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6号車にて天使のお通り

改札機の前の行列はどんどん進んでいく。早くこの出張用の重いスーツケースから解放されたい。仕事で酷使した足腰を新幹線の席で休ませたい。そろそろだ、と手の中の切符を確認した時だった。列が動かなくなった。

ピコーン、ピコーンというエラー音が響き渡る。

ちょうど私の前の3人組が慌て始めた。聞き馴染みのない言語だ。3人もスーツケースを持っている。初めて乗る新幹線で日本観光に繰りだそう、という雰囲気だ。3人とも若い。まだ10代なのかもしれない。

がくっときたが、パニック状態の初々しい若者たちが気の毒になった。自分も初めて新幹線に乗った時は改札で戸惑ったものだ。

「大丈夫大丈夫、落ち着いて。乗車券と特急券、あるでしょう。2枚重ねて入れればいいんですよ」

日本語通じるのかな、と言ってから不安になったが身振り手振りで通じたようで、3人はすぐに改札機をクリアできた。私も改札機を通り終えると、3人に物凄い大声でお礼を言われた。

びっくりして、ちょっと恥ずかしくて、会釈しただけで6号車のホームへ走ってしまった。ドアの前の列に並んでいる間に、ふつふつと嬉しさが湧いてくる。

グッドラックとか、良い旅をとか、言えばよかった。かっこいい去り際のセリフを使える絶好のチャンスだったのに。

開いたドアをくぐり、きょろきょろと自分の席を探す。2列席の窓際。見つけて安心し、スーツケースを先に置こうとしていた時、肩を叩かれた。横を見れば、あの3人が笑顔で立っていた。

「さっきはありがとうございました!もしかして、席ここですか?私たちここ、とここなんです」

私の隣の席と前の席を指差した若い男性は嬉しそうだ。ものすごい偶然に、私も笑ってしまう。


「最近覚えた言葉は『禍福かふくはあざなえる縄のごとし』です。ラッキーとアンラッキーはコインの裏表ってことですよね」

「へぇー。難しいことわざ知ってるんだね。意味も完璧。すごいよ」

前の席と向かい合った状態で、和やかな会話が続く。もふもふした質感の白い帽子を被っている女性、プリメラは嬉しそうにはにかんだ。プリメラの隣に座る赤毛の若い男性はセグンド。私の隣に座る黒髪のショートヘアの女性は、テルセーロという名前らしい。

幼馴染の3人は、留学のために日本に来たばかりだという。名前も快く教えてくれたけれど、年齢や出身国のことを聞くと押し黙った。色々事情があるのだろう。しつこくは聞かないつもりだが、やっぱり少し気になる。隣の席のテルセーロが興奮したように話し始めた。

「この前『ハレとケ』という考え方を学びました。日常生活や心の中に光と影がある。くっきりと2つを分けて、どちらも受け止めることでバランスを取る。柔軟で賢い考え方です。3人でなるほどーと感心しました」

「ああハレとケね。今はあんまり聞かないなぁ。でも晴れ着とか晴れの日とか、いくつかの言葉はしっかり受け継がれてる。日本人の意識の深い所には、まだハレとケっていう感覚が残ってるのかもね」

私の言葉に3人が頷いてくれた。そして沈黙が流れる。あれ。何か変なこと言ってしまったか。少し不安になっていると、セグンドがふふっと笑いだした。

「あ、ふふっすみません。今、天使が通ったなーって思って」

天使が通る?不思議に思っていると、2人もくすくすと笑いだした。異国で流行っている遊びなのか?

「ああ、ごめんなさい。何人かでお喋りしている時に、不意に突然、全員黙ってしまう時ってあるでしょう?その時のことをフランスでは『天使が通った』って表現するんです」

「そうなんだ。あ、もしかして3人はフランス出身だったり?」

また天使が通った。ああ、聞かないつもりだったのに。焦って質問を無かったことにしようとした時、プリメラが急に頭を下げた。

「あの、嘘をついてしまってごめんなさい。私たち、天使なんです。本物の。年齢は皆500歳くらいです。まだ未熟な天使なので、天界から降りて世界各地を回って、色々と勉強しているのです。あなたを騙したり、からかったりしているわけではありません。本当に天使なんです。信じてくださいますか。それと、どうか他の人には黙っていてくれますか」

他の2人にも頭を下げられて、困惑する。天界、天使。漫画かアニメの世界みたいだ。普段は笑い飛ばしてしまいそうな話。でも今まで話していた3人は真面目だったし、今はとても真剣な顔つきだ。

「……頭を上げて。謝らなくていいよ。私は信じるよ。君たちは天使みたいにいい子たちだから、本物の天使でもおかしくない。それに誰にも言ったりしない。約束するよ。天に誓う」

心底嬉しそうな顔で頭を上げた3人は、また大きい声でお礼を言ってきた。慌てて口の前に人差し指を立てる。天使たちの間をまた天使が通った。



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