いつかの、遠くの雨を思い出した。

私はその時学生で、
一人暮らしをしていた。
させてもらっていたと
言い換えるべきなのか、
とよぎるが良い。

一人暮らしをしていた。

大学では英語を学んでいて、
その学びの向こうには
スウェーデン語があった。

スウェーデンを知りたい、
そんな気持ちしかなく、
同時に人へ関わる事に複雑な
思いを抱えていた頃で。
いつも、
あたたかな想いや情熱の下に
粘度の高い感情の寄せ集めが
じんわりと沈澱していることを
無意識に感じて、持て余していた。

今は活用法もわかったので、
それも立派な財なのだけれど
またそれは別の時に綴ることとする。

とにかく、当時の私は
華やかさと鬱屈さを彷徨いている、
彷徨かされているような感覚で、
毎日の中に刺激を探していた。

新しいお店や、映画、食べ物、
人間関係、音楽、諸々。

思えば、手持ち花火をかき集め
それに火をつけ、燃え盛っている時間だけを
至福と呼ぶような、
そんな感覚の中で生きていた気がする。

今は、その光景を
長く深く味わう術を得たのだけど。

ともかく、手持ち花火を探していて、
つけ続けるような感覚に意識が向いていた。

そして話は雨に戻る。

その日は曇りで、雨の匂いがしていた。
日課の散歩に出かけようと、
トレーニングウェアに着替えて
道に繰り出す。
いつもの散歩道の中腹部まで差し掛かった時、
ぽつり、と大きな雨粒が頭上を打った。

雨だ、と思う間もなく
粒は次々と首元、肩、腕、
空から見える範囲を穿つように打っていく。

私はその中で、
半分どこかにいるような気持ちで、
雨を感覚を味わっていた。

雨だ。今、雨に打たれている。

心地よかった。
雨だ、雨だ、沈殿する感覚に届くような、
全部を流し落としてくれるような
そんな雨だ。

そんな感覚を、
言葉にする前の感情のまま
味わっていた気がする。

帰り道の中で見た自動販売機も
雨に濡れていた。
木々も、看板も、道も。
水滴を纏って、
その部分だけが元の輪郭よりも
外側に出ていて、
溶け出すように光っていた。

私も同じだった。
腕に雨粒が乗っていて、
その部分がきらきらと反射していた。

心地よかった。
火をつけて爆ぜるような華美さはないけれど、
あるものに即した煌めく輝きがあった。

私は大手を振って歩いた。
非常に心地よい散歩道だった。
反射する水達が、
辺りの光を方々に散らし続けていて、
目の中が宝石に変わったみたいだった。

美しかった。
そんな雨を思い出した。

今日はどんな天気に成るだろうか。
横目に見つつ、手元を動かす事にする。
どうかよきひを。

追伸)
雨に濡れて進んだ帰り道。
あまりにずぶ濡れだったので、
通りすがりのご婦人が
車を停めて声をかけてくれた。

あなた、ずぶ濡れじゃない。
ちょっと、おうちまで送らせてちょうだいな!

線の細い、しかし目に凛としたものが宿る
そんな女性だった。

綺麗な人だなぁ、と思い
やっぱりいい雨だ、とお言葉に甘えて
車内に寄せさせてもらった。

事情を話すと、
“変わってる人ね”と笑われたのだけど、
この後風邪を引かなければそれでいいわよ、
とコロコロと笑っていた。

私も笑った。
あの時車内から見たガラス越しの雨粒も、
何だか煌めく宝石のようで。

沈殿した感情はいつのまにか
色とりどりの鮮やかさ、
水槽の底を照らすガラス玉の様なものに
変わっていた。

了。


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