【アメリカ渡航備忘録】母が全然死なない。診察二回目【1月9日、10日、】
1月9日
従姉妹が帰ってから1日が経って、家の中が少し静かになった。
ぼくと母、それと旦那さんは本来それほど騒がしいのが好きな方ではないのだけれども、従姉妹のアホすぎる様子(失礼)をみて救われていたのも事実である。
何となく感じる空虚感に寂しさを感じている。人がいなくなる、というのはそれだけで影響を与えるものだ。
この日は何をしたのかあまり覚えていないし、手記にも何も書かれていないので以上とする。
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1月10日
母は現在、癌進行中で、ぼくと従姉妹がアメリカにやってきた日に階段から落ちている。そのため、いろいろなところに痣があり、右腕、右足がひどく晴れている。(某タイヤショップのマスコットキャラのように。今にも破裂しそうだ)
そして何日か前にお医者さんが来てくれて、ろくな診断をせずに帰ったんだけど、この日、再びやってきた。
より詳しく調べるために機材を持ってやってきた。骨の様子などがわかるとのこと。触診や問診も交え、診察が進んでいく。
色々調べてもらって、とりあえず骨が折れていないということがわかった。
ただ、肩の骨が溶けているとのこと。どういう理由でなのかは特定できかねるがそういうことで、母の肩は溶けて、もう戻らない。
言葉の意味に衝撃を受け、放心状態になったがよくよく考えると元々癌だ。治りようがない。どこに違いがあるのか。
ぼくがショックを受けて泣くのはお門違いだ。母は泣いていない。旦那さんもだ。
ぼくは親知らずを抜く際に医者から「炎症をおこして中に膿が溜まっている。少し溶けているので間に合ってよかった」と言われたことをなんとなく思い出していた。
事実を知った上でどのようにするかが重要事項だ。以前なら少なからずショックを受けていたと思うが、今は俯瞰的に見れている気がする。
お医者さんが帰ってからもぼくたちはあまり変わらなかった。
夕飯に何を食べるか聞いたり、マックブックプロをアマゾンにてポチったり、投資先のステータスを確認したり、新規事業のパトロンになるべく話を聞いたりしていた。
そして母の姉から支離滅裂なメンヘラ文章が母宛に届き「昔からこう。人の気持ちってものを考えられないバカ」と悪態をつきながらとてつもない顔になっている母の顔を写真に撮り、いじっていたりもした。
「お母さん、すごい顔なってるで」
「お母さん、すごい顔なってる?」
「なってるよ」見せる。笑う。
これは相当に面白かった。みんなで笑った。
ぼくたちはポジティブに行く。
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