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【7】第一章 眠れる境の探偵社 (7)ボッチ王子、東京駅に行く



 時生の頭の中は、その緑の革張りの本と心臓の鼓動で埋め尽くされた。女王が差し出したその本を、片膝をついて両手で捧げ持ちながら、震えが止まらない。「眠れるオーロラ姫を見つけだし、その呪いを解き明かす助けとして、王司にこの本を授けます」 女王は重々しく片手を本の上に添えそう告げた。 ああ、やっと――! 時生が本を自分の顔まで引き下ろした時、「でもねぇ、その本眠っているのよ」 と言う声と、『Sleeping眠っている Bookほん』 という題名が目に飛び込んできたのはほぼ同時だった。「え?」 と時生とタカフミが言うのもほぼ同時。二人が慌ててページを捲ると、どのページも真っ白だ。「私が先代から引き継いだ時からそうなの」「間違いなくこれが『眠りの書』なんですか?」「ええ。だってねぇ、聞いてごらんなさい」 女王が口に指を当てるので、二人が黙って耳を澄ますと……寝息が聞こえる。本の中から。「不思議な力が宿っているのは間違いないわねぇ」「そんなぁ……」 時生はその場に崩れ落ちた。天国の未来から一転、ずっとチビのままという地獄の現実。これ以上耐えられそうにない。「『眠りの呪い』を解く手がかりなんて、もう何も無いのに」 目の前が真っ暗になり、思考回路が切れかけたその時だった。「あら、手がかりならあるじゃない」 女王にそう言われてハッとした。「そうか、眠り姫だ!」 本よりも非現実的過ぎて選択肢から抹消してたが、あの子を見つければいい。「僕が持っていたあの半分の本――『眠りの報告書』のもう半分は、あの子が持ってるはず。僕のには呪いを解く方法はなかったけど、彼女のには載ってるかもしれないし」 そして、なんと言っても彼女の居場所は分かっている。「境の国村、僕が呪いをかけた場所。日本国だ!」「そうですよ、時生。希望を忘れずに。希望は何よりも強い武器。まわりを見てごらんなさい、あなたを狙う権力者がうじゃうじゃ」「え⁉︎ 僕狙われてるんですか?」「当たり前でしょう。世界一の巨万の富と不思議な力を手に入れといて、今更なんですか。皆んなあなたを取り込もうとそりゃもう必死。王に、大統領、首相、首席、CEO、悪魔……」「悪魔?」 時生は思わず、あのオーロラの渦の中で見た黒いものを思い出して総毛だった。「ああ違った、小鬼だわ。トムティットトット、ホント厄介ねぇ」 呆気にとられる時生とタカフミを尻目に、女王は入り口の前に立ち、肘を軽く持ち上げた。タカフミが慌ててエスコートに立つ。「ではタカフミを王子プリンスとして、時生を王司として宣言する事にしましょうか」 そして天蓋の外に立つ衛兵に声をかけ、入り口が開くまでの一瞬に、女王は誰にも気づかれない素早さで、見送る時生に囁いた。「本当はあなたも、姫とのキッスで呪いを解きたいんじゃないかしら?」  天蓋の中で二人に浴びせられる歓声をききながら、あの淑女レディの方が小鬼なんかよりよっぽど厄介だと時生は思う。どこまで本気かさっぱりわからない。悪戯っぽく笑うあの顔を思い出し、時生はつい苦々しく呟いた。「この姿で真実のキスなんて出来ないから、呪いを解きたいんだっつーの」 しかしどんなにお茶目でも、女王はやはり女王だ。周りの興奮が最高潮に達するなか、女王メアリは他の権力者を圧倒する威厳で宣言した。「オーロラ公国後見、イギリス国女王メアリはこのタカフミをオーロラ公国王子とみとめます。そして王司がオーロラ姫を見つけ出せますよう、神の祝福あらんことを!」 こうしてオーロラ公国ただ一人の国民、王司時生の、眠り姫を見つけるボッチ王子人生は幕を開けた。  と、思われたのだが――

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「あれからに来るまでまさかの3年ですよ、3年! 王子、ちゃんと聞いてます? あ、やっと僕の番だ。ちょっと待ってて下さい。えーと、ザラメ入りメープルワッフルを3……いや、5個! 下さい」
 ガラスケースの向こうでキラキラと甘い光沢を放つワッフル達。東京駅構内の人気店『サカイノワッフル』の行列に並んでいる時から、時生の目は釘付けだ。
「ここのメープルシロップはカナダ国のケベック州からも絶賛される、境の国村原産のものだけを使ってて、僕がどれだけこれを食べたかったか……。あ、違いますよ! 『ここに来るまで』の『ここ』はもちろん日本国の事であって、この店の事じゃ……あ、はいっ! ザラメ入り5個は僕です!」
 駅構内特有の少々背の高いショウケースと背中のバカデカいバックパックに阻まれながらも、両手を伸ばして受け取った紙の包みはホカホカと温かく、焼きたてのカリカリとした感触が指先に伝わってくる。何よりメープルシロップの甘苦い香りが堪らない。
「まずは腹ごしらえ! アツアツをいただきましょう。ね、王子!」
 だが、ウキウキと時生が見上げた先にいたのは――
「で、その王子様はどこにいるんです、お供のおチビさん?」
 およそ王子様とは程遠い、黒いスーツに身を包んだ痩せぎすの青白い男だった。時生は頭の中で浮かび上がった人物データを見る。どうやらこいつは宮内庁の裏方さんらしい。慌てて胴衣の下にワッフルを隠す時生を見て、男はため息をつく。
「その格好で見つからないとでも思ったんですか?」
 時生の格好はオーロラ公国の正装に背丈以上のバックパック。確かに、目立つ。その時――
「別に逃げていた訳ではないんです。お迎えがなかったもので、つい前から来たかった東京駅に自分達だけで来てしまって。本当に申し訳ありません」
 そう言って時生と男の間にフワリと割って入り一礼したのは、オーロラ公国の正装に身を包み、王子以外の何者でもないオーラを醸し出したタカフミだった。時生以上に目立つ。その証拠に時生達の周りには、いつの間にか人だかりが出来ている。
「それは貴方方が申請した専用機に乗っておられなかったから……!」
「そうなんです。何か手違いがあったようで。でも、こうして日本国の皆さんの優しさに触れる事が出来て、本当に良かった。案内ありがとう、可愛いプリンセス達!」
 タカフミがフワリと手を挙げると、周囲からキャーともギャーともつかない黄色い歓声が上がる。男は忌々しそうに周りに目を遣ると、部下なのだろう、同じく黒い男達に周囲を下がらせるよう指示を出した。
 その一瞬目が離れた隙。
「時生、床に空いてるスペースは何時の方角かな?」
 え? と思う間も無く、訓練の成果で道筋が光って見え、口が答える。
「10時5分の方角ですけど……」
「時生、カーリングは知ってるかな?」
「ええ、知ってますけど……」
「じゃあ大丈夫。両手を頭に載せて、顎上げて」
「あご?」
 と思った時には襟首と腰帯を掴まれ、時生は手と共にワッフルを頭の上に乗せ、腹這いになって人垣の脚の間を滑り抜けていた。そして
「アッツーーー!!!」
 摩擦の熱さで反射的に反転した時生の目に飛び込んで来たのは、百人はいるであろうその人垣の上を、軽々と飛び越えている華麗なタカフミの姿。
「走れ時生!」
 という声を脳が認識する頃には、バックパックを掴まれ引きずられている時生の目には、歓声の人垣を掻き分けもがく男達の小さな姿が映っていた。

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