軽いノリで話す関係は苦手だった
■
夜中に目が覚めました。
ちょっと、腰が痛くて、それが、何日も続いていました。
不安でした。
そういう時、昨日、文章を書いたのですが、
いかにも、痛みで疲れてイライラしているのを
必死に抑えながら書いている雰囲気が出ていました。
そして、どこか、人間に対する希望を失っている感じの文章だったので、
削除しました。
やっぱり、底に絶望や怒りが流れている文章は、
よくないと思ったのです。
■
孤独で緊張感が多くなると、どうなるか。
体の症状の一つを言えば、私は、おならが出なくなりました。
そして、お腹がパンパンに膨れて、
ウエストが、大きくなった。
それと、あくびが出なくなりました。
心身がゆるまないと、あくびが出ない。
常に、体が痛くて臨戦態勢みたいに
なってたからかもしれません。
お腹もガスを出す薬を使ったり、
運動を増やしたりしました。
主治医が言うには、お腹にガスが溜まると、
脳は、それを出さなければと、興奮し
私のような病気の場合は、よくないのだそうです。
脳腸相関というそうですが、
いろんなことがあるのですね。
■
何がいいたかったかというと、なにしろ対人緊張が凄かったのです。
いわゆる対人恐怖というのとも違うんです。
アプローチしたいし、うまくやりたいのだけど、
頭が回らなくて、コミュニケーション能力が落ちてるのを無理にやってるから、
えらく緊張した感じになる。
一つだけ、恨み言を言うなら、
能力が落ちようが何しようが、
自分で人間関係をこじ開けるような頑張り方をしないと
しようがなかった。
状況が悪化していっても誰も助けてくれない。
こういうことを助けるということを、
他人ないし家族がするというのは難しいとは思いますが。
このままじゃ、どんどん自分がダメになると思って、
ラジオ番組のリスナーや、植物の分野、音声配信の分野、
シナリオ制作の分野、などに
進出した話は以前しました。
■
でも、「体が痛いわ、頭が回らないわ」という状態で、
人と親しく交流するのは、とても辛かった。
辛かったけれど、あとがない。
長年の辛い闘病は、私の根っこの精神的な所も、おかしくしていました。
何度も書いたテーマですが「絶望」が基本になってしまった。
「絶望」が自分の根っこに染みついてしまったにしても、
人生を諦めるわけにもいかず、
なんとか、打開しなくちゃいけない。
そんなに不安と緊張を抱えてたら
人間関係も、物凄く硬い雰囲気になってしまう。
親しくなって、ちょっとふざけるとか、そんなことができない。
■
「泣き叫びたい子ども」が、
無理やり感情を押し込めて
ふり落とされないようにしながら、
人と交流する。
そんな感じ。
「痛いとか苦しい」とか、そういうことを言い過ぎると、
人は離れていきます。
だから、そっちも話すけど、
できるだけ見捨てられないように
みんなにも、わかるような話題を持ってくる。
■
そんな感じだと、どうしても敬語を話していて、
感情を抑えた話し方になります。
感情を抑えすぎると、なんかぎこちなくなる。
親戚からも、自分の辛い話をしているのに、
「まるで医者が、自分の患者の診断を述べてるみたいだ」
と言われたことがあります。
「痛い・苦しい」という言葉で、半狂乱になって
人間関係が、もっと無くなってしまうのを、
必死で抑えていたから、
そんな言い方になってたのかもしれないと思います。
家族に「辛い話」を話し過ぎてね。
受け止めきれなくなったのだと思いますが、
「聞いてあげられる、ロボットがいればいいのにね」
と言われて、ああ、言い過ぎてる、ダメだなって、
思ったのを覚えてます。
とても辛かったし悲しかった。
けど、でも、どうしようもないことを、
延々と言われるのは、言われる方も辛いのは、
わかったので、何か、別のことを考えるしかないと思ったのを
覚えています。
痛いとか苦しいとかを、家族に言い過ぎても、
人間関係が悪化することはあっても、
良くなることもない。
何か、自分で何か考えないと。
■
そういういろいろで、
人間関係に対する態度が、滅茶苦茶硬くなっていった。
みんな、結構、親しくなったりすると、
ふざけたり、気安く呼んだり、そういう事をするんですよね。
そういうふうな事ができなかった。
■
でも、ある方と知り合って、とても明るいし
突き抜けた感じの方で、
Vtuberもされててね。
それを聞きに行ったりしました。
気安く「〇〇ちゃん」とか、私のことを言ってくれて
何年も、下手すると、10年以上、
そういう呼ばれ方をしたことがありませんでした。
それから、そういうVtuberの場所だから、
明るいしみんな気安い会話をしている。
それでも、
私は、なかなか、敬語ばかりで、堅苦しい話ばかりしていました。
でも、だんだん、あまりにもずうずうしくなり過ぎない感じで、
くだけた事が言えるようになってきた。
■
奇妙な場所で、そのVtuberさんの所に集まって来ている人たちは、
相当な変わり者だったのです。
あるとき、割合内輪の人ばかりの時「ヤバイ経験の話」というのを、みんなが話し始めたんです。
まあ、今、親しい人ばっかりだから、そういう話もいいよねと。
相当な、ちょっと、ここで書けないようなことを話していました。
ぶっ飛んだことだったり、ちょっと暴力的なことであったり、
でも、それをはねのける強さとか、
あと、感動したのは「差別しないようにしてる」って言ってたことでした。
「人の趣味に対して、偏見を持っていたことがあった。
でも、今度は、自分の趣味に対して偏見を持たれたことがあった。
どっかしら、人間、差別はあるものだけど、
できるだけ、そういうことしたくない」と。
なぜか、強烈な体験をして、それをはねのけてきた人が多かった。
はねのけるというより、根性が座っていて、
子どもの時から、それを跳ね返す強さがあった。
私も、できるだけライトなヤバイ経験を話しました。
私もいろいろあったからな……
(でも、彼らみたいに、根性座ってなくて、
私は、おろおろし続けた人生でしたが)
「なんだ、ここヤバイ奴ばっかりじゃん」って、
笑いあいました。
でも、なんだか、
ああ、この人たちは、詰まらないことで、たじろがないし、
他人の生き方を、否定しない賢さや強さ、優しさを
持ってるのかなあと、感じました。
ちょっと、綺麗な言い方過ぎるかもしれませんが、
敢えて言葉にすると、そんな感じです。
そういうことがあったから、
本当に久しぶりに、
私も徐々に安心して、ふざけた言葉をつかったりできるようになりました。
まあ、そんなこともあるんだなというふうに聞いてくだされば幸いです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?