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美術展雑談『春画展』

何が一番驚いたかといえば、来場者の多さです。いつもは静かなイメージの細見美術館の入り口には、平日の真っ昼間だというのに数人の行列ができていました。しばらく並んでようやく入場すると、会場内は押すな押すなの大盛況です。ずらりと並べられた春画の数々に老いも若きも男も女もしがみつくように見入る様子は、さながら地獄のような極楽のような、どちらにしても異世界に踏み入ったかのようです。
もともと私はアカデミックな美術的考察ができる知見など持ち合わせておりませんが、こと春画に関してはまるっきりの無知であり、単なる興味本位、怖いもの見たさでやってきただけなのです。こんなに春画が大人気だったとは知らず、こそこそ覗き見ようとしていた自分が恥ずかしいです。頭がくらっくらしながら、心の中で叫びました。リビドーに勝るものなし!

そうして若い女性客の群れにヘコヘコ遠慮しながらも、私も鑑賞させていただきました。なるほどすごかったです。
展示物は本や巻物、版画、肉筆画等々フロアをまたぐほどに数多く集められており、その物量というか熱量だけで圧倒されます。作品の中にはグロテスクに思えるほどの直接的な表現のものもありますが、多くは扇情的というよりユーモアを感じうる過去の大衆文化といった趣です。
禁忌、隠蔽などとは違う、秘匿することで感じられるエロスは、いつの時代でも共通なのでしょう。たとえば陰部を妖怪に見立てたり、めくると中身が見える仕掛けだったりと、なかなかに工夫された作品もあって、単純に楽しめます。

北斎の『蛸と海女』は中でも有名な作品ではありますが、私などは映画『北斎漫画』で樋口可南子さんがその場面を演じていたという印象があるくらいで、実はよく知りませんでした。この絵そのものはもちろんとして、その背景に書かれた大ダコ、小ダコ、海女のセリフもインパクトがかなり強いです。
大ダコ「狙ってたこの海女、ついに捕まえたぜ!」(だいたいの記憶で書いています)
小ダコ「親ビン、次はあっしが!」(だいたいの記憶で書いています)
あとは詳しく書きませんが、とにかく変態パワーが振り切れていて、私ごときではついていけません。えげつないです。鶴光師匠も大喜び間違いなしの品性下劣なセリフがびっしりと書かれています。令和の現代であれをやれば、炎上必至です。北斎先生、ゆるい時代で良かったですね。

そんなふうに楽しみながら場内をフラフラしていると、60歳代と見受けられる紳士が女性スタッフになにやら尋ねているところに出くわしました。
紳士はニコニコと穏やかな笑顔で聞いてきます。
「この春画のオリジナルになってる絵は、どこに展示してあるの?」
「そういった展示があると、何かに書かれてありましたか?」
困惑するスタッフに、紳士はなおもニコニコと話します。
「いや、そうじゃなくてね、春画というものは、日本画や浮世絵のパロディとして描かれたものが多くてね、それで、ここでもそういう展示をしているかなあと思ってね」
なるほど、その紳士は春画をアカデミックに語りたかったようです。困る女性スタッフを見て快感を得るタイプだというなら相当な上級者だと敬服するところですが、私が感じた限りでは、どうやら自分はスケベ心ではなくて、あくまでもアカデミックな視点でもって春画を鑑賞しているのですよとアピールしたかった模様です。
その時にはさすがに意見することができなかったので、ここで言わせてもらいましょう。あなた、北斎先生の変態ぶりに比べたら、普通すぎてつまらないですよ。せっかく歳をとったのだから、変態紳士にならなければ損ではないですか。あなたも「次はあっしが!」って、言ってください! 私なら言います!(もちろん犯罪行為に及んではいけません。セクハラなんて低能なことはいたしません。変態紳士は変態であって、かつ紳士なのです)

きっとこの先百年もすれば、現代の薄い本や週刊誌の袋とじなんかも過去の大衆文化として美術品が如くに展示されることでしょう。そこで次代の人々がひしめき合ってホタテ貝のビキニのグラビアに見入っているのです。そして一人の紳士がスタッフに「ホタテというものはね云々」と薀蓄を傾けているに違いありません。その後ろで、私のようにひねくれたヤツがニヤリと笑っているでしょう。ああ、時代はめぐる。いかにめぐれど、いつの世も春画のパワーに学ぶべし。教養なんて笑い飛ばせ。とりあえず、次はあっしが! リビドーばんざい!


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