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心を開く

 この10月は、私の中で大変革が起きた月でした。

 幼いころ、多くの人は毎日に心を開いていたことでしょう。絵本の1ページをめくるような、わくわくする毎日に、まだ言葉もおぼつかない私たちは、自由画帳いっぱいの絵や工作、時には自作の歌などで自分の心を表現していました。そのころ、私たちは「今この時」に心を開いて、豊かな心の世界を生きていました(私の例では小学6年時までがそうです。特別支援学級にいたので、発達は多少遅れていたかもしれません)。

 しかし、義務教育の学年が上がるにつれて責任や役割をもつようになり、怒られることも多くなり、「今この時」に懸命な幼き日の心に帰って来ることが次第に難しくなっていきました(私の例では中学1年時から先がそうでした)。ふとした時に、今この時に戻って来れることはあります。しかし、果たすべき役割を遂行するため、またそこから出ていき、どこか自分ではないような自分を生きていました。

 やがて「今この時」は「現実」とその名を変え、私たちはいつの間にか現実に追われるように暮らしていました。「今この時」と心を通わせていたあのころは、何かを考えることがあれほど楽しかったのに、今の私たちは、「効率」や「生産性」「実益」や「損得」などを考えなくてはならなくなってしまい、どこか「もう考えたくない~!」と思ってしまうほど、考えることは大変なことになってしまいました。「小さいころは、何も考えなかったから楽しかった」そう思っても、「いや・・・でも、小さいころも何かを考えていたよな・・・。今思った『考える』とこの『考える』は何が違うんだろう???」と言うような思考がすぐに出てきて、どこか自分を見失ってしまったような虚しさが自分の心を覆ったのでした。

 毎日が輝くように楽しかったあの頃は、どこに行ってしまったんだろう?そう思っていました。

 しかし今月、私は漸く気づきました。楽しかった毎日は、自分が現実に心を閉ざしたことで消えてしまっていたのだと

 空は、太陽は、木々の緑は、幼かったあのころと変わらない、自然の姿で私たちを包んでいる。しかし、私たちは、増える役割や責任、迫りくる現実に適応して、心を閉ざしてしまっていた。もう大人だから、やることがあるから、恥ずかしいからと、すぐそばにある「今この時」とかかわることをやめてしまった。それにこだわっている限り、幼き日のあの感覚は、もう骨董品になってしまう!

 私は、この10月から、自分の精神状態や大人社会に対して持っていたマイナスのこだわりを捨て、「今この時」を本気で楽しむようにしました。いつか精神状態や大人社会に対する疑問が解ける日がくるかもしれない。しかし、その時に自分が年老いていて野原を全速力で走れなければ、自分は後悔するだろう。そう思い、ある意味でこだわりを放棄し、楽しめるのは今しかない、と言う考えの元で、様々なことにチャレンジするようにしました。私は、臆して閉ざしていた心を、現実に開くようにしてみました。自分が今まで我慢していたり躊躇していたりしていたことを、存分にやってみました。

 すると、見る見るうちに変化が起こってきました。心を閉ざしていたころは笑うことが嫌いだったのですが、そのような私が今では毎日のように笑えています。さらに、今までは判断に数分要していた物事も簡単に決断できるようになったり、それに伴って「やってみよう」と思った時にたいていのことはできるようになりました。つまり、行動力が高まりました。以前は、約2キロ離れた母の実家に歩いていくことは億劫でしたが、今は何かを取りに行きたい時などに、「あ、じゃあ行ってくるか」と歩いていけるようになりました。

 そして、どこか懐かしいような、あのわくわくする感覚を次第に感じるようになっていきました。毎日、歩数計をポケットに入れて1日が始まります。

 前日にいくら歩いても、また0歩から始まる歩数計に、「今日は何が待っているんだろう?」という思いを投影させて、最近は過ごしています。

 勉学も、以前は「分からない自分はダメだ」と思って学んでいましたが、最近はそう思うことはなく、「深く真髄を理解できるその時まで淡々と学ぼう」とゆったり構えて学べるようになりました。そのため、難易度が上がった東工大の授業を受ける中でも、不安定な心になることはなくなりました。

 そして、心に余裕ができてくると、自然と見えてくるある2つがありました。それは「奇跡と感謝」です。今日も美味しいご飯を食べられている奇跡や、私の目の前を飛んでいる蝶と出会えた奇跡など、様々なことを奇跡だととらえられるようになってきました。するとそれに対する「ありがとう」の念、すなわち感謝が自然と湧いてくるのです。つらかった現実に心を閉ざしていたころの、「感謝=申し訳ない」という発想とは真逆の考えが自分の頭から出てくることに驚いています。

 現実、自然、勉学、様々なものに心を開いた10月でした。ここまで心が落ち着き、毎日を楽しめている今の奇跡を味わい、そして、今ここでこの記事をこうして書けている奇跡や、この記事が誰かに届いた奇跡に感謝し、この記事を終わりたいと思います。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました!

    上京前の夕方に・ねこっち

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