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死花-第3話-④

「…被告人は、駅前の居酒屋において隣り合った被害者と口論となり、焼酎の瓶で頭部を殴打。加療約3週間を要する頭部打撲傷等の傷害を負わせたものである。」

京都地方裁判所321号法廷。

いつもの一張羅ではなく、少し値の張るスーツを着た藤次は、裁判官に向かい粛々と起訴状を読み上げる。

「罪名及び罰状、傷害。刑法204条。」

キリッとした口調で締め括り席に着くと、横目で傍聴席をチラ見する。

すると、傍聴席に座っていた絢音が小さく手を振ってきたので、ここが法廷であることも忘れて、藤次はニマニマと締まりのない顔をするものだから、隣に座っていた佐保子は怪訝な顔をする。

「何にやけてるんですか検事!裁判始まったばかりですよ?集中してください。」

「お、おう…」

ゴホンと咳き込み、表情を正すが、絢音が見ていると思うと、どうしても気持ちが緩んでしまう。

「ちょっ、京極ちゃん!」

「はい?」

小声で自分の名を呼ぶ上司を不思議そうに見つめる佐保子に、藤次は更に続ける。

「悪いけど、なんも聞かんと、ワシの足…ヒールで踏んでくれへん?」

「は?」

公判中に何を言いだしたんだこの上司は…と言いたげな冷たい眼差しに萎縮しながらも、藤次は頼むと懇願する。

「後生や。せやないとワシ、この公判に集中できん。」

「はあ…じゃあ、遠慮なく…」

言って、佐保子はヒールの踵で藤次の革靴を思い切り踏みつける。

「いっ…たぁっっ!!!」

思いの外強い一撃だったらしく、堪らず、藤次の悲鳴が法廷に響く。

「検察官…」

ジロリと、裁判長の冷たい視線が刺す。

「し、失礼しました。続けてください…」

疼く足を庇いながら、藤次は心の中でごちた。

「(あかん…カッコ悪…)」

「棗検事。」

「!」

公判を終え、佐保子と地検に戻ろうとする藤次を、何者かが呼び止める。

振り向くと、そこにいたのは、瀟酒なハイブランドに身を包んだ…自分と同じ年嵩くらいの中年男性。

「ああ…さっきの公判の。」

「丸橋法律事務所の高梨です。この度は、どうぞお手柔らかに…」

名刺を提示されたので受け取り、名前を確認する。

丸橋法律事務所…どこかで…

「谷原から話は聞いてます。やり手だそうで…」

谷原と聞いて、藤次はピクリと肩を震わせる。

そうだ。丸橋法律事務所。真嗣の所属する弁護士事務所だ。

「あぁ…しん、谷原君のいる弁護士事務所の方なんですか。やり手だなんてそんな…買い被りすぎです。」

「ご謙遜を。公判、なかなか鋭い指摘でしたよ。さすが元京都地検の鬼検事、南部憲一郎氏のご子息だ。」

「(なんや…真嗣のやつ、そないな事までコイツに話しとんかい…)」 

自分より親しい人間が真嗣にいる。そう思うと無性に腹が立ち、不快感を露わにすると、高梨と名乗った弁護士はクッと喉を鳴らして笑う。

「谷原…もう刑事弁護は受けないと言ってましたよ?あなたとやり合うのが、余程怖いんでしょうね。残念ですよ。優秀な男なのに…」

「…何度も言わせないで下さいよ。買い被り過ぎです。谷原君も、あなたも。」

精一杯の冷静口調でそう言うと、高梨はまた笑う。

「公判、楽しくなりそうだ。お手柔らかにお願いしますよ検事。では、失礼…」

言って、軽やかな靴の音を響かせながら高梨は去って行く。

その背中に、藤次はベェっと舌を突き出す。

「なんやねん。感じ悪いやっちゃなー。京極ちゃん塩!塩撒いとき!」

「あの程度の戦線布告、いつものことじゃないですか。何カリカリしてるんですか?検事らしくもない。」

「……別に、なんでもあらへん。」

プイッと、小さい子供のようにそっぽを向く藤次に、佐保子はため息をつくが、ややまって、彼女の中の腐ったヲタク脳が閃く。

「同じ事務所の同僚…もしやこれは、新たなライバルからの戦線布告?!」

期待に目を輝かせて自分を見つめて来る佐保子に戸惑いながらも、藤次はポツリと呟く。

「アイツ…元気でやっとんかい…」


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