見出し画像

十六夜の糸の迷い

大きな姿見に、私の姿がくっきりと映っている。ついさっき、店員さんに渡されたワンピースを両手で持ち、戸惑っている私の姿。

強張った顔をしている。おしゃれな洋服屋さんに入るなんて、何年ぶりだろうか。緊張している私の顔をじっと見ていると、なんだか、他人顔のような気がしてくる。

「お待たせしました。よいしょ、っと。あれもいいんじゃないかしら、これもお似合いかも、なんて選んでたら、こんな量になってしまって」

こんもりと大量の洋服を抱えて、バックヤードから戻ってきた店員さんが、そばにあるテーブルに洋服を置いた。試着はすぐに済むと思っていたので、ちょっと不安になる。

「じゃあ、とりあえず全部、服の上から合わせてみましょうか。それで、いくつか良いものが見つかったら、それを試着していただいて」

全部試着するわけじゃないらしい。心底ほっとした。

「では、これから合わせましょうか。……どうです?」

細い円錐形の私の身体に、いくつもの曲線を描くステッチが入った、紺色のドレスが重なった。所々に、上品な青いフリルも付いている。

「わぁ……綺麗ですね、このステッチ……フリルも」

「お気に召していただけて良かった。これ、一番人気なんですよ。最近は曲線のデザインが人気で。生身の身体で生きるのが当たり前だった時代の、人間の姿に見せるっていう、流行りですね。 原点回帰的デザインとか、ルネッサンス・コーデとか言う人もいます」

「へぇ……そうなんですか。知らなかった。すみません、流行に疎いもので」

「いえいえ、いいんですよ。お好きなデザインの洋服を着るのが一番ですから。じゃあ、これは試着候補に入れましょう。次は……ちょっとシックなものにしましょうか。おばあ様とおじい様の大切な日に着る服ですものね」

私達の命はデータの蓄積だ。円錐形の金属容器が身体。私達は少し浮いたまま、どこにでも移動できる。子供という存在も、新しいデータとして残せる。愛することだって、できる。

技術的には、不老不死さえ可能だ。しかし、不死は望まない人が圧倒的に多い。もう十分に生きた、という境地に至った人は、技術者にスイッチをオフにしてもらって、人生の幕を閉じる。

私のおじいちゃんとおばあちゃんも、ついにその時が来た。二人同時に、スイッチをオフにしてもらうのだ。スイッチを切る瞬間を、家族は皆で見守る。その日に着る服を買いにきた。どんな服を着るべきなのだろうか。全く分からない。



試着候補が五着ほど決まった所で、試着室に通された。一着ずつ手渡される服を着ては、店員さんとあれこれ感想を言い合う。もう疲れながらも、四着目の服にとりかかった。

四着目のワンピースは、懐かしい雰囲気の白いコットンワンピースだ。縫い目が少し光っている。広げてみると、全体的に大理石のような透明感があった。とりあえず、着てみる。

「……着れましたー」

「はーい。あら、良い感じですね……うん、うん」

店員さんに全身をチェックされる。この瞬間が、一番気まずい。

「これは100点満点ですね。お客様は、どうでしょう?」

「私も、このワンピースが一番気に入りました。少し光沢があるから、特別な日に着ても違和感ないですし。どうして、こういう風に光るんですか?」

店員さんは、円錐形の身体の上に浮かぶ液晶画面の顔に、嬉しそうな表情を浮かべた。

「ああ嬉しい。私も好きなんです。このワンピース。特別な糸で織って、縫ったワンピースでしてね。だから光るのです。十六夜いざよいの糸という、月の欠片から紡いだ糸です。ああ、実物があるので、お持ちしましょう」

店員さんはすーっと、バックヤードに走っていった。そしてすぐ、戻ってきた。

「こちらが、その十六夜いざよいの糸です。半透明で、淡く光っていて、綺麗でしょう?」

円柱形の糸巻きに巻かれている十六夜いざよいの糸は、うっすらと黄色く、静かに光っていた。

「うわぁ……綺麗ですね。月の欠片、が糸になるんですね」

「控えめに光るから、躊躇ためらいの糸、とも呼ばれていますね。あの硬い月の欠片が、どうやって糸になっているのか、私も不思議です」

「躊躇いの糸……」

おじいちゃん、おばあちゃんは、来週にはこの世にいない。家族や友人のおかげで、もう、何の心配も未練も無いのだと言っていた。

あの言葉は、本当なのだろうか。躊躇わない、のだろうか。全てとの別れだ。私はきっと、スイッチをオフにする時、躊躇ってしまうだろう。家族との別れの場に臨むことにも、私は躊躇っているのだから。

「これに、します。きっと一番、今の私らしいから」

「……分かりました。では、お包みしますね。少々お待ちください」

店員さんはすーっと滑るように去っていく。また姿見を見た。液晶画面に映り、鏡に反射する私の暗い顔は、白いワンピースが放つ光で少し、明るく見えた。



この記事が参加している募集

お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。