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どこから改善するかわからない

※闘病の話なので辛い話になります。

 私の病気はかなり広い範囲で症状が出る。そのため、症状が多すぎて、人に説明するのが難しい。症状を整理するためにSMERTという目安を作って説明していた。

◎S……Sense 感覚

連続する極端な痛みの感覚。
接触する皮膚感覚過敏や寒さ暑さの感覚過敏。寝ていると、布団との接触面で痛いとか。 寒さ暑さの変化で簡単に調子が悪くなる。

◎M……muscle、move  マッスル、ムーブ
筋肉や関節などの痛み、強張り、 痛みや疲労による 移動の困難。 あるいは起きていられない。

◎E……emotion 感情
気持ちの落ち込みやイライラ。 怒り。感情のコントロールのしにくさ。何かに対する過剰な反応。

◎R……Relation 人間関係 。コミュニケーション。様々な症状で移動が困難になったり、 疲労や思考能力の低下、声が出しにくいなどで、コミュニケーションが 取りにくくなる。
私の病気は画像検査や数値で測る検査で異常が出にくい(のちに、免疫系の問題がわかってきたが)。 怪我や麻痺などと違って理解されにくいので 、 怠けていると思われる 。
症状が長く続き、簡単な作業ができない、 社会参加ができないなどで人間関係に問題が生じる。極端な孤立が起きる。

◎T……Think 思考
思考能力や認知能力、遂行能力の低下。
着替えようと思っても物を考えにくくて着替えにくいなど、生活上必要なことが、やりにくくなる。できないわけではないが、全力を尽くしてやっとできるという感じ。 作業記憶が極端に落ちて、 簡単な作業もはかどらない。

 こういう、いくつも難しい問題が起こっているのに、 多くの検査で問題ありませんと言われてしまい、かつ、 自分でもやりようがない。 家族にばかり迷惑がかかり、かつ、 感情が不安定なので、 死ぬことが一番すっきり問題を解決してくれるのではないかと思えてくる。死ぬことは、一番、悪いことだとわかるのだが、無理やり、繰り返し繰り返し、拷問のように説得されてくるみたいで、非常に辛いといより、まずかった。

 一番酷い時は、仕方のない面も、あったのかもしれないが、医師からは、痛み止めや筋弛緩の薬以外に、強い睡眠薬や精神安定剤を出された。ものを考えられない。生活が回らない。起きてられないから、ますます、ものを考える能力や体力・筋力、会話の力が衰えていく。生活が回らないので、ますます、生活を回すために、無理やり体を動かし体が強張る、と悪循環していった。
 そして、一般的に人々が考える深刻な病気というのは、明らかに内臓や筋肉、関節に損傷が起きているとか。麻痺があって、手足が動かないとか。進行すると死んでしまうとか。
 あるいは、精神系だと、立ち上がる気力もないとか、呂律が回らない、記憶障害とか、自分がどこで何をしているのかわからなくなる、幻覚、妄想が出てくる、もっと嫌な言い方をすると、自殺を図るとか、錯乱して大暴れするとか、そういった感じでないと、わかりにくい。
 極力、寝たきりと錯乱にならないように、努力していた(何をやっていたか、以前の話で、少し書いた)から、
「だいじょうぶ、あなた、まだ、しっかりしてるから」
「だいじょうぶ、話せてますよ!」
と専門家には言われる(笑)。
 生活も回ってないし、死にたくてたまらないんだから、全然大丈夫じゃないんだけど、意地悪い言い方をすると、認知行動療法という奴で、無理やり、良い事を言わされる(笑)。

 それはともかく、どんどん生きていても、仕方ない感じになってきた。自ら死を選ばなくても、激痛と寝たきりと精神的な錯乱のトリプル状態になってしまいそうだった(悪化すると、水が触れても激痛、風がふわっと、髪の毛に当たるだけでも激痛。身動きが取れないので寝たきり。最高レベルだとそういう人もいる)。そうならない手立てを、教えてくれる人がいない。
 そうなったら、死んではいないかもしれないが、ただの拷問状態である。     なんともならないものを、なんとかしなくてはならなかった。

 思考能力やコミュニケーション能力が落ちている中で、医師と交渉して減薬するのは、物凄く大変だった。でも、なんとかやった。自分で減薬して、努力できるなら、大した病気ではない。と、思われたかもしれない。何をどうやっても、破滅しない限りは、そう思われそうなので、もう、笑うしかない。
 やりようがないから、仕方ないのかもしれないが、そういうことを繰り返すうちに、医師や専門家を信頼することが、難しくなってしまった。今でも様々な薬や治療のお世話になっているし、それのお陰で生きていて感謝しなければいけないのだが、気持ち的に、そういうふうに思えなくなってしまった。
 医師は症状の専門家であっても、患者がどう困っているかという事の専門家ではない。私が、上手にできなかっただけなのかもしれないが、福祉的な援助も、暴力的なくらい健康と生活が破壊されないと、支援してもらえないというのが現状なのだろうという気がしている。
 連絡を取っても、老人かもっと深刻な生活の破壊が起きてないと、いくら苦痛でも支援の枠組みに入らないのだ。そういうルールなら仕方ないと納得するしかない。病気を抱えた上で、法律というものを変えるべく運動している人たちもいる。しかし、私は病気の上に、さらに、そちらで頑張る情熱は持てなかった。

