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虫送り

 ―――虫送り

稲の害虫を防ぐための民間行事。
人形を作り、松明をつけて、鐘や太鼓を叩きながら、ねり歩き、最後には虫の魂を移した人形に火をつけて、川や海に捨てる。


 何か、恐い話ですか……
 急には、なかなか、思いつきませんが……
 ああ、そういえば、こんな事がありました。かなり昔のことです。

 あの郊外の町は、まだ、雑木林が残っていたのを覚えています。そこに一人の女の子が住んでいました。仮に、その女の子をサトミと呼ぶことにしましょうか。サトミは、とても元気な子で、男の子に混じって、野山を駆け回っていました。

ぶーん。

 ある日、そのサトミが、通学中、じっと、フェンスに絡みついている草を熱心に見ていたのです。やはり、通学中のある少年、この子は、仮にヒロキとしましょう。ヒロキも、サトミに近づいて、その様子を見ていました。それは、ヤブガラシという植物の花で、サトミは、それ見ていたのです。
 直径20cmくらいの目立たない黄色や緑の花が、複雑に茎でくっついています。そういう花の集合体の上を、スズメバチは、歩き回っていました。
 ヒロキは、「危ないよ」と言いました。
 サトミは「大丈夫。ハチさんに『見ていてもいい?』って、聞いたから。そしたら『今は、遊んでいるだけだから、いいよ』って言ってくれたんだ!」と答えました。
「ハチが?」
「うん!」
 そこを、担任のタマチ先生が、胡散臭そうな目で、通り過ぎていきました。タマチ先生の長い髪から強い香水の匂いがしました。スズメバチが、少し動きを止めましたが、また、花の上を歩き回り始めました。
「怖くないの?」とヒロキが尋ねますと、「全然。強くてかっこいい!」といいます。サトミは最近、ずっと沈んでいたのに、今はとても明るい様子です。ため息をつくと、ヒロキは、サトミを置いて学校に行こうとしました。振り返ると、サトミが、こちらを見て笑っていました。その奇妙にキラキラとした目を見て、ヒロキは、ぞっとしました。

ぶーん。

 数日後。5 年2組の教室に、どういうわけか、蠅がたくさん飛んでいました。猛暑だったせいでしょうか。
 生徒たちは「なんでこんなに蠅が多いの?」と、騒いでいます。担任のタマチ先生も、手で蠅を追い払いながら、イライラしていました。
 サトミは、場の空気を読めない所がありました。ある日、サトミが、授業中に、タマチ先生の板書の誤字を指摘したのです。それから、先生の嫌がらせが始まりました。
 先生は、難しい問題を、サトミにばかり当てて、サトミが答えられないと、みんなの前で笑いました。これが、タマチ先生の、イライラしているときの癖でした。
 そんな事を繰り返すうちに、サトミに、クラスのみんなが、嫌がらせをするようになった。みんな、悪口を言ったり、無視したり、サトミの持ち物を隠すようになりました。
 宿題なんかも、よく隠されてしまったそうです。サトミが「持ってきたはずなんです!」と言っても、ますます鬼の首でも取ったようにタマチ先生は「嘘をつく子は、どうしようもないわね!」と、また囃し立てます。
 サトミの両親も、学校に何度も相談はしていました。しかし、学校からは、「いじめに当たる事案は確認できない」という回答。
 いじめは、絶対存在しない。残念な事に、当時は、そういう態度の校長先生は、少なくなかったらしいですね。
でも、サトミに対して、無数の小さな針で刺すような行為が、毎日、起こっていました。
 イライラを払うために、集団の中で起こる生贄の祭り……
 あの流れが起きた時、子どもは、どうしたらいいのでしょうね。

