涙腺が緩くなって考えた言い訳
「熱くなる」というような経験を、私は物心がついて以降した記憶がない。
没頭する、目の前の物事をこなすために一生懸命に取り組むという経験はあるが、何かのために「熱くなる」とは少し違うだろう。
涙腺が緩くなった近頃は、24時間テレビのようなテレビ番組を見ると100%と言ってよいほどに涙が流れてしまう。ハンディキャップを持った方々の熱の込められた頑張り、芸能人がそんな方々の成功を祈り一緒に取り組む熱い気持ち。それらに心を打たれて自然と涙が溢れてくるのだ。
全くもって不思議なことだが、それに気が付いたのは最近のことである。
思い返せば、幼少期は訳もわからず毎日を楽しんでいた(習い事であった英会話だけは嫌いで、泣きながら取り組んでいたのは今も変わらないが)。
年齢を重ねるにつれて自分以外から評価を受ける機会が増え、それに従って誰かに認められるために、良い評価をしてもらうために行動するようになっていた。
そして今、私は自分のためにこの文章を書いている。
しかし24時間テレビで感動を与えてくれる方々は、みな自分のために頑張っているようには見えない。家族のため、同じ境遇の方々のため、誰かのために頑張る人を応援するために熱くなっているのだ。それに加え、自分にとっては少しハードルの高い課題を設け、乗り越える強い精神力をその背中で示してくれているのだ。誰かのために全力を注ぐその姿にきっと、我々は心を動かされるのだろう。
「熱くなる」人々を見ると、感動の涙と共にそんな一抹の不安が湧き上がってきてしまうことも少なくない。むしろその頻度が年々高くなってきているのが正直なところだ。
人々の「熱くなる」姿を見て感動するということは、「そろそろ何かのために、誰かのために熱くなって力を発揮するという年代になっていますよ。」という合図と捉えることもできるかもしれない。若者とは言えない年齢になった今だからこその、人生挽回を夢見る言い訳である。
涙腺が緩くなるというのは、やはり年を重ねたということだ。
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