死花-第2話-⑧
…横浜から京都へ帰り、長屋のある路地に入ると、暗闇の中ぼんやりと光る一軒…藤次の家に灯りがあった。
遅くなると言ってたのに、待っていてくれたんだ…
自然と頬が上気して、嬉しい気持ちが胸に溢れる。
「た、ただいま…」
気恥ずかしくて、なんだかむず痒い。そんな気持ちで玄関を上がると、居間から藤次が現れる。
「おう。お帰り。大丈夫やったんか?」
「な、なにが?」
「いや、急に横浜や言うから…なんかあってんかなて。」
心配そうな表情の藤次。
自分の事を気にかけてくれる。
それが嬉しくて、真嗣はにこりと笑う。
「大丈夫。加奈子のピアノの発表会だったんだ。ごめん。心配かけて…」
「さよか。ほんならエエけど……飯は?」
「食べたけど、なんかお腹すいちゃった。」
「せやったら、茶漬けでもしたるわ。」
「うん。ありがとう。…あれ?そんなの、してたっけ?」
「ん?」
ふと、藤次の胸元にキラリと光るものがあり、真嗣は不思議そうに彼を見つめると、藤次は照れ臭そうに笑い、胸元に手を当てる。
「…お守りやねん。絢音がな、欲しい言うから。お揃いで。」
安モンやけどなと言って、藤次は台所に向かう。
その背中を追い、真嗣は居間のちゃぶ台に向かうと、そこに置かれていたのは、1枚の有名ブランド宝石店のパンフレット。
「ネックレスと言い、珍しいね。藤次が宝飾品だなんて…」
パラパラと捲って中を見ると、パンフレットに組まれていた特集は、婚約・結婚指輪。
そう言うことか…
浮ついた気持ちが、途端に消沈する。
分かってはいるが、現実を目の当たりにすると、やはり気持ちは沈んでしまう。
そう近くない将来、藤次は絢音と…
「しよう思うねん。」
「えっ?!」
茶漬けの乗った膳を運んでやって来た藤次の言葉を聞き取れず振り返ると、不思議そうに自分を見つめる彼の顔があった。
「あ…ごめん。聞いてなかった。なに?」
「なんやどないしてん。ボーッとして。おかしで?」
首元に光る、小さなクローバーのペンダントトップの付いたネックレス。
見せつけられる。2人の、揺るぎない愛の証。
キュウっと、胸の奥が締め付けられ、涙が溢れそうになる。
「ご、ごめん。大丈夫。ちょっと…疲れたのかな。で、なに?」
そう聞くと、藤次は照れ臭そうに頭を掻いた後、姿勢を正して、真嗣に向き直る。
「プロポーズしよ思うねん。絢音に…」
「へぇ、そう、なんだ…」
「付き合て一年以上やし、ワシももう45やろ?絢音も40やし、結婚するなら早いに越したことないやん?」
「そ、そうだね。」
いただきますと言って、真嗣は目の前の梅干しの乗った茶漬けを口に運ぶが、手が震えて、思うように箸が握れない。
「ワシには姉ちゃんがおるけど、親はおらんし、絢音もおらんみたいやから、式は挙げんつもりやけど、やっぱ見たいのぉ〜。絢音のウェディングドレス姿。」
いや、和装も捨て難いと、プロポーズ前だと言うのに、嬉しそうに話す藤次。
「真嗣は沖縄やったよな。結婚式。」
「うん。嘉代子さんが、ホントは海外が良いって言ってたんだけど…ね。」
「あの式もえかったなぁ〜。今まで色んな結婚式行かせてもろたけど、お前の式が、ワシは一番…複雑やったかな?」
「えっ?!」
瞬き、自分を見つめる真嗣に、藤次は照れ臭そうに笑う。
「1番の親友が、幸せな結婚したんやな思うたら、なんか…嬉し反面、寂しゅうなって…なんや、遠くに行ってしもたんやなぁて、素直に、喜べへんかった。」
姿勢を崩して胡座をかきながら、湯呑みに急須のお茶を入れる藤次。
その姿が、じんわりと滲んでくる。
