やはり故人はそばにいる

私は、数年に一度しか日本に帰国しないのですが、

一回の帰国で大体10日から2週間帰ります。

一度だけ一ヶ月帰国したことがありましたが、基本はこんなものです。

帰る先といえば育った湘南ですが、私の田舎は青森にあります。

両親ともに青い森の人なので、当然、お墓も青森にあります。

しかし、短期間の帰国で、しかも滅多に帰らないのでとにかく忙しく、

青森まで帰るのは、本当に数回の帰国のうち一回あるかないかくらいになってしまいます。

私は、湘南っこなんですけど、青森を心から愛していて、子どもの頃は毎年夏になると、夏休みのほぼ全期間を青森で過ごしていたので、心の中の故郷なんです。

DNA的にも、青森人だという意識はとても強いです。


なかなか青森まで足を運んでいなかったのですが、

前々回の帰国の際、ほんの2泊程度で母や姉と共に青森へ行きました。

目的は、父のお墓参りです。

私にとっての田舎は、母の実家であり、父方の家系とはほぼ縁がありません。

父は、私が小さい頃に他界し、正直それ以来お墓参りに行っていませんでした。

今回、どういう流れだったか思い出せないのですが、突如みんなで父のお墓参りに行くことを決めました。

私たちは、父方の家族と連絡を取り合っていないため、実は住所を知りません。

両親は、昔によくある、地元は実は近いのに、お見合いはなぜか神奈川とかいうパターンで、また実家に嫁いだ訳でもなく、母にはなんとなくの場所の感覚しかなかったようです。


なかなかの無鉄砲さで、うろ覚えの記憶を頼りに車で「探す」という無謀な旅に出ました。

そこは青森です。

青い森の世界です。

果てしなく田や畑が続く、広大な地です。

そして、田舎を知っている方なら分かると思いますが、

道という道に、人っ子ひとり歩いていない。

誰にも聞けない状態。

そんな中、大体この辺だったよね、とお墓探しの旅は続きました。

やっとこさ、ひとりおばさまに出会ったので、

「この辺りでお墓のあるところを知りませんか」

と聞いてみるが、「知らない」とのことで、代わりに近くに病院があるからそこで尋ねてみて、と言われ行ってみました。病院のすぐ手前に墓地があると言われて、そちらにすぐさま行ってみるも、そこは違う。

私たちは、住所は知らぬとも、風景だけは覚えていました。

お墓の横には、すぐ小川が流れている。教えてもらったお墓は囲いがあり、違いました。


その時に、姉の息子が当時2歳弱で、彼は“ばあば”しか知りません。

甥っ子に、これからお墓参りに行くんだよ、とか、じいじに会いに行くんだよ、とか話していた訳でもありません。

その甥っ子が突然、

「じいじは?」

と言ったんです。

すると、その直後に間違って入っていた墓地に、ひとりのおじさんがチャリーンと自転車で入ってきました。

道という道に人っ子ひとり見つけるのさえ苦労したのに。

この方をつかまえて、この辺りに墓地があるか尋ねると、スラスラと答えます。

その指示通りに行きました。


そうして、小川沿いにある、父が眠るお墓へと辿り着いたのです。


その時「さっきの方は、神の遣いだ」と直感で思いました。


当てずっぽうにも程がある、青森の広大な田畑の間を探し回って、

お父さんは私たちをきちんと導いてくれました。

甥っ子に、「じいじは待ってるよ」と話しかけたのだと思います。


父が天に召されて27年。

父が他界したその当時から、もう20年くらい経っていたでしょうか。

私たち家族は、苦労も多く、正直引き裂かれていたところがありました。

そんな長い年月の間、お墓にさえ行かなかった。行けなかったのかもしれない。


あまりに訪ねてこないもんだから、ちょっとばかし回り道をさせようと、お父さんは遊んだのかも知れません。

でも、きちんと導いてくれた。

やがて日本を離れ、海外で暮らす私をも、きっと見ていてくれている。

私は、ずっと待っていてくれたであろう父に、申し訳なく思うと共に、

帰れなくても、私がいる場所で供養しよう、そう決意しました。

そうして、私の「遠隔お盆」「遠隔命日」が始まりました。

このお話はまた次回したいと思います。


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ねこの母
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