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中空でリングワンダリング

まだ新人司書だった頃、薄暗い地下の閉架書庫で本を探していた時、背表紙が異様に光る本を見つけた。

本のタイトルも読み取れないほどの、まばゆい異様な光は、一生忘れられそうにない。恐ろしくなり、確認してもらおうと同僚を引っ張ってきたが、その時にはもう、光は消えていた。



脚立の上で、ひたすら返却された本を棚に戻していると、「ファントム・フラッシュ」という題名の本を見つけた。幻影の閃光。そのタイトルに釣られて、昔のオカルト体験を思い出してしまった。

頭を軽く振って、作業に集中する。

作業。新人だった時は、仕事は作業ではなかったはず。情愛のある司書を目指していた。気付けばルーティーンワークとなった仕事を、無機質にこなしてしまっている。

ため息が出た。

理想に近づこうとすればするほど、理想から離れてしまう歯痒はがゆさ。雑念を振り払って、返却図書の整理に戻る。旅に出ていた本を、あるべき場所に正確に帰すのは、司書として大切な仕事だ。

次の本の背表紙を確認する。「中空でリングワンダリング 上巻」。変わったタイトルだ。リングワンダリング。輪形彷徨りんけいほうこう?だったか。視界の悪い場所で迷うと、自然と円を描くように歩いてしまう、という意味だったはず。

何となく、背表紙を指で軽くなぞった時だった。

タイトルが一瞬光ったと思ったら、文字が、変わった。

”私の飛行船に、乗りたい?”

咄嗟に、本全体を確認した。背表紙以外は、全体的に青いシンプルな装丁のまま。本を開こうとしたが、接着されてしまったかのように開かない。

左右を見回す。誰もいない。五分ほど考えて、もう一度、試してみることにした。背表紙を、ゆっくりなぞる。

”成層圏を旋回する、つかの間の旅にご招待”

文字が光って消えると同時に、新しい文字が現れる。怖いような、楽しいような。心の奥をくすぐられているような。もう一度、なぞってみよう。

”現実世界の時間は止まるから、心配無いわ”

この背表紙の主は、女性なのだろうか?面白くなってきた。また、なぞってみる。

”誰も来てくれない。退屈なの。乗ってくださる?”

「ふふふ、乗ってみたい、かも」

思わず声が出た。なぞる。

”決まりね。私の未来を探して。そして、私と未来を重ねて”

未来?いきなり、なぞなぞ?もう一回、なぞってみよう。

”過去と未来が揃ったら、離陸よ”

特に強く文字が光る。またなぞってみると、元のタイトル、「中空でリングワンダリング 上巻」に戻ってしまった。いくらなぞっても、もう光る文字は出てこない。

過去と未来、重ねる……ヒントを心の中で呟きながら、答えを探す。中空でリングワンダリング、上巻。上巻があれば、下巻があるはず。未来。光る背表紙。

あ。

雷に打たれたような衝撃に突き動かされるように、急いで脚立から降り、本を持って閉架書庫目指して走る。

あの閉架書庫にあった、光る本だ。この本の、未来。下巻だったのだ。


息を切らしながら、地下の閉架書庫を彷徨さまよう。意外とすぐに、下巻が見つかった。背表紙同士が、呼応するように強く光り出したからだ。

息を整えてから、上下巻を慎重に重ね合わせる。瞬間、光の波が私を包んだ。





気付けば、リクライニングシートに座りながら、大きな窓を見つめていた。

窓の外には、成層圏から見下ろしたような景色が広がっている。見回すと、五~六人は乗れそうな広い座席が、ずらりと整列している。

もしかして本当に、飛行船の中……?

飛行船は、宇宙と地球の境目を滑るように飛んでいる。呆然と景色を見続けた。遠くに見える高い山の位置は、いつまで経ってもほぼ変わらない。この飛行船は、あの山を中心に旋回飛行しているのだろう。

”帰りたい時は、窓に星マークを書いてくださいまし。元の場所に、同じ時間にお帰しします”

目の前に、あの光る文字が現れて驚いた。窓にも現れた光る文字は、しばらくするとガラスに吸い込まれていき、また新しい文字が浮かんできた。

”……楽しい?”

少し迷ってから、窓に「楽しい」と指で書き記す。私の文字の跡も光って残り、少し経ってから消えた。

「今ね、心がおどってる。楽しい」

本の世界の底知れない不思議さで、こんなにも心が躍るなんて感覚は、何年ぶりだろう。本と出会ったばかりの、幼い頃に戻ったようだ。

目の前にまた、光の文字が浮かんできた。

”とても、嬉しい。私が光ったら、また来てくださる?”

「も、ち、ろん。必ず」再び返事を窓に指で記しながら、声に出す。

”万歳!”

すぐに帰ってきた返事に、笑ってしまった。



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