 ぶーん。

 その日、教室の後ろから、鈍い大きな音がして、小さな塊が飛んで行きました。蠅ではありません。15cm くらいのもっと大きいものが、まっすぐ、タマチ先生の方に飛んで行きました。タマチ先生は、板書をしていたので、後ろから、飛んできたのがスズメバチだとは認識していませんでした。
「ああ、うるさいわね!」
と、振り返るのと同時に、彼女は、無意識にそれを手で振り払いました。タマチ先生の手を、スズメバチは、軽々とよけて、空中に静止しました。スズメバチの空中静止は、攻撃の合図です。
「タマチ先生の恐怖にひきつった顔は、今でも忘れない」と彼女は言っていました。
 そして、スズメバチは、タマチ先生の頭に飛んで行きました。
 タマチ先生は、甲高い声で、叫び続けました。
 目を見開いたタマチ先生が、仰向けに倒れて、咳をするような呼吸をしだしました。たぶん、アナフィラキシーショックで、呼吸困難になったのだと思います。
 スズメバチは、タマチ先生の顔の上に止まっていて、引き抜かれた針からは、びゅっ! びゅっ! っと、まだ毒液が間欠(かんけつ)的に噴き出ていました。

ぶーん。

 どのくらい時間が経ったのか、咳をするようなタマチ先生の呼吸音も聞こえなくなったとき、スズメバチは開いている窓から、飛んでいきました。
 ほかの生徒たちは、その間、びっくりして、声も上げられなかったそうです。
 もちろん、タマチ先生の死は、不幸な事故として処理されました。
 タマチ先生は、きつい匂いの香水をつけていたので、それも良くなかったのではないかと言われました。香水はスズメバチを惹きつけるのです。
猛暑で、スズメバチの出没も増えていたので、なおさら、大人たちは、納得しました。
 タマチ先生の代わりの先生が、担任になりましたが、その後、そのクラスでのいじめはなくなりました。
 いじめが無くなったというより、みんなショックを受けて、クラス内での交流自体が無くなってしまった。
 あとは、学年が変わると、クラス替えもあり、いじめがあったことも、スズメバチのことも、うやむやになってしまいました。

 ぶーん。

 気味が悪いタイミング…… 確かに、それは、みんなが思ったことだと思います。
 私は、サトミが図書館で、昆虫図鑑を見ているのを見たことがありました。やっぱり、ハチの項目を見ていました。サトミは、先ほど言ったように、虫に対してまったく平気だったのです。カブトムシを取る時、クヌギの蜜が出ているような場所は、スズメバチも集まってきている場合があります。私は、サトミと一緒に、カブトムシを取る時に、スズメバチの危険性をサトミに教えていました。
 普通の子どもは怖がるのに、サトミは興味を持ってハチについて調べ始めた。虫に対して、親しみさえ、感じているようでした。『虫愛ずる姫君』という話が、平安時代の古典にあるそうですが、そんな事、当時の私は知るよしもありません。
 スズメバチの種類にもよるのですが、オレンジジュースやカエルの肉なんかを置いておくと、彼らは集まって来る場合があります。そして、それを捕まえて、煙でいぶすんです。煙を出す花火みたいなものがあるのですよ。私の両親は、長野県の出身でね。祖父母が、ハチノコを取るやり方を知っていたのです。煙でいぶされると、スズメバチは、数時間のあいだ、仮死状態になります。
 ええ。子どもたちだけで、そんなことをするのは、とても危険です。
 しかし…… 子どもも、ニュースくらい見ています。
  人が死ぬような出来事が起こって、初めて、自分の都合しか理解できなくなった、学校の大人たちの何かが変わるのかもしれないと思った。
 暗かったサトミが、不自然な明るさを見せ始めているのも、とても危険だと、私は思いました。自分一人で無茶をするんじゃないかって。
 私は、違う クラスにいたサトミを、直接は守ってやれない自分が、とても悔しかった……

 その後、サトミは、どうなったか、ですって?
 ぶれずに、今も、スズメバチの毒について研究論文を書いたりしています。
 スズメバチの毒は「毒のカクテル」と言われるほど、複雑な作用をするものなのだそうですね……

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