「きみの存在を意識する」
「お母さん、読んでみて。」
娘(中1)に手渡されたのが、この本。
『きみの存在を意識する』
「字がうまく書けなかったり、騒いじゃったりとか、女の子やけどスカートの下にズボン履きたかったりとか、、あと〜、洗剤の匂いが苦手っていうか、、、」
「過敏ってこと?」
「そう!そういう子たちが出てきて、先生が全然わかってくれなくて、、すごい面白かった!ここに置いとくから。」
娘とそんな会話を交わした2日後。
ようやくまとまった時間が取れて、本を読んだ。
主人公たちは中学2年生。
”たち”と書いたのは、娘の言った通り、学習障害のある子、両親と死別して養子になった子、女の子にも男の子にも分けられたくない子、化学物質過敏症がある子、良い子でいたい子、とたくさんの子たちが出てきて、章ごとに語り手が変わるからだ。
作者の梨屋さんは”連作の短編集”とおっしゃっている。
もちろん、中学2年生なので、担任の先生や部活の顧問の先生、校長先生も出てくるし、性格の悪い子やクラスカーストを気にしている子なんかも出てくる。
さらに、学校だけではなくてそれぞれの家庭の様子もしっかりと描かれていて、現実世界がそうであるように、主人公たちの家庭の形態も、両親や祖父母の考え方も様々で、329ページの間によくこんなにたくさんのことを入れることができたなぁ、と驚いた。
それに、何らかの困難さを抱えている子供がいたとしても、個々の子どもの性格や家庭環境は違うから、『このままでいい』と考える子もいるし、『学校が対応してもらえないなら転校する』という子もいる。
物語の中では、それが丁寧にわかりやすく、流れるように描かれている。
その上、それぞれの困難さに対する知識や学校での配慮のこと、そして養子に関することなども物語の中で自然と書き入れられている。
正直いうと、私はもう思春期の年齢ではないので、主人公たちに感情移入することはなかったし、主人公たちの年齢にしては大人っぽすぎないかなぁ、と感じる場面があったりしたのは事実だ。
だけど、知識の説明が全くなかったら、読者となる子供たちは理解できない部分があるかもしれないから、そういったところが、私のわずかな違和感につながったのだろうと思う。
とにかく、現時点の日本社会ではまだ説明が必要なこういった個性について、これだけ書き分けて、読みやすい形にしていらっしゃる作者の梨屋さんは天才だと思った。
ただ、私は「あとがき」で泣いた。
40を過ぎて、心が感動すると勝手に涙が出てくるようになった。
本文はとても興味深かったし、すごいなぁって感心したし、「こういう子供も大人も先生も、いるいる。」って思ったりした。
理解のない先生に対しては、私も同じような経験があるなと思い出したりもした。(あれ、やっぱり感情移入してる?)
でも、梨屋さんがあとがきで「わたしの場合はひすいでもあり心桜でもあり、留美名でも華彩でもあります。」と書かれているのを読んだ時、自然に涙が溢れてきた。たくさんのことを乗り越えてこられたのだろうな、と思った。
その他にも梨屋さんはご自身のことを述べられていて、その一つ一つがなんだか胸に沁みた。
IBBY=国際児童図書評議会の2020年のリストに、この作品が日本から推薦する本(文学作品部門)として選ばれたそうだ。
こうやって色々な人がこの作品を知ることで、子供たち一人一人に寄り添ってくれるような大人がますます増えたら良いなと思った。
そして、最後にとっても共感した、あとがきの一部を書きたいと思う。
『障害者差別解消法が制定され、合理的配慮という言葉が学校や職場にも広がりつつあります。でもね、限られた特定の人だけの配慮よりも、みんながその人らしく社会に参加するための ”合理的な工夫どんどんOK!” という柔軟な空気が広まったほうが、誰かが負担を感じたり配慮されたされないで嫌な思いをしたりしないのではって、わたしはこの頃思います。』
本当にそう思う。
だって、色々な困難を抱えていても、診断にまで至らなかったり、そもそも診断なんかされたくない人もいるだろう。
困っている人がいたら、その時周りにいる人が助けてあげる。
今度自分が困ったら、助けてもらう。
それが自然にできる社会になれば、いいな。