夢中になっていたようで、もう物理学には興味がないのだと思っていた。大きな勘違いだった。一緒に次元研究をしてみないかと誘ってくれた時のままだったのだ、教授は。
論文の最後に「親愛なる教え子、西智晴に捧ぐ」と震える文字で書いてある。ぼろぼろと涙を流していると、「花火だ!」という歓声が上がった。窓を見れば、遠くで大輪の花火が咲いていた。
「こちら、柏戸教授の息子さん。こちらは僕の次元潜水研究を手伝ってくれている仲間たちです」
神社の前で待ち合わせした息子さんに皆で一斉に挨拶する。息子さんは口を開けて呆然とした。そりゃ驚くだろう。教授の地元の神社で夏祭りがあると聞いて、せっかくだから全員で遊びに行こうということになり、五次元世界で別の時間軸を生きる僕ら3人と地図描き師のイアさんとリンさん姉妹も次元潜水で連れてきたのだ。つまり今、藤野くん以外はそれぞれのそっくりさんとペアになっている状態。
「……あの、双子さん多いですね……」
「えっと……そ、そうなんですよ~珍しいでしょ?ははは」
「びっくりしました。4組の双子さんと一度に会えたことないので。はじめまして。よろしくお願いします」
「「よろしくお願いします」」
9人分の見事にユニゾンする返事に思わず笑ってしまう。
「西くん笑わないでよ。ふっふふふ。私も笑っちゃうじゃん」
境井さんから全員に笑いが伝わっていく。今日はみんな浴衣姿で新鮮だなぁなんて思っていると、背後で花火が打ち上がった。
「夏祭りの開催を知らせる花火です。この後は音楽に合わせて打ち上げる創作花火ショーがあるんです。今年は白鳥がテーマらしくて音楽は……」
大音量のクラシック曲が息子さんの声を書き消した。聞き馴染みがある。白鳥の湖だ。打ち上がる白銀の花火が優雅に咲いては消える。柏戸教授の声が耳の奥で再生された。
”西くん、白鳥の歌って言葉、知ってるかい?白鳥は死の間際に最も美しく鳴く。だから死の直前に最高傑作を残すっていう意味になったらしい。私も白鳥の歌を歌いたいんだ”
「西さん?大丈夫ですか?」
「泣いたりしてすみません、柏戸教授を思い出してしまって」
「……父は毎年この花火を楽しみにしてたんですよ。今、笑ってる気がします」
僕も教授のように誰かに白鳥の歌を残せるだろうか。白銀の火花が落ちていく間に、また白鳥たちが咲いていく。
●次元潜水士第9話「ブラックホール・スパゲッティ」
●次元潜水士第1話「次元潜水士」
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