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次元潜水士

あちらこちらの家が放つ夕飯の匂い。冴えた冷たい空気。コンビニバイトからの帰り道はいつも通り。しかし私の心の中はいつもより荒れていた。

今日、同世代の同僚が辞めた。音楽活動に専念するためらしい。プロになるという夢をきっと叶えると宣言して、笑顔で去っていった。私の人生に「夢」は無い。音楽が少し好きなだけ。流行りの曲を聴いて、時々カラオケで歌うくらいだ。

私、このままでいいのだろうか。就職活動に失敗してからずっと、具体的な目標が見つからない。渦巻く不安と焦りで身も心も冷えていく。もうすぐ狭い路地だ。警戒しなくては。考え事はポケットに入れておこう。

角を曲がって路地に入った時、驚いて足が止まった。珍妙な格好をした人が壁に寄りかかっていた。大きなヘルメットにシュノーケル。大きな足ヒレ。潜水服だろうか。近くに海や川は無いはずだが。

「はぁ、はぁ」

苦しそうな息遣いが心配になって、つい声をかけてしまった。

「あの、大丈夫ですか?」

「へ?あ、大丈夫大丈夫……ん?……あっ!」

潜水服姿の人は、私をじっと見つめたかと思えば、大きな声を上げてヘルメットとシュノーケルを乱暴に外した。現れた顔に、私も驚いた。

「……西君……?」

境井さかいさん!すごいすごい!わ~!そうそう、僕西だよ!どの次元でも、やっぱり僕たち再会するんだなぁ!やったー!」

小学校から中学校までずっと同じクラスだった西君だ。しかし、クールな子だったはず。私たち、そんなに親しくはなかったはず。偶然の再会で歓喜する西君に困惑していた。


寒さで思わず足踏みする。初冬の川の土手は、昼間でも寒い。再会してから西君と連絡を取り合うようになり、意外と話が弾んで、今日会うことになった。

西君は大学を出て研究所職員になったが、色々あってフリーの研究者になったらしい。今は「次元潜水」なるものを独りで研究している、と言っていた。昔から優秀だった西君は、やっぱり物凄い大学や研究所に進んでいた。高校を出てから何もできていない私とは雲泥の差だ。

「境井さん、お待たせ~!」リヤカーを引いてきた西君に驚く。

「……すごい荷物だね」

リヤカーには酸素ボンベや見たことのない機械、重そうな潜水服などが積まれていた。

「境井さんにも、次元潜水を体験してもらいたくて」

「へ?」

「五次元世界まで、ちょっと潜ってみない?」

にっと笑う西君に私は固まった。


フラフープのような機械の輪の中に穴が開いた。異次元空間に繋がっている穴、らしい。その穴に恐る恐る入ると、光源は頭のライトだけになった。先を行く西君に手を引っ張られて、深海のような空間を進む。ちらりと小鳥や蝶々が見えたが、気のせいだろう。

しばらくして西君が立ち止まり、腕に付けている機械を操作した。目の前の空間に、また大きな穴が開いた。抵抗むなしく穴に吸い込まれていく。

「境井さん、五次元に着いたよ!」

肩を揺さぶられて目を覚ませば、潜水服姿で原っぱに投げ出されていた。なんとか立ち上がり、西君に肩を支えてもらいながら歩く。身体が軽い。背中を見れば、酸素ボンベが無かった。よく見ると後方に並べて置いてある。

「酸素ボンベ、置いてくの?」

「うん。そのほうが、こっちの人も喜ぶし」

「どゆこと?」

「次元潜水で使う通路の出入口の位置は、毎回変えなくちゃいけないんだ。人がいない広い場所っていう条件でね。でも街中まで重いボンベは持ち歩けないし、帰りの通路ではボンベ必要ないし。どうしても空のボンベは不法投棄せざるを得なくて」

「……こっちの人たちは不法投棄を喜ぶの?」

「ははは、そんなわけない。僕の捨てたボンベをね、アート作品だと思ってる人たちがいるらしくて。謎のアーティストが気まぐれに残す現代アートだって、ちょっと騒がれてる」

「なるほど」

「最近はボンベを意味ありげに斜めに置いたり、ボンベの回りに石並べたりしてる」西君は意外とお調子者だった。

西君が現地調達してくれた服に着替え、潜水道具をコインロッカーに預けた後、街中を歩いた。やけに双子の人が多い。ついさっき見た人が、全く違う場所で全く違うことをしている。

「不思議でしょ。五次元世界には、複数の時間軸が重なってる。パラレルワールドの自分が当たり前にいる次元なんだ。双子は大体、同一人物」

「へ~……あっ!」

西君の説明に関心していた時、衝撃的なものを見てしまった。自分と西君が、路上ライブをしている。西君はバイオリン、私は何故かピアニカ。

演奏はあまり上手ではないが、結構な数のお客さんに囲まれている。満面の笑みでピアニカを吹き鳴らす私は、輝いていた。

「に、西君……あ、あれは」「別の時間軸の僕らだよ」

衝撃的な光景を前に、私は何も話せなくなった。西君も何も話さない。気付けば最初にいた原っぱに戻っていた。夕日が眩しい。西君は静かに口を開いた。

「……僕も最初は落ち込んだよ。五次元の自分が幸せそうだとさ、三次元の僕は間違えたのかなって、思うよな。でも僕は観察し続けた。別の時間軸の自分を。それで最近、妙な共通点を見つけたんだ。それが意外すぎて、面白すぎて、もやもやが吹き飛んだ」

「その共通点って?」

「境井さん、だよ」

「は?」

「境井さんが、必ず近くにいるんだ。はははっ、今の僕の隣にもいるなんて。研究をさらに進めるには助手が必要なんだけど、次元潜水は危険だからね。なかなか見つからない。もし良ければ、助手になってくれない?」

西君が差しだしてくれた右手を、私の左手は迷わず握った。



★おかげさまで続編が次々とできました~→「屋上にて門出」「地図描き師のパラレル」「カラビヤウな折り鶴」「揺らぐ海と次元」「喧嘩潜水士」「エウロパの海へ潜降」「四次元プリンター」「ブラックホール・スパゲッティ」


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