 話があちこちに行って申し訳ない。
 感謝とか、そういう事ができたら、人生に良い影響を及ぼすのは、わかっているが、申し訳ないことなのだが、専門家に対する不信感は、いまだに回復していない。
 念のために言うが、いろいろな専門家が意地悪をしたわけではないし、自分の守備範囲内で、できることをしてくれたというのは、十分わかっている。それでも、感謝という気持ちを持ちにくくなってしまうのだ。
 そういう所でも、この病気は、人間関係や心の通じ合いというものを壊す病気だと思う。

 ながながと、病気と困り事を書いてしまって、読まれている方は、うんざりされたかもしれない。それは、申し訳なく思っている。でも、説明する必要する必要があった。
 これだけ、いろいろあると、どこから手をつけたらいいかわからないし、本当に改善するのか? と、自分でも思っていた。
 目標を決めて改善といったって(ワークブックみたいなのもやらされた)、これだけ問題が多いと、どこに目標を定めていいかわからない。思考能力や感情のコントロールも難しいので、計画というものを立てらない。計画を立てても、ちょっとした変化(天候、食事、人間関係、活動状態、睡眠、事故・事件(身内の病気や悪い出来事、ニュースで入って来る災害や凶悪な事件など他人に起こった出来事を聞いただけでも、物凄く影響された。皮膚や筋肉の感覚だけでなく、感情の方も過敏になっていて、本当に閉口した))で、すぐ揺り戻しが起きたり、悪化したりするから、自分で何のためにリハビリやっているのかも、わからなくなってくる。
 やっぱり、死んだ方が一番すっきりするんじゃないかと思えてくる。死んだ方がいいのではないかという、「心」というより、「体の底から強烈に訴えてくる死を望む感じ」は、これだけ複数の症状が相手だと、本当にしつこい。
 

 ずっと、いろいろなことをやってきたときに、一番最初に改善したのが、複数の人が話している声が聞き取りやすくなったことだった。聴力は落ちてないのだが(聴力検査もした)、頭の情報処理がうまくかないらしくて、人の話が聞き取りにくかった。それが聞き取れるようになった。

 それから、早くから実感としてわかったのは、過剰な寒さ暑さの感覚や、体温調節が、改善してきたこと。
 改善する前は、常に寒気がして、夜も大汗をかき、夜中に二回も三回も着替えていた。
 その寝汗が減ったり、昼間に使う貼るカイロの数が減ったりした。

 簡単な買い物ができるようになったのは、1年くらい前だろうか。
 掃除機がかけられるようになったのは、かなりあとのほうだった。掃除機は、この病気では、共通してハードルが高いそうだ。慢性疼痛も扱っている鍼灸師の方が言っていた。
 夜の睡眠薬によって無理やり休む形だけでなく、昼間、目を閉じて横になり(以前は、疲れて、横になっても目を閉じると、体の痛みや精神的な苦痛に意識が向いてしまって休めなかった。かえって頭が、ガンガンした。目を閉じるだけで、ガンガンしてくるのも、本当にしんどい)、小休止、ということができるようになったのも最近。
 椅子に座って安定して、作業ができるようになったのも最近。痛くて座っていられなかった。食事中も立ったり座ったりする状態が長く続いた。
「椅子が恐い」というタイトルの慢性疼痛に襲われた作家の闘病記があったが、その感じは物凄くよくわかる。

 首が動かせるようになったのも、ごく最近。首ぐらいと思われるかもしれないが、歩いていても、車や他の通行人を確認しにくいので、外出していても、いろいろ問題が起きる。そういうことは、なってみた人でないとわからない。
 首のストレッチも、以前は、これでもかというくらいに効かなかった。それが、首が回るようになった。どれだけありがたいことか。

 改善が、どんな順番で、どういうふうに進むのか、どれくらいの期間がかかるのか、というのは、本当に予想できない。

 専門家も周りも「改善するから、信じろ」と物凄く軽い感じで言うのだ。そういうとき、どういうふうに変わる場合があるのか、具体的なことを示されなかったから、私は希望というものを持てなかった。

 私の初期のリハビリは、これ以上悪くなったら、もう生活ができなくなる。退却して落ち着く場所など、もうこの世にはない、背水の陣で、突撃するしかない。そんな感じだった。それでは、あまりにも悲しい。無茶をした覚えがあるし、悪くすると病気の進行というより、無理を重ねたことによって死ぬ。
 だから、問題が多過ぎて、酷い状況の人に、どんなふうに改善する場合があるのか、その大雑把な過程みたいなものを伝えたかった。
 個人差があるから、まったく違う経過の可能性は高いが、どんなふうに、良いことが起きうるのか。ほかの人の場合を知ったら、想像しやすくなるのではないか。

 鉄壁の症状と困り事のてんこもり包囲網、みたいな病気や問題はある。だけど、どこから包囲の穴があくか、症状が改善するか、本当に良くも悪くもわからない。
 だから、困っている方に、死ぬ前に、試行錯誤をする価値はあるんじゃないかと、お伝えしたいのだ。

 ここまで、いろいろ細々辛い症状や問題の話を最後まで読んでくださって本当にありがとう。

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