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コロナの時代にコロナ詩を書くのは

たまには詩についてアツく語ってみてもいいかな~と思い、書きます。

私は今PMS(月経前症候群)の治療真っ最中にいて、さっきまで寝込んでたんですが、ふいに書きたい衝動に駆られて書いています。物書きってそういうところが困る。書きたくないのに書いちゃう。あるいは、よくわからない天にいるおじさんみたいな人に「書かされている」ことが多々、あるんです。

まあ、仕事で商業用の絵を描いているので、詩についてくらい好きなものを書かせろ~!と私の魂みたいなものが叫んでいるのかもしれませんが……(笑)

さて。結構真面目なタイトルつけました。今まで何回か合評会を重ねてきて、詩人たちの間でスタイルが分かれているのがこの問題じゃないかな、と思います。

コロナの時代にコロナをコロナとして書くのか、書かないのか。(別のことばで書くか、あるいはモチーフとして取り上げないのか)

あっさり私の考えを言うと、書いていいんじゃない?ということになるんですが。

詩人仲間には「コロナについて書いたら負けな気がする」という詩人さんも少なからずいます。その気持ちも、よくわかります。

後世に残る作品を書きたい場合、詩的言語として「化石」になっていくことばや事象を取り上げたくない、使いたくない、という詩人の方ももちろんいるでしょうから。

ただ、一度は拙いものだけど文学批評を論文にまとめたことがある私が思うのは、批評する人は社会的情勢も、「語り手」や「作者」がどこの時間軸・地域にいるかで、かなりその時代や地域の新聞や雑誌、影響を受けたと語っていた本や漫画・アニメなどを読んだり見たり調べたりするのは、かなり必然のようになっていました。

私自身、現代作家の小説を批評するものとして取り上げたので、調べたのが週刊誌だったり漫画だったりしたので、CiNiiさんと図書館さんにはとってもお世話になりました。

だから、後世に残る作品には、その書かれた時代に消費されゆく事象やことばを取り扱っていても、なんらかの形で残ると思うんです。

だから、私は今の巣ごもり生活を「生活に根差した詩」として書くし、エッセイだってこうやって書いています。

私も衝撃を受けたある詩集があるのですが、それについても熱い議論が交わされたなあと思い返しています。その詩集が書かれた時にあった固有名詞を使った詩集。驚きの連続で読んだし、今私がこうしてその詩集について書いていることすら自分で驚いています。

大学生時代に、今の固有名詞を使う、ということについて、非常に頭を悩ませていました。そしてそれは今でも続いています。

ただ、私が本当に伝えたいことは、

詩は、自由でいいんだ

ということ。意味をなさなくても、メッセージなど何もなくても、書きたい、誰かに読んでほしいという気持ちがあればそれだけで詩は包み込んでくれるということ。

だからみんなもっと詩を書こう!もっと文学を伝えていこう!

……というところで、このエッセイも一休みひと休み。

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