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マルカート

私が所属しているHEARシナリオ部で書いた作品です。
月に一度テーマを決めて、部員で作品を書き合います。
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※ 以前書いた「ガボット」を朗読用に手直ししたものです

 
 目が覚めた。一応、まだ生き続けなきゃいけないみたいだ。着替えると、ぼくは階下に降りた。
 食卓の上に片付け忘れたらしい新聞が置いてあった。ちらりと、それを見た。ムンクの絵を盗んだ犯人が捕まったらしい。
 奪ったり、取り返したり。そのほかにも、世の中では、いろいろな事が起きていたが、それらに対して、ぼくは、もう、うまく感情を感じることができなかった。
 
 家族が起きる前に、ぼくは、急いで家を出て、自転車で川辺へ向かった。くしゃみが出た。鼻をすすることもできず、液体が地面に垂れた。まだ、花粉が飛んでいるのだろうか。
 
 ぼくは、護岸に腰かけて、川を見ていた。
 河面(かわも)を眺めていると、ふと、弦楽器の音が聞こえた。
 多分、彼女の方がだいぶ年上だったと思う。
 昼間からこんな所に来ている。何をしている人なのか。じっと見つめていると、きっとにらみ返された。
 ぼくは、彼女から目を逸らした。
 彼女は、バイオリンで、繰り返し、繰り返し、同じ曲を弾いた。何時間も。
 なんか独特な曲だった。しかし、聞いていて、ぼくは飽きなかった。
彼女が立っていた場所を通りかかると、草の中に何かの器具が落ちていた。
 何だろう。
 次の日も彼女が来たので「これ、お姉さんの?」と、ぼくは、それを見せた。
 つかつかと近づいてきて、彼女は、それを引ったくると、「ありがとう、探してたの!」と言いバイオリンに取り付けて、顎と肩の間を支えた。
そのときから、彼女は、ぼくが近くで、聞いていても文句は言わなくなった。
 毎日毎日、雨でも降らない限り、彼女は、同じ曲を弾き続けた。修行僧のように。
 ときどきお互いに、聞いたりした。
 
「いつまで弾くの?」
 
「気が済むまで」
 
「いい男が、いつまで、昼間っから遊んでるの?」
 
「気が済むまで……」
 
 2年、彼女と僕は、河川敷に通って、最低限の会話しかしなかった。
 つながっていたのは、その独特なバイオリンの曲だけだったような気がする。
 曲を聞いていると、ぼくはいろいろなことを思い出した。ときどき、感情がよみがえり泣きそうになった。しかし、我慢していた。
 
 でも、その日の彼女の曲は、同じ曲なのに、何かが違った。
 ぼくは、涙を抑えられなかった。泣いているぼくを見て彼女は言った。
 
「気が済んだ。もう来ない……」
 
「ぼくも、気が済んだ。もう来ない……」
 
 さよならも言わず、ぼくらは別れた。
 
 ぼくが学校に行けるようになって、それから、もっとずっと長い歳月が過ぎた。
 
 その日、ぼくは、店に飾られている「ムンクの叫び」のレプリカを見ていた。
 ムンクは、習作も含めると、このモチーフの絵を数え切れないほど、繰り返し描いたという。
 割り切れない人生の何かを、彼は描き切ることができたのだろうか。ムンクは、入院するほど精神を病んでいたのに、当時としては、非常に長生きした。
 
 店に客が入ってきた。注文のコーヒーを入れていると、ラジオから、あの曲が流れた。
 
――お送りしましたのは、○○○○でした。
 
※ 最後の曲名は、もとは、リュリのガボットとしていたのですが、朗読で使われる際は、最後の一行は省略してもよいです。曲名も使うBGMなどに応じて自由にして頂いて構いません。

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