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軽いノリで話す関係は苦手だった

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夜中に目が覚めました。
ちょっと、腰が痛くて、それが、何日も続いていました。
不安でした。
そういう時、昨日、文章を書いたのですが、
いかにも、痛みで疲れてイライラしているのを
必死に抑えながら書いている雰囲気が出ていました。
そして、どこか、人間に対する希望を失っている感じの文章だったので、
削除しました。
やっぱり、底に絶望や怒りが流れている文章は、
よくないと思ったのです。

孤独で緊張感が多くなると、どうなるか。
体の症状の一つを言えば、私は、おならが出なくなりました。
そして、お腹がパンパンに膨れて、
ウエストが、大きくなった。
それと、あくびが出なくなりました。
心身がゆるまないと、あくびが出ない。
常に、体が痛くて臨戦態勢みたいに
なってたからかもしれません。
お腹もガスを出す薬を使ったり、
運動を増やしたりしました。
主治医が言うには、お腹にガスが溜まると、
脳は、それを出さなければと、興奮し
私のような病気の場合は、よくないのだそうです。
脳腸相関というそうですが、
いろんなことがあるのですね。

何がいいたかったかというと、なにしろ対人緊張が凄かったのです。
いわゆる対人恐怖というのとも違うんです。
アプローチしたいし、うまくやりたいのだけど、
頭が回らなくて、コミュニケーション能力が落ちてるのを無理にやってるから、
えらく緊張した感じになる。
一つだけ、恨み言を言うなら、
能力が落ちようが何しようが、
自分で人間関係をこじ開けるような頑張り方をしないと
しようがなかった。
状況が悪化していっても誰も助けてくれない。
こういうことを助けるということを、
他人ないし家族がするというのは難しいとは思いますが。

このままじゃ、どんどん自分がダメになると思って、
ラジオ番組のリスナーや、植物の分野、音声配信の分野、
シナリオ制作の分野、などに
進出した話は以前しました。

でも、「体が痛いわ、頭が回らないわ」という状態で、
人と親しく交流するのは、とても辛かった。
辛かったけれど、あとがない。
長年の辛い闘病は、私の根っこの精神的な所も、おかしくしていました。
何度も書いたテーマですが「絶望」が基本になってしまった。
「絶望」が自分の根っこに染みついてしまったにしても、
人生を諦めるわけにもいかず、
なんとか、打開しなくちゃいけない。
そんなに不安と緊張を抱えてたら
人間関係も、物凄く硬い雰囲気になってしまう。
親しくなって、ちょっとふざけるとか、そんなことができない。

「泣き叫びたい子ども」が、
無理やり感情を押し込めて
ふり落とされないようにしながら、
人と交流する。

そんな感じ。
「痛いとか苦しい」とか、そういうことを言い過ぎると、
人は離れていきます。
だから、そっちも話すけど、
できるだけ見捨てられないように
みんなにも、わかるような話題を持ってくる。

そんな感じだと、どうしても敬語を話していて、
感情を抑えた話し方になります。
感情を抑えすぎると、なんかぎこちなくなる。

親戚からも、自分の辛い話をしているのに、
「まるで医者が、自分の患者の診断を述べてるみたいだ」
と言われたことがあります。
「痛い・苦しい」という言葉で、半狂乱になって
人間関係が、もっと無くなってしまうのを、
必死で抑えていたから、
そんな言い方になってたのかもしれないと思います。

家族に「辛い話」を話し過ぎてね。
受け止めきれなくなったのだと思いますが、
「聞いてあげられる、ロボットがいればいいのにね」
と言われて、ああ、言い過ぎてる、ダメだなって、
思ったのを覚えてます。

とても辛かったし悲しかった。
けど、でも、どうしようもないことを、
延々と言われるのは、言われる方も辛いのは、
わかったので、何か、別のことを考えるしかないと思ったのを
覚えています。
痛いとか苦しいとかを、家族に言い過ぎても、
人間関係が悪化することはあっても、
良くなることもない。
何か、自分で何か考えないと。

そういういろいろで、
人間関係に対する態度が、滅茶苦茶硬くなっていった。
みんな、結構、親しくなったりすると、
ふざけたり、気安く呼んだり、そういう事をするんですよね。
そういうふうな事ができなかった。

でも、ある方と知り合って、とても明るいし
突き抜けた感じの方で、
Vtuberもされててね。
それを聞きに行ったりしました。
気安く「〇〇ちゃん」とか、私のことを言ってくれて
何年も、下手すると、10年以上、
そういう呼ばれ方をしたことがありませんでした。
それから、そういうVtuberの場所だから、
明るいしみんな気安い会話をしている。
それでも、
私は、なかなか、敬語ばかりで、堅苦しい話ばかりしていました。
でも、だんだん、あまりにもずうずうしくなり過ぎない感じで、
くだけた事が言えるようになってきた。

奇妙な場所で、そのVtuberさんの所に集まって来ている人たちは、
相当な変わり者だったのです。
あるとき、割合内輪の人ばかりの時「ヤバイ経験の話」というのを、みんなが話し始めたんです。
まあ、今、親しい人ばっかりだから、そういう話もいいよねと。
相当な、ちょっと、ここで書けないようなことを話していました。
ぶっ飛んだことだったり、ちょっと暴力的なことであったり、
でも、それをはねのける強さとか、
あと、感動したのは「差別しないようにしてる」って言ってたことでした。

「人の趣味に対して、偏見を持っていたことがあった。
でも、今度は、自分の趣味に対して偏見を持たれたことがあった。
どっかしら、人間、差別はあるものだけど、
できるだけ、そういうことしたくない」と。

なぜか、強烈な体験をして、それをはねのけてきた人が多かった。
はねのけるというより、根性が座っていて、
子どもの時から、それを跳ね返す強さがあった。
私も、できるだけライトなヤバイ経験を話しました。
私もいろいろあったからな……
(でも、彼らみたいに、根性座ってなくて、
私は、おろおろし続けた人生でしたが)
「なんだ、ここヤバイ奴ばっかりじゃん」って、
笑いあいました。

でも、なんだか、
ああ、この人たちは、詰まらないことで、たじろがないし、
他人の生き方を、否定しない賢さや強さ、優しさを
持ってるのかなあと、感じました。
ちょっと、綺麗な言い方過ぎるかもしれませんが、
敢えて言葉にすると、そんな感じです。

そういうことがあったから、
本当に久しぶりに、
私も徐々に安心して、ふざけた言葉をつかったりできるようになりました。

まあ、そんなこともあるんだなというふうに聞いてくだされば幸いです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。

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