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ガラスに刻まれた綿毛の涙

まるっこくてふわふわとした生き物いきもの
ながいみみでいろいろなおとひろいます
今日きょうはタンポポの綿毛わたげのためいきでした

ウサギのポーちゃんを抱いたまま、図書館に入った。すぐに絵本コーナーに向かい、自分の絵本がしっかり並べられているのを確認する。安心してその場から離れようとした時、隣にいた人が私の絵本を手に取ってくれた。

自分が描いた絵本が読まれる瞬間を初めて目撃して、ドキドキする。熱心に読んでくれている青年の足元には、白い羽が生えた黒猫がいた。ポーちゃんを凝視してくるので、さりげなく隠す。

本棚には私の絵本がもう補充されている。さすが仮想世界の図書館だ。貸出中で目的の本が読めないなんてことはない。私も他の絵本を読んでいると、青年は受付コーナーに向かった。私の絵本を持ったまま。

「万歳っ!借りてくれたね」

「本当に自分の絵本って読まれてるんだ……感動だね……。よし、半分はポーちゃんのおかげだから、今日のモデル料は奮発しちゃうよ」

「ええっ!万歳っ!」

友人のウサギは今日も元気に喋る。

やわららかいおおわれた生き物いきもの
タンポポの綿毛わたげ友達ともだちになって
宇宙うちゅうんでいく約束やくそくをしました

次回作の絵本用の絵が完成した。絵具で汚れた筆と手を洗ってから、ポーちゃんにモデル料として人参スティックを渡す。クッションの上で置物のようにじっと横たわっていたポーちゃんは、人参を口元に運ぶと飛び跳ねた。すぐに両手で抱えて食べ始める。

「あっ高級な金時人参だ!おいしー!ありがとね」

「こっちこそ今日もありがと。良い絵が描けた」

アトリエの窓を開け放ち、窓辺に腰かけた。海から潮風が吹いてくる。人参をかじるポーちゃんを眺めていると、この仮想世界は奇妙なものだと改めて思う。

五次元光記憶という技術で、この世のほとんどすべてがデータベース化できたことで仮想世界は生まれた。アバターを持てば、誰でも世界中を自由に移動できる。さらに人工的に作られる感覚もリアルなので、観たり聴いたり食べたりといった体験もできる。人間たちが現実世界よりも仮想世界に夢中になるのは当然だったろう。制限の多い現実世界よりも仮想世界にいる時間が長いという人が、今では圧倒的に多い。

しかし仮想世界では最近、変な現象が増えている。動物の遺伝子情報がランダムに混ざってしまうという現象だ。生き物がいわゆるキメラになってしまうので、キメラ現象と呼ばれている。人間のアバターも例外ではない。自我を持ったまま、人間以外の動物に変化してしまうのだ。

一度変わってしまうと戻れない。アバターを作り直しても同じキメラ現象が起きてしまう。友人のアバターも随分前に変異し始め、ついにほとんどウサギになってしまった。まだ人間のように話せるが、いつか完全にウサギになってしまう気がする。

「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした」

食べ終わったポーちゃんは私の膝に飛び乗ってきた。

「ふー、気持ちいい風だ。この潮風も海も作り物なんて信じられないよねぇ」

「私はポーちゃんの今の姿のほうが信じられないよ。ウサギの身体だと不便じゃない?」

「慣れれば楽しいもんだよ。そうだ、海に行かない?」


ポーちゃんを抱いたまま、海に足を踏み入れた。素足に纏わりつく砂と冷たい海水が気持ちいい。見渡せば、大勢の人々が海での思い出を作っている。一年中遊べる海なので、いつもたくさんの海水浴客たちがいるのだ。もちろんキメラ化している人々も。ポーちゃんの顔を見る。ガラス玉のような瞳に海が映っていた。

「ポーちゃん、楽しい?」

「うん。やっぱり海はいいね。海は広いな大きいな~」

「ふふ、この広い海もデータとして、五次元光記憶に使われるガラスのチップに収まってると思うと不思議だよね」

「でも現実世界でも、目の前にあるものが本当に見えるままに存在しているのかどうか、確かめる方法なんて無いんだよ。現実も不思議じゃない?」

「ははは、確かに」

足先で海水を蹴ってみる。水しぶきが輝いて綺麗だ。

「……ポーちゃんのキメラ化も不思議だよね。電子化した生物の進化だって言ってる人もいるみたい」

「進化か退化か、はたまた別の何か。私はどれでもいいよ。言葉を持たないウサギだから、分かることだってあるだろうし」

「……ポーちゃん、私が小説家から空想絵本作家になったのはね、文字だけでは表現しきれないものがあるって気づいたからなんだ。零れ落ちちゃうの。それを絵にして、すくい上げたいと思ったの。もちろん文章にもこだわってるけど、一番大事にしているのは言語を持たない生き物も楽しめるようにっていうこと。いつかウサギになったポーちゃんも楽しめるようにって」

「……ありがと。もー、泣かせないでよ。まだ上手に涙が出せないんだから」

またポーちゃんの顔をのぞき込めば、瞳がうるうるしている。友人のウサギのポーちゃんはやはり可愛い。

それから100万年経まんねんたって
やっと約束やくそくかないました
綿わたのような友達同士ともだちどうし宇宙遊泳うちゅうゆうえい
ほんとうの宇宙うちゅうでなくたって
ほんとうのぼくたちじゃなくたって
やっぱりたのしいのでした



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