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【4】第一章 眠れる境の探偵社 (4)王子候補ナンバーワン




「――ゴメン。最近すごくイライラして……。その、怖がらせるつもりじゃなかったんだけど」
「お前……切った髪、手に持ってるのに……」
 タカフミが驚いたのは、時生が髪を切ったからではなかった。。時生の眼鏡と瞳は再び前髪に隠れていた。
「僕、映像記憶能力っていうの持ってるんだけどさ、一度だけ記憶を失くした時があって……。その時からその日の体のままなんだ。成長もしないし、怪我してもすぐ治る。こんなの、皆んな怖いだろ? 今はまだ若いから良いけど、僕が三十とか四十とかになってもこのままだったら……。もし、もし、もしだよ? これが不老不死、だとして、それが皆んなに知られたら、僕はどうなると思う? 僕が本当に不老不死だったら」
「それは……世間、というか世界がほっとかないだろうな。でも……」
「そう、世界はほっとかないだろう。でも……でもいつか、僕のまわりの人は誰もいなくなって、僕は君の言う『本物の』ボッチになるんだ」
「……」
 南極では吐く息が白くならない。それが余計に沈黙を痛く感じさせた。すると
「……どうやって解くんだよ?」
 目を逸らし、ブツブツと呟くように説明していた時生は、思わずタカフミを凝視した。不老不死という最強ワードを完無視して、まさかそんな事聞かれると思ってなかったから。慌ててあの本を差し出す。
「え、えっと、これ」
「何だコレ。眠り姫に恋した十五歳の僕……って」
「あーそれね、僕も思ったんだけど……」
「「ダサっ」」
 二人はハモって目を合わせると、同時に大爆笑した。時生の中から何かが抜けて軽くなった気がする。気づけば自然と口を開いていた。
「僕が眠らせた『今日』に関係するキーワードは多分、境の国村、眠り姫、眠りの呪い。境の国村は日本国の都市伝説で、眠りの呪いで封じられた村なんだ。僕はそこで自分に呪いをかけたらしい。でもそんなあるかどうかわからない村探せないし、眠り姫だって君の言う通りいるかどうかわからない。だからオーロラ公国の王子になった方が確実だって調べたんだ。王子になったらイギリス国が封印している『眠りの書』が授与される。それに眠りの呪いの解き方が書いてあるはずだから……」
「ふーん。そんな誰も知らない情報までよく調べあげてるな」
「父さんが民俗学者で、ずっと眠りの呪いをテーマに研究してて、僕もその手伝いをしてたんだ」
「よし、じゃあ、後は実行するのみだな」
「……え?」
「手伝ってやるよ。お前が王子になるの」
 時生は言葉の意味がわからず、口をポカンと開けてタカフミを見ていたが、
「で、お前は下を向いたままどこに行こうとしてたの?」
「え、えと、光の王冠の所で初めてオーロラを見ると予見が見れるって……」
「ホントかそれ? でも、ま、やるしかないか」
 とタカフミが王冠に向かって歩き出してようやく我に帰った。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 何で君が僕を手伝うんだよ? 関係ないだろ?」
「は? じゃあ聞くけど、お前こそ何でさっきのアレ、俺に見せたんだよ?」
 気づけばタカフミの口調が変わっている。君からお前。僕から俺へ。でも不思議と嫌じゃない。
「それは、イライラしてて、つい……」
「俺には、お前が『助けて』って言ってる様にしか見えなかったけど」
 ――助けて? 僕が?
「そ、そんな事言ってないだろ! 君の気のせいだ!」
「はいはい。あ、お前こそ、オレはさっきのアレ、怖がってなんか無いからな! 言っとくけどお前の気のせいだぞ! いいな! ほら、早く行くぞ」
 いつの間にか時生の本を手に駆け出したタカフミの後を、ペンギン達がパタパタついて行く。今度はタカフミの行進だ。その後ろ姿を見ながら、ふとジャケットの中の胸の辺りが熱を持った気がして、時生は手をそっと当てた。と、それは突然起こった――
 
 ロープ クレバス ペンギン 行進
 
 突如これらの言葉が頭の中で交錯し、時生の記憶からペンギンに関する記述の一ページが取り出された。『ペンギンが一列になって行進するのは被害を最小限にする為。先頭のペンギンが犠牲になる訳です』
 そしてもう一枚。取り出された映像記憶は、騒ぎが起きた時のロープの位置。光のシンボルを囲むように、すぐ側に張られていた。シンボルの位置は変わってないのに ――ロープの位置が遠くなってる。そしてそこにタカフミが近づいて
「誰かが落としたスマホ鳴ってる……」
「――タカフミ止まれ、クレバスだ!!」
 駆け出しながら叫んだが、声も手も届きそうにない。この走り方じゃダメだ。もっと速いのは――
 後日、この光景を見ていた人達からは
「某クルーズみたいだった」と言われたので、時生は彼を思い出していたのだろう。足の長さは全く違うけど。
 ペンギン達を追い越し、タカフミの片手を掴むと遠心力を使って自分と入れ替える。
――上手く行った!
 そう、そこまでは上手く行った。
 後はそのままその場に座り込むだけ!
 のはずが上手く回り過ぎて、遠心力とともに時生は宙に投げ出された。
 その目に飛び込んできたものは――
 紺碧の空一面に揺らめく、緑のオーロラ。舞い上がる雪。飛ばされる眼鏡。眠り姫にキスする王子の挿絵。すべてがゆっくりと流れ、すべての音が止まっている。その世界はまるで、死んでるみたいだ……。



――などと哲学的に思っていたはずなのに、時生はその緑のオーロラの帯が、耳をつんざく様なゴウゴウという音を立てて渦巻いている部屋の中にいた。
 骨董屋の様に、壁を埋め尽くす本や古めかしい物。大きな窓に重厚なカーテン。その前に置かれたどっしりとした書斎机の上には、何本もの鉄の状差しにメモ紙らしきものがびっしりと差してある。
 そう、そこは部屋だった。
 銀の手鏡、大きな砂時計、豪奢ごうしゃな鏡、天球儀、椅子、羽ペンにインク瓶、沢山の古い本や骨董品、そして状差しから飛ばされた無数の紙――それは捲り終わった日めくりだった――。様々な物がオーロラの帯に巻き上げられている。
 その渦の真ん中で、時生はまばゆい光を放つあの本を握りしめて立っていた。まだ一冊の本の姿だ。そしてその本の端を握るもう一組の小さな手。
「オージのキスでねむりの呪いはとけるの?」
 あの本の声だった。光が眩しいせいでよくは見えないが、小さな女の子が真剣な眼差しで時生を見上げていた。その彼女の足元では、ペンギンの様なお腹だけ真っ白の黒猫が毛を逆立てて、しきりにオーロラを威嚇している。いや、違う。 ねっとりとしたと目があった瞬間、時生は総毛だった。あれはダメだ。と、身体中の全てが告げている。しかし目の前の少女は毅然とこう言い放った。
「だいじょうぶ。あれは今はなにもできないから」
 

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