【詩人の創作メモ日記】「書く」という仕事を通して見えてくるもの
こんにちは。長尾早苗です。
今日は午前中、わたしがやっている以外のラジオの収録のお声がけがありまして、パーソナリティをやってきました。
今、自分自身に起きていること。生活の中から「書く」という仕事について。
ちょっと書いてみようと思います。
わたしを救った1000字創作
わたしの大学にはプロの小説家、詩人、歌人、翻訳家がいました。
彼ら彼女達とはまだご縁が続いていて、ありがたいことに
大学時代から「創作者として生きること」について勉強してきたんですね。
その中で、一生書いていくという、書かなければ生きていけないであろうわたしを救ったのが
一週間に1000字のショートショートの創作をして合評しあう1000字創作でした。
わたしはそこで、あんまり小説に自分は向かないなということを知りました。
文学部だったので、というか学生だったので、課題図書もあったし、わたし自身も持病を抱えつつ、授業に出席してレポートを書く課題もありました。
それでも、レポートですらわたしは「書く」という行為に癒され、
書き続けていくということを仕事にしたいとすら思いました。
時間がある……わけじゃない―スマホを見ない集中タイム―
わたしのSNSの発信はかなり時間のあるような人、と思われているかもしれないですが、
実を言うとバタバタです苦笑
自分の本業としての詩人・ZINE作家としてゲラを作ること、
主婦として家族と協力しながら日々を送ること、
自分の文章を高めたいから勉強したい
という思いもあり、この文章もあえてスマホをスリープモードにして
スマホをみない「余暇」「休む」という時間を経ての脳の稼働時間に書いています。
わたしにとっては自分の脳がダメになる前に、体を休ませることも必要で。
でも、うわーってなることもあるんです。
昔のわたしが1000字の創作で救われていたように、
自分の日々を「書く」ということで昇華したい、そんな思いがありました。
書けないことも創作者にとっての苦しみ
仕事が忙しくて。
育児が忙しくて。
そういった日々の生活者としての時間が、
日々創作以外で失われていることは、
確かに創作者にとっても、表現者にとっても苦しみ、地獄のような日々です。
わたしは今、詩壇の中でのわたくし詩・生活詩ではないもの
恋愛詩・海外の詩・詩壇の流れの中で詩人たちはどう時代を切り開いていったのか。
などを勉強したくて仕方ありません。
また、それには家族からも心配されていたのですが、
システムの管理上、12月25日~1月14日まで図書館が閉まってしまう
という読書人としての危機もあり、
そのストレスもあって自分のからだを壊さないか、とても心配です。
終わりに
今は自分で買った本に癒されているけれど、
創作したい、という気持ちは誰にも止められなくて、
泣きそうになりながら書く詩だって
書く文章だってあります。
わたしの家族が創作に非常に理解があり、
とてもよかったと思っています。
わたしは恵まれた環境にいることで、自分の(ある種の)暴力性というか
自分が思う「理不尽」「感謝」という正反対に見えて実は根っこが同じものと
いつも対峙しています。
そういう中で、いろいろな価値観の方のお話を伺うのは非常に魅力的ですし、
それを糧にしないで書かない
という選択肢はなく、今わたしは書いています。
良くも悪くも、アーティストなんだなと思います。
一緒に暮らす家族が大変そうですが……
ちょっとこれから、生活の中で変わることも出てくるかもしれません。
たぶんそれでもわたしは書くだろうし、読んでいくのだなあ
と思います。
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