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高校生の自分が今も生きていた話。

30歳のおっさんが、高校生のころの友人に会いたいと思っている話です。

札幌は気温も上がり、20度を超える日も増えてきた。上流で雪解けが進んでいるためか川の水量も多く、春らしい強い風が吹いている。

自宅の寝室には高い位置に幅の広い窓があり、朝日が入るのをアシストしてくれる。最近であれば5時過ぎには明るい日の光が差し込む。光や音に敏感な自分はすぐに目が覚めてしまう。妻と猫を毛布のなかに置いたまま、ひとりリビングへ向かい、ホットコーヒーを飲む。それが日課だ。春の朝は早い。


ぼうっとした頭で、見ていた夢のことを思い出す。もうここ何年も同じ夢を見ている。高校時代の友人と過ごす夢だ。

夢に出てくる(出ている)自分は高校生の場合もあれば、登場人物がみな大人になっている場合もある。たいてい、他愛もない会話をしている(気がする)のだけれど、どれも不明瞭で鮮明な感じがしない。ただ、そこにある感覚は「楽しい」「嬉しい」のようなポジティブなものが多い。

目が覚めると、ちょっとだけ寂しい気持ちになる。もう少しだけ、夢のなかにいたかったと思う。どうにかして、もう一度だけ、同じ夢を見れないものかと考えたりしたこともあった。

おそらく、何度も同じような夢を見るのは、紛れもなくそこに「気になる」があるからだと思う。悪質な感じではなくて、「あいつら元気にやってるかなあ?」みたいなライトな「気になる」を持っているんだと思う。


そんなことを考えると「今時の若い奴ら」がうらやましくなる。ツイッターやインスタグラム、フェイスブックなど、高校生のころから始めていれば現在も繋がれている友人がいたのではないか、と思う。それが細い糸のような繋がりでも、元気にしていることがわかるなんて、とてもうらやましい。

高校生だったころの自分の連絡ツールは「ガラケー」で、主要なやり取りはすべてメールで行っていた。だから、既にアドレスが変わっている人がほとんどだろう。電話番号も変わっているかもしれない。いきなり電話もかけられない、出られても焦るし、出なくてもへこむ。そう、お手上げだ。

「なーんか良い方法ないかねえ」とたまに妻と雑談がてら話したりするものの、「思い出は思い出のままが美しいのよ」なんて昭和の名曲の歌詞みたいなことを言われ、納得のいかない日々を送っていた。そう、送っていた。


今朝。5時前に目が覚め、いつものようにホットコーヒーを淹れ、ソファの定位置に座り、ニュースでも確認しようとスマートフォンを見た。そのとき、思い出した。高校時代、友人と共同で更新していたブログの存在を。

「どうして今まで忘れていたんだ!!!」と思い出したブログのタイトルを入力する。寝起きとは思えないくらい心拍数が上がっていたと思う。

あった、ブログがあった。

最終更新日は2010年。高校を卒業した年だった。そこから日々を遡った。僕や友人が過ごしてきた毎日をめくり直した。

会いたい友人や、クラスメイトの名前がそこにある。些細な日々の言動、放課後の帰り道の話、修学旅行で親友がフラれた話、体育祭で優勝した話、学園祭の店舗紹介でスベッた話、クラス替えが失敗に終わった話、バレンタインに(今年も)チョコをもらえなかった話、喧嘩した話。ぜんぶそこにあった。

「おはよ~」と妻が起きてきた。「え、タクちゃん、準備しないと会社遅れるよ?あら、どうしたの嬉しそうな顔してるね」

妻に言われるまで気づかなかった。時計は8時を回っていた。まだ、読み足りない気持ちを抑えながら、ブログのページを閉じて、仕事へ向かう準備を始めた。

これまで読んだどんな小説よりも、エッセイよりも圧倒的に面白かった。あくまで「自分にとっては」だけど。でも、紛れもなくそこには自分がいて、「あいつら」がいた。生きていた。高校生の僕が、高校生のあいつらが、今もそこで生きていた。


家を出る。自転車のペダルをふむ足がいつもより軽い。春の風の強さが気にならないほどに自転車が進む。あいつらの近況を知る機会はまだないけれど、昔に戻れた感じがちょっとして心がじんわりした。

「思い出は思い出のままが美しいのよ」

と言った妻の言葉を思い出した。昭和の名曲みたいな歌詞も悪くないじゃん、とちょっと納得がいった。

(おしまい)


■あとがき

みんなに会えた気になれたけど、会えないくらいが、また良いのかなと思ってます。でも、年に1回くらい集まりたいな。
ブログや日記でも残しておくといいですね。綺麗な言葉ではなくても、まとまりはなくても、ちょっと恥ずかしいけどね。
朝からブログを見て、同窓会をした気分になって泣きそうになった、おっさんの話でした。


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