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田舎”いいところ”だけど、田舎には戻りたくない田舎者の話


コロナ禍前後から、地方への移住や田舎でのスローライフが話題になっているけれど、田舎出身で都内に出てきている自分は田舎に戻りたいとは思わないっていう話。
私の田舎は、家の裏は山で目の前は田園風景広がるのどかな農村地帯。最寄り駅は無人駅で電車も1時間に1本程度。過疎化が進み、小学校も統廃合され、コンビニがつぶれた後はソーラーパネルが設置されるような何の特徴もないただの田舎。

私が田舎を出た理由

もちろんその不便さが嫌で田舎を出たいと思ったのは理由の一部でもあるが、大学で本州の大学に行き、アメリカ留学までするほど遠くに行きたいとは幼いころは思っていなかった。
でも物心がついてくると、

『いい高校に行き、県内の国立大学に行き、地元の銀行か公務員になって、結婚して子供産んで、実家の近くに家を建てる』

という”田舎”の価値観に違和感を感じ、ずーっと同級生の顔を見て新たらしいことに触れずに老いて行くことに抵抗感を覚えたのが一番の理由だ。
誰が何をしてどうなったのか噂話をされる田舎の娯楽の一部には、どうしてもなりたくなかった。
もちろん、当時は”女の子”が県外に進学するなんて親不孝ぐらいに思われる環境だったが、ありがたいことにうちの両親は「好きなように生きたらいい」と県外の進学や留学も後押ししてくれた。のちの話を聞くと、私の両親も都会に行きたかったが、田舎の家庭の事情でそれが叶えられなかったから自分の子供には好きにさせてあげたかったらしい。

田舎を出てみてわかったこと

田舎を出てみてわかったことは3つある

  • 匿名性の中での生活は過ごしやすい

  • 人は「価値観」で集まっている

  • 田舎出身者は人生得してる

まず「匿名性の中での生活は過ごしやすい」は、多くの人が想像する通り近所づきあいのない世界では、私がどこの誰で、何をしているか何の興味も持っていないこと。田舎での○○さんとこの娘さんで××の高校行っているのよ!といった枕詞はなく、存在も見えているか見えていないかもわからない誰かになれることが、私にとって最大の自由に感じた。
人とのつながりが欲しくて田舎に移住するかたもいるかもしれないが、私にとって人との交流は大体のストレスの源なので、そういったたぐいのことがなくなるのは本当にありがたかった。

次に「人は価値観で集まってる」と感じたのは、大学で仲良くなる友人は同じように田舎から出てきた人たち、もともと関西に住んでいて関西の大学に進学した人はその人たちで仲良くなる。アメリカ人たちも表向きでは白人黒人やアジア人仲良くしている風だが、クラスが終わるとそれぞれの人種のコミュニティーで集まっている。そんな私も仲良くなったのは、インドやアジアからの留学生が多かった。現地のアメリカ人の学生とも仲良くなったが、彼女は他の現地の学生たちとは違い国際交流にすごく熱心なタイプの人種だったからだなと思う。
なので、幼いころに経験し培われた「価値観」が人を結びつけるのだなと感じた。
最後に「田舎出身者は人生得してる」というのは、新しいことや好奇心があるタイプの人たちにだけ言えることではあるが、ない→あるや0→1の経験がたくさんできるのである。
都内出身の友人はNYのタイムズスクエアに行って「東京の方が全然すごいから大したことなかった」と話していたが、田舎出身の私がタイムズスクエアに行ったときの衝撃は今でも覚えている。本当に映画の中にいるような街並みですべてが輝いて見えた。東京に引っ越してきた時もそうだ、電車の長さ、きらびやかな街、食べたことのない料理たちに心が踊らされた。田舎から出てみてよかったなと感じだ。

戻ったところで「居場所」はない

たまに帰省で田舎に帰ると、田舎もいいなぁと思うことは多々ある。ゆっくりと流れる時間、家の畑で野菜を収穫して料理して食べる。
でも何度考えても、田舎には「居場所」はない。中学からの友達のインスタに流れてくるのは、同級生同士で家族で集まりホームパーティーにBBQ。
今更、その輪の中に入って話すこともきっとないだろう。仕事も方言丸出しでしているイメージがつかない。
人が安心して過ごせるには「居場所」が必要だ。私が必要としている「居場所」当たり障りのない人間関係と興味にすぐにアクセスできる環境なのだ。

まとめ

色々ととりとめのない話を書いてしまったけど、私はだた「田舎の価値観」に合わないタイプの人間だったのだ。私が田舎を出たのは自分に合う環境に移動しただけだった。田舎がいいのも、都会がいいのも、それぞれの価値観。自分に合った場所で快適に過ごすのが一番ですね。


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