見出し画像

【1】第一章 眠れる境の探偵社 (1)ボッチ王子、キスで死にかける



「オージのキスで呪いはとけるの?」
 ――あの子の声だ。あのメープルワッフルの匂いがする、小さな、小さな……。君は誰?

 ふと我に返った。ここは? 玄関だ、家の。
 帰って来たんだ、たぶん、学校から。
 それで、これは、何?
 王司時生おうじときおが手にした半冊の本。皮の背表紙から裂け、剥き出しになったページ。そこにあるのは、いわゆる、脅迫状だった。

〝記憶を無くした15歳の僕へ
 今日、僕は僕を呪った。
 眠りの呪いを解きたければ、僕が眠らせた『今日』を見つけ出せ。
 一つだけ言っておく。キスでも呪いは解けるけど、その時たぶん、僕は死ぬ。
 2012年4月8日 眠れる境の国村にて
 眠り姫に恋した15歳の僕より――〟

 それは見るからに曰くありげな本だった。見えているのは童話『眠り姫』の、王子が眠っている姫にキスするあの有名な場面の挿し絵で、絵の下には
 ――眠りの呪いは忘却の呪い。大切なものを眠らせ、忘れ去る――
 そんな言葉が刻まれていた。
「これは……」
 しばしの反芻の後、時生はこう判定を下した。
「眠り姫に恋した十五歳、……ダサっ」
 本を下駄箱の上に投げ出し、
「また誰かの嫌がらせかぁ。ホント日本国人てめんどくさ。ま、明日からイギリス国だからどうでもいいけどー」
 ゴミ箱にポイと投げ込むように一言吐き出す。だが、鼻歌混じりにリビングに入っていった時生は気づかなかった。もう一文、挿絵の縁に書かれている事に。
 〝追伸・うっかり死ぬのも嫌だし、キスにも呪いをかけておいた。これで死ぬ事はないはず。たぶん〟
 そしてその言葉の下にはまるでアンダーラインの様に、一本の矢が長々と描かれていた。
 
 ❄︎ ❄︎ ❄︎

 南極大陸の内陸部。晴れ渡った雪原の中。
 十八歳の王司時生は死んでこそいないが、今まさにクレバスの割れ目で死にかけていた。
「君、大丈夫? 腹筋よ! 腹筋に力入れて!」
「そ、そんなぁぁ、ムリですぅぅ……」
 割れ目の両淵に、チビながらも目一杯伸ばした手と足を引っ掛けて何とか生き延びてはいるが、腰鞄の本の重みで、真下の底無し空間にすぅっといざなわれそうになり
「ひあぁぁ……」
  自分で思うほどに情けない声が出た。すると
「君、本当にキスしようとしたら死にかけるのねぇ」「な、なんで知ってるんですかぁ!?」
 驚いて思わず腹筋に力が入る。
 そう言ったのは、人々がクレバス危険区域ロープの内側で見守る中、さっきからこの様子を時生の真後ろで撮影している、日本国のテレビクルーだ。
「君のキスのお相手、イギリス国BBCテレビのアンに聞いたの。呪われ王子がいるからちょっとからかってみるって」
「そういえば彼女は……」
 クレバスの深淵を見るしかない時生に
「遠巻きにこっち見てるわね。気まずそー」
 忖度無い報告が刺さる。
 アアサヨナラ、ボクノアサ。
 数分前。毎朝観ている美人キャスターに突然、『インタビューさせてね?』と横から顔を寄せられポーッとなった。それが運の尽きだった。
『ああ、眼鏡は外しましょうね』とあっさり眼鏡を外され、『あら、意外と可愛い』とキスされそうになった時生は、腰鞄の本がこう言うのを聞いて青ざめた。
『オージのキスでねむりの呪いはとけるの?』
 キスの呪いの発動合図だ。次の瞬間――
 アンが仕事で呼ばれ、『あ、はーい』と思わず突き飛ばされた時生は、大き過ぎる防寒ジャケットによろめき、クレバス危険区域ロープを越え、今に至る。
「見てないで、助けてくださいぃぃ」
「あらダメよ、私まで落ちたら大変じゃない。こう見えて二児の母なの」
「な、なら、そちらのカメラマンの方は……」
「ああ、コッチは私の夫。同じく二児の父だから、やっぱりダメ」
「よろしくな」
「そ、それじゃ、仕方ない、ですね」
 全くもって仕方なくないのだが、究極の緊張状態は人を変に冷静にさせるらしい。
「まあ今助けが来るはずだから、それまでインタビューさせてもらうね」
「こ、この状態でですかぁ?」
 やっぱりなんか違うんじゃないか? と思ったが、二児の母はバタバタと準備している音をピタリと止め、いきなり捲し立てた。
「あーのーねぇ、いい? 私達忙しいのよ! 謎の多かったオーロラ公国が南極に世界初の地下研究所を作った。それだけでもビッグニュースなのに、その公国が南極で王子募集ツアーなんてこの現代で前代未聞のことするから、世界中のメディアがもう大騒ぎ! 王子候補は四十人。何故かケルト人と日本国のハーフが唯一の条件。撮影許可は今日の完成披露レセプションとその後の王子予見イベントのみ。他の国のメディアは研究所撮影も王子候補のインタビューもガンガンしてるの。なのに少年が、あ、君の事ね、あわやクレバスに転落! なんてスクープ目の前で起こすから、こっちは撮るしかないじゃない」
「そ、そっか。お忙しいのにスミマセン」
 時生は自分でもおかしいと思うが謝った。
「じゃあOKね? では、君、イギリス国の高校では有名人なんだって? 自分がチビのまま大きくならないのは『眠りの呪い』のせいだって言って、呪いを解く為に誰彼かまわずキスを迫る、チビッコ王子」
「なっ!? 違いますっ!」
「あ、そうか違った。キスを迫った挙句に必ず死にそうになってキスある出来ない、未だ独りぼっちのチビボッチ王子、だった」
「チビチビ言わないで下さ、いっ……!?」
 瞬間、時生の体は宙を舞っていた。自分を見上げる大勢の人々が見える。口を開けてる人、スマホを構える人。気づけば雪の上、衝撃と舞い上がった雪で激しく咽こんでいた。そんな時生をよそに喝采があがり、
「遅いわよ王子候補ナンバーワン!」
「すみません。なかなか救出用のロープが見つからなくて」
 賞賛の中心にいたのはこのツアー一のイケメン、タカフミだった。爽やかイケメンと言うだけで全男子の敵なのに、それ以上に時生はどうしてもコイツが苦手だ。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

恋愛小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?