「せやから、嬉しかったんやで?またワシを頼って、ここに来てくれた事……まあ、離婚は想定外やったけど……な……」
自分を見つめる藤次の顔が、みるみる心配の色に変わっていく。
けれど、流れてくる涙は、もう…止められない。
「なんやどないしてん?!やっぱ、なんかあったんか?!」
心配そうに、肩に手を掛けて顔を覗き込む藤次。
でもそれは、親友だから…友達だから…
秘めていたものが一気に溢れて、真嗣はありったけの勇気を振り絞り、無防備な藤次の唇に、そっとキスをする。
それは、最初で最後の、愛情表情…
「な、なんやねんお前!ひ、人が心配しとる言うのに、ふざけよっ」
「好きだよ。」
「!」
瞬き、唇を拭う仕草をしながら不機嫌に言う藤次に構わず、ずっと言いたかった言葉を、真嗣は紡ぐ。
「な、何言うてんねん。男同士の友情に、好きとか嫌いとか、あらへんやろ?」
「違う。そう言う好きじゃない。僕はずっと…男の君が、好きだった…」
「真嗣…」
困ったように眉を下げる藤次に構わず、真嗣は心に溜め込んでいたものを吐き出すように、言葉を続ける。
「2年前…司法修習生の、同期の弁護士で集まって飲んでた時、誰かから聞いたんだ。藤次がまだ、独り身だってこと。京都で…独りで暮らしてるって。それを聞いた瞬間、僕…いてもたってもいられなくなって…それで…」
「なんや…ほんなら離婚は、ワシの…」
「藤次のせいじゃないよ…僕が、弱かったから…」
ハラハラとあふれる涙と一緒に、心に支えていた想いが、一つ一つ解けていって、自然と…笑みがこぼれる。
「一緒に住んでれば、その内僕を見てくれるって思ったけど、でも…ダメだったね…」
「真嗣…ごめん!」
深々と頭を下げる藤次に、真嗣はただ静かに頷く。
「ワシは、ワシは男やし…その、そう言うのよう分からんけど…でも…お前の気持ちが真剣や言うんは、よう分かったから…せやから、泣きなや…」
涙を拭い、うん。うん。と、真嗣は何度も頷く。
分かってる。
藤次の中には、絢音がいる。
長い独りの生活に区切りをつけ、愛する人と共に、これから幸せになろうとしている。
だったらもう…自分は…たった一度のキスを思い出に、潔く…身を引くだけ。
「今までありがとう。僕、明日にはここ…出て行くから、絢音さん退院したら、呼んであげな?」
「せ、せやけどお前…住むとこどないすんねん!」
藤次の問いに、真嗣は強引に笑顔を作る。
「ホテルでもなんでも、どうにかするよ。大人だからね。住むとこ決まったら、また連絡するから、それまで荷物…預かっててもらえるかな?」
「そんなん…せや!3人で暮らそ?この家狭いから、どっかもっと、広いとこに部屋買って…絢音に理由話せば、分かってくれるし。せやからお前…そんな、独りで…」
精一杯自分を気遣う藤次の思いに後ろ髪引かれたが、振り切るように、真嗣は席を立つ。
「僕はいつでも、藤次の味方だから…結婚、素直に祝ってあげられないのが残念だけど、遠くからずっと、君を見守ってる。だから幸せに、なりなよ?」
「しん」
何か言おうとした藤次から逃げるように、真嗣は居間を後にし、2階へ駆け上がる。
寝室の戸を勢いよく閉めて、並んだ2つの布団を見つめていると、在りし日の楽しかった同居生活が走馬灯のように頭に過り、自然とまた涙が溢れてきて、その場にへたり込む。
「真嗣…」
嗚咽を殺して泣いていると、扉越しに聞こえて来た、優しい藤次の声。
「結婚…1番に祝おうてくれて、おおきにな?」
その言葉に、真嗣は精一杯の強がりで応える。
「別に……友達じゃん?」
第二話 了
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?