【日記・エッセイ】明日考えるためのフック 2024年7月29日 月曜
こんにちは。長尾早苗です。
毎日まいにち暑くていやになっちゃいますね、もう。
今日はわたしなりの日々の「ヒント」について書いていこうと思います。
日々のToDo
私生活でもビジネスでも、ToDoって大事だなと思っています。
今日のごはんは何にするか、どこに行くか、誰にメールを送り、何を話すか。わたしたちの生活はすべてにおいて意思決定によってできていると思います。
毎日まいにちそれは変わるし、いちいち書いていたらタスク実行の時間がなくなってしまいます。
良くも悪くも、与えられた時間は24時間で平等なのですよね。
自分なりの幸せを、個人として生活の中で達成できればと思っています。
生き延びるためのウォーキング
なぜ体を動かそうとするのか、自分でも理解できないことがありました。
日々遊んでいるのか、鍛えているのか、ひとと接しているのかのあわいに、ウォーキングがあるのだと思います。
朝早いですね
おはようございます
朝は誰に話しかけてもいい時間だし、気持ちが良いです。
長い長い生きる道において、努力というものは大切よとウォーキング仲間の年上の友人に言われました。
まずは猫背をなんとかしよう!!(自戒です)
年下の男の子
つじあやのさんがカバーしたキャンディーズの「年下の男の子」をよく聞いています。
30代になって、文学フリマなどに出て、知り合いが増えて、それこそ年下の男の子や女の子と話せる機会も、年上の皆さんと話す機会も増えてきました。
キャンディーズも当時相当若かったはずだけど、やっぱり年下の若いひとを見ているだけで自分の中にさあさあと活力が流れていくように思います。わたし自身も相当に若いはずだけど、だんだん丸くなった。
わたしも年上の友人たちと日々接していて、「若い人と話すと気持ちいいわね」と言われます。
生意気だけしかないように自分のことを思っていましたが、感情の発露が未熟だったころを思い出すと、それも若さだったのかなと思います。
10代・20代は不安定な時期だったし、気持ちの波が非常に大きかった。
今の10代・20代と当時の10代・20代では悩んでいる内容は全然違いますが、「悩み方」は一緒のように思います。
その頃はその頃でしかたなかったんです。ああするしかなかったのも、若さだったんだな。いいぞ、(今は)いけいけ! と応援しています。
アドバイスとおせっかい、おすすめについて
最近よく考えるのですが、アドバイスとおせっかい、おすすめをされることに対して、以前は反抗心しか持たなかったのですが、最近「受け流す」という第三の選択肢を持つことにしました。
日々問題は起こるし、みんなどうしてるの?
と聞きたくなることも多いです。
以前は自分自身もアドバイスを未熟ながらしてしまって、家に帰って一人になると、罪悪感を抱いたりしました。
なんというか、毎日年上の友人と接していると、わたしの罪悪感も発散されるようでうれしいです。
友人たちの考え方はすこし古い価値観かもしれないけれど、すごく自由に生きやすそうにしているのなら、それでもいいかもと思います。
SNSのおすすめも、使いようかもしれません。新たな知見を得ることができます。
明日考えるためのフック
エッセイでは書きすぎることが大事と教わりましたが、なにごとも「余力」!
と最近思うようになりました。
ここまででいったん終了、と決めてしまって、あとは明日の自分を信じる。
それは詩作においても、創作活動においても一緒のような気がしています。「余力」を残したまま、明日考えるための「きっかけ作り」を日々しているように思います。
人生にドラマチックがなくていい
ドラマチックに生きるのが苦手になりました。
テレビや映画で見るドラマはだからこそ大好きです。
12歳でそくわん、13歳で合併症に苦しみ続けて19年が経とうとしています。
若いっていいわねと言われるのが本当に嫌でしたが、今は逆に、若いってよかったなと思います。
身近な人がいなくなってしまうこと、恋をすること、誰かや何かから去ること、新しい命と向き合うこと、大切な何かを失ったり得たりすること。
そのどれもがドラマチックだったので、もう何が起きてもきっと穏やか。
さみしいなと思うかもしれませんが……
基本的には平穏だと思います。
今は性別年齢不詳でいること、ただ穏やかに生きてゆくことだけがわたしの生き方になりました。
何をやる気のないことを言っているんだ、しっかりしろ!
と言われるかもしれませんが、やる気も明るさもなくて、のんびり生きていてもよいような気がしています。
のんびりと、穏やかに、ね。
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