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10分歩く所から始めたこと

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私の住んでいる地域は、だいぶ、朝晩は、冷えてきまして、夜、コンビニに出かけた時、少し肌寒さを感じました。
皆さまは、いかがお過ごしでしょうか。

話し方や声のリハビリをしたことは以前お伝えしたのですが、
歩く練習をしたときのことを今回はお伝えいたしたいと思います。

線維筋痛症という病気も、個人差が凄くあるので、
私の場合はこうだった、というふうに、
聞いていただけたらと思います。
当時、
頭はガンガンするし、座っていたら、
椅子に触っているおしりの部分や腰が痛い。
寝ていても、布団と触れている部分が体重で痛い。
立っていても、足の裏が痛い。
点字ブロックなんかを踏んだら、もっと痛い。
そんな感じでした。
それで、最初、病院に行くのにタクシーを使わざるを得なかったのですが、
経済的にタクシー通院を続けるのは無理なので、
歩けなくなったら、治療を諦めるしか無くなってしまう状況でした。

病院の待合室でも、
座っていられず、
かといって立っていても
足が痛いので
壁に額を両手で覆い隠すように寄りかかって
――だるまさんが転んだの鬼
をやるような姿勢といったらいいでしょうか――

腕と足に少しだけ体重がかかるように

できるだけ重みがかかる力と面積を減らして、
耐えていたこともあります。

悪循環が重なり、筋力も無くなり、
ほかの病気を併発して、
完全に寝たきりになって、
ようやく公的な助成が得られるようになった人の話を、
聞いたことがあります。

そういう状態になる前に何とかしたいと思いました。
それで、5分立っている練習をしたのですが、
疲労と痛みで続かない。

そんな時に、以前、どこかで聞いた
瀬戸内寂聴さんの話を思い出したのです。
あの方は、本当に強い方ですが、
92歳で、ガンを患い、その闘病中に圧迫骨折にもなってしまったのです。

「私は、本当にノーテンキな人間で、憂鬱なことなんか、一つなかったんだけど、
この時は、鬱になってしまって『このままだったら、本当に死ぬ』と思って、庭に出たんです」
と寂聴さんは、そんなふうな意味のことを言っていたのです。

庭に出たことで、流れが変わったと。結局、寂聴さんは、そこから復活され、作品も書くようになり、99歳まで生きられました。

このままだったら、死にはしないかもしれないけれど、
激痛で動けない上に、睡眠不足と疲労で、だんだん精神もおかしくなっていくに違いない。
そういう状態に陥るのは耐えられない「動けるうちに自死するか」、それとも「背水の陣で何かをやるか」と考えました。
凄く悩んだあげく『今さら何を失うことがあるか』と思ったのです。
それで、外に出て歩く練習を始めようと思いました。

冬だったので、早朝、体を風呂で温めて、カイロを体に8枚くらい貼って、歩き出しました。

最初、歩数で歩く距離を調整しようとしたのですが、
そろそろ歩いてしまうせいらしく、歩いても歩数計でカウントされなくて、
困ってしまいました。
それならば、時間で区切ろうと思ったのですが、
今度は、疲労と精神症状で、時間の計算ができない。
もともと苦手だったのが、さらに簡単な計算すらできなくなりました。

認知症の検査で、70から逆に数えていくとか、
運動しながら、計算をするというものがありますが、
リハビリの運動中に、ふつうに1から数えているだけなのに、
回数が途中でわからなくなる。そんな感じでした。

それで、時計を見て、5分後、これくらいなら理解できましたので、歩いたら経ったら戻れば、たぶん、約10分になるはず。ということで、10分から歩き始めました。
最初は、きつくかった。
でも、だんだん、12分で折り返し、13分で折り返し、20分、25分と増やしていったのですが、別の問題が出てきました。

足首も痛くて、かけ布団の重さに負けて、痛みを生じていたし、
膝も痛かったのですが、それが、さらに悪化したのです。

それで、いろいろ考えて、以前、お話したことがあるのですが、自転車に乗れないかと考えて、自転車でリハビリをするようになったのですが、
そのことについて、次回、もう少し詳しくお話しようかと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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