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仕事を選ぶ

私は集団生活が苦手だ。
そのくせ、数万人規模の組織で働いている。
言っていることと、やっていることに矛盾がある。
なぜ、この組織で働いているのか。
理由はひとつ。やり遂げたい未来の都市の一部をつくるためには、適した場所だと考えたからだ。
今日は、私の仕事と目的の一部について、書き留めておきたい。

働きたい子供

私は12歳から、働きたい、自立したい、貫きたい、と常々考え続けてきた。人生の前半でこの願いが叶い、30代の半ばまで続けていらることは喜ばしい。

子供の頃の私にとって「働く」とは、まずは、何者にも邪魔されず1人で生きるための衣食住と資金を得たいという切実な願いであった。
次に、様々な資金と親切心に育てられたので、借りた資源を社会に適切に還元する任務とも受け止めていた。
そして、自分の生きる時間の10〜30%を占めるであろう働く時間、それらについて考える周辺の時間は、見たことのない世界を知りたいという好奇心を満たすものであってほしいという願望だった。

価値ある目的

10代のうちに、自分の中で唯一突き抜けて自信があり、生涯をかけて創造し続けたい分野が固まっていたことは、人生最大の幸運かもしれない。
また、それを磨き、時に爆発することもあると受け入れてもらいながら、一方では厳しく頑なに勉学に励む環境と巡り会えたことにも、感謝しきれない。
私は、早期高等教育機関である高専に救われた1人だ。

その分野は、私の心の琴線に触れ、眩いばかりに輝いて見えた。
そして、苦手な群衆とも「もしかしたら、この喜びを分かち合う事ができるのではないか?より多くの人々の生活の中に浸透できないだろうか?」と考えるようにもなっていった。
これをやり遂げるには、私の使える時間は短すぎるが、全て使い切る価値も意義も見出せた。
こんな目的を見つけることほど、幸せで困難なことはないと思う。
この時から、小さな子供の頃のように孤独ではなくなった。

選択理由

20代前半になって、職業を選ぶ時期になっても、子供の頃から考え続けた「働く」ことに対する立場は変わらなかった。
しかし、ここに将来的な「老い」という視点が入った。
言葉を選ぶことは難しい。ここで考えた「老い」は、その過程次第では、「成熟」とも「進化」とも呼べるかもしれない。
今の自分が面白い・好ましいと思っている事柄について、未来の私は何を思うだろう?
興味の行方、怒りや緊張についてはどうだろうか。
きっと、今の価値観は永続的なものではないはずだ。
20代の私の見る世界は、40代・60代・80代の私にとって、傲慢でちっぽけで恥ずかしいものかもしれない。
この差を埋めるために、20代の私は何ができるだろう。今の私も未来の私も、両方が納得できる選択をしておくことはできるだろうか。
それは、今の私では、やり遂げることが過酷だと思える選択をしておくことかもしれない。努力信仰や根性論のような、やりがい搾取の内容では、義務教育課程と変わらない。
そうではなくて、自由に自在に、専門性を積み上げていける仕事を選ぶ事はできるだろうか。ギリギリ越えられるハードルを、常に自分に突きつけていけるような道も20〜30代まではいいかもしれない。
30代以降は、自分の裁量が大きい仕事であれば、自分が最適化できる範囲も可能性も大きくなるはずだ。そうであれば、数十年かけて自分のできることを増やしていくことを楽しめるのではないか。
また、大多数よりも心身に不調をきたしやすいことも認識していた。長距離走なのだから、コンディションを守れる環境であるかも重要だ。

試験と試練

自分なりに考えて、今の仕事を選んだ。
フリーランスの方が働き方としては圧倒的に向いていそうだが、私が価値を見出した目的の達成は難しそうだった。組織の一部になる方が、目的に到達できる可能性が高まりそうだと判断した。どのみち、やると決めたら私は貫かねば納得できない。目的のためなら、突進も忍耐もできる。
そして、好みではないが競争に勝たなければならなくなり、勝ち抜くための戦略も立てた。こちらが選び、あちらからも選んでもらわねばならない。

選考試験において、一番の試練は、父を亡くした翌日から様々な対応が必要だったことだ。
父の死から2日後には、当面の生活費を稼ぎつつ関連分野の情報収集を行うため、1年契約の仕事の面接を受け、その数日後には採用を決めて働き始めた。働きながら、当初の目的である組織で働くための専門試験の準備を継続した。
父が亡くなって4ヶ月後に最初の専門試験を受け、突破した。その後もいくつかの試験に勝ち抜き、ようやく採用を決めた。
これほど過集中が役立ったこともないが、あの頃の自分には戻りたくない。
この時の私の脳内や精神世界は、獣の本能のような弱肉強食の思考に染まっていた。染まることで乗り切った。心身はボロボロだったが、目的のための入口は通過できた。

仕事を振り返って

あれから、10年以上、同じ分野の仕事で経験を積んできた。
低い視点から見れば、失敗もしたし、成功もした。
ハードをつくったこともあるし、サービスを運営したりもした。
設計・施工・保守、作業主体から監督までやり切ったし、広報を担当したり、怪物クレームや権力者への対応、内容は多岐にわたった。10年という時間の中では、いろいろなことがあった。
高次の視点からでは、周囲の最適化や価値ある目的への到達まで、この先の道のりは長いが、着実に歩いてこれた。
到達への道は遠いが、母親になったり、病人になったり、10〜20代では想像もしなかった回り道をしながら、多様な視点からの景色も見てきた。

15歳の時に、父と話した内容を今でもよく思い出す。
「ある分野に興味があるとして、10年続けば本当に好きなんだと思う。好き嫌いや向き不向きに迷っていて、身動きが取れない時は、10年続けられるか試してみたらいい。その過程で、自分の中の答えが見つかっているはずだよ。」
12歳から目指した分野で、22歳まで勉学に励んだ。この10年に後悔はない。
その後も10年以上、自分の定めた目的について、後悔も迷いもない。

少しずつ、最適化の道を歩いてきたし、立ち止まっても、また歩きたいと思い続けられている。これまで、手の届く範囲の最適化を諦めずにいられたし、これからもそうしていられそうだ。

直近の仕事

病気と付き合いながらの休職明けなもので、しばらくはスローペースを心がけているが、できることが確実にあった。
本当はGがかかるくらい飛ばしていきたい性分だが、今は慎重に補助輪モードだ。

今は静かな環境で、ノルマの仕事を流しながら、得意分野を活かして調査・研究・試作をしている。
組織には欠点もあるが、達成したい価値ある目的を想えば、苦にならない。
本気で気になった時は、改良のための努力は惜しまない。負けることも多いが、最適化の道は容易くない。
数十年後、完走して、次の誰かにバトンを渡し、いつの日か未練なく眠りたい。

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