「夢オチ」と現実の国のアリス。
本題に入る前に、上の絵↑素敵でしょ?
noteをフォローさせて頂いている「ぷにょ」さんの作品です。全体を見れなくて残念なんですが、とても素敵な絵。
野菜の中に座ってるのは米津玄師。薄暗い中に浮かぶ横顔のシルエットが、繊細で切ない感じ。見てはいけない他人の無防備な瞬間を見てしまったような気持ちになります。本当に素敵な絵〜。
さて、文学や漫画やアニメの世界で、『夢オチ』と呼ばれるジャンルの作品があります。奇想天外な設定で物語が縦横無尽に繰り広げられ、読者や視聴者が「この話は、どんな面白いオチで終わるんだろう?」と期待のハードルを上げ切ったところで「実は、この話は主人公の『夢』でした。ちゃんちゃん!」となるパターン。
『夢オチ』に落とし込む予定で作品を作り出せば、どんだけストーリーの風呂敷を広げても大丈夫🙆♀️
だけど、話に没入して登場人物に自分を重ねて、ハラハラしたりドキドキしたりと一緒に冒険していたファンは、最後で落とし穴に落とされる。「え!?まさかの『夢』ってやつ!?」
読者置いてけぼり作品になる。
「喜」にしろ「怒」にしろ「哀」にしろ「楽」にしろ、とにかくなんでもいいから、感情のカタストロフを期待している読者、視聴者は、登った梯子を外されて、途方に暮れる。膝カックン。
「今までの時間を返せ」って気持ちにもなる。
『夢オチ』作品が嫌いな人はたくさんいますが、私は嫌いではない。逆に好きかも・・・。作品によっては、『夢オチ』だからこそ全体が纏まるモノもある。トムクルーズ主演の『バニラスカイ』と言う作品も私が好きな夢オチの話(ネタバレしてごめん!)
『夢オチ』好きな傾向は、『夢オチ』作品の原体験にあるのかもしれない。
代表的な『夢オチ』作品は『不思議の国のアリス』。
誰もが知ってる有名なお話ですね。私の夢オチ原体験はこれ。
アリスを始めて読んだのは小学生の頃なので、がっつりお話に入り込んで読んでいました。服を着たウサギを追いかけて深い穴に落ち、ヘンテコな世界に紛れ込むアリス。奇妙奇天烈な世界で体が大きくなったり小さくなったり、おかしな動物と出会ったり、最後はトランプの国で裁判に出席して思わず「トランプのくせに!」と発言して、トランプに襲い掛かられ・・・と、そこで目を覚ますと全部夢だったと言うお話。
ヘンテコな世界で、理屈も常識も整合性も全くない行動を取る登場人達は一見、現実世界とはかけ離れたキャラクターに見えるけど、実は、私たちが自分とは違う価値観の人と出会った時に感じる違和感や嫌悪感や断絶感にとても通じるところがあって、物語として読みながら思考は「分かり合えない人」は、この世界に必ず存在して、理解し合えなくても良いんだと言うことに思いを巡らせ始めます。
「不思議の国のアリス」では最後に最大の危機があるけど、子供達が「アリス逃げて〜!」っと思った瞬間に、『夢』のネタバレになる。
ここでアリスを心配した子供達は「よかった!夢で!」とほっと胸を撫で下ろします。
子供って、意外と『悪夢』を見る生き物なんです。
みんな忘れてるけど、小さい頃は「トイレを探すのになかなか見つからない」夢を見て、やっと見つかったトイレで用を出すと、実は本当におねしょしてたとか。これは私の実体験です😅
戦争が始まって、親と離れ離れになって、めっちゃ泣いてる夢も見たし、「お化け」から逃げようとして、途中で『あ、これは夢だからなんでも自由にできるんだ!』と気づくんだけど、一生懸命『飛んで逃げろ!』と念じても、地面から50cmくらいの高さしか飛べなくて、困ってる夢とかね。途中で「夢」と気づいても、なかなかコントロールできないの知ってます?
そういう悪夢を見て、目覚めてから「よかった〜夢で!」とほっと胸を撫で下ろした事が何度もあったから、アリスの話は本当に自分の事として共感できたんです。その記憶があるから、『夢オチ』でも、あまり腹は立たない。
世の中に溢れるたくさんの物語は、全部誰かのために書かれているので、他人の評価は置いといて、自分が感動できれば、また頑張ろうと思える。
『夢オチ』作品は、ふわふわとファンタジーの世界を漂っていた心を、「そんな夢みたいなお話、あるはずないでしょ!」と、地面に引きずり下ろしてくれると言う親切なドSの女王様みたいな存在でもあるし、『夢でよかった』と、楽しめる存在でもある。
もうすぐ50歳になる私ですが、母が認知症になったり娘が不登校になったり、息子が留年したりと立て続けに困難に襲われた時は、毎日のように「夢ならいいのに!」「悪夢よ終われ!」と思っていました。
神様、私の人生『夢オチ』で、お願いします!と思ったもんです。
しかし、最近は母も症状が進んだ事で、逆に落ち着き穏やかに施設で暮らしているし、娘も、不登校を乗り越えて、今年二十歳で通信制高校を卒業します。息子も大学中退して就職しました。
一回まわって穏やかな生活が戻ってきた。いろんな悲しい事があったけど、それも含めての大切な時間を経験できた。だけど、これは本当に現実なのかなと、ふと思います。
49年の人生が、もしかしたら生まれたばかりの私がベビーベットの上で見ている夢なんじゃないかと思うわけです。
どこかの地点で、神様は私の願いをすでに聞き入れていて、私に気づかれないように『夢オチ』にシフトしてるとか・・・。
その証拠に、向こうに見える雲の切れ間は、夢から覚醒しかかっている私が薄く開いた瞼で、その奥に見える光は、生まれて初めて見る朝日なのだから・・・・
open your eyes・・・・
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