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誕生月に思うこと~6月1日~

こんにちは、猫乃ひろばです。

2024年も6月に突入

あっという間に過ぎた5か月

今日から6月が始まりますね。私にとって2024年が始まってからのこの5か月はだいぶあっという間でしたが、みなさんはいかがだったでしょうか。

変化の大きい5か月だった

とにかくこの5か月は変化が大きかったです。

実はうつ(現時点での正式な診断はまた別の病なのですが、便宜上)を患っている私の体調が快復してきたのは、ちょうど1月に入った頃でした。

特別きっかけがあったような記憶はないのですが、なぜかほぼ寝たきりだったのが起き上れるようになり、椅子に座れるようになり、自由に活動できる時間が増え、あれよあれよという間にそれなりに外出までこなせるようになっていました。
私にとって数年ぶりに人間らしい生活を送れるようになった、奇跡のような5か月でした。

6月は私の誕生月

20歳以降の誕生日について

さて、そんな感じで迎えた6月ですが、6月は私の誕生月でもあります。
私の体感ですが、20歳を超えてからの誕生日というのはなんとも味気ない。

私にはありがたいことに誕生日を祝ってくれる人がいるのでこんなことを言うと失礼になってしまうのですが、ここで言う味気ないとは誕生日そのものが自分にとって魅力的でないという意味です。

老けるのが怖いとかそんな単純な話ではありません。
ただ、昔はあったはずの誕生日に対する期待感が年々薄れているのです。なぜでしょうか。

味気ないのは誕生日じゃなくて自分の人生

ここで自分に厳しいことを言いますが、最近の誕生日が味気ないのは誕生日が悪いのではなく、自分の人生に対して未だに受け身の姿勢でいるからではないでしょうか。

待っていれば楽しいことが降ってくる、もうそんな歳ではないのです。

誕生日そのものが自分にとって魅力的でないと言いましたが、自分の誕生日という紛れもない自分の一大イベントについて、魅力的な側面を作り出せていないのは誰ですか?という話です。

精神的な成長が伴っていない

大人になるということは、与える側になることだと思っています。

それは必ずしも自分から他人へではなく、自分から自分へ何かを与えることだって含まれると思います。

たとえば、自分から自分へ――知識を、試練を、ご褒美を与える。受け取った自分は、与えてくれた自分からの期待を胸にそれらを最大限活かし、成長する。
これが理想の大人の姿なのではないでしょうか。――となると。

私はいつまで受け取る側でいるつもりなのでしょうか?

繰り返しになりますが、既に用意されているものを手に取ればいい時期は、とうに過ぎたのです。
年齢に対して相応に精神面も成長して、自分に何かを与えてあげられるようになりたいですね。

さいごに

『自分』がゲシュタルト崩壊しそうな記事になってしまいましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました。

これからの梅雨の季節、低気圧の影響で体調を崩して毎日noteの更新が途切れそうで不安ですが、できる限り頑張ります…!

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