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〔ショートストーリー〕夜石

また眠れないまま朝を迎えた。悩みがある訳ではない。昼寝もしていないし、体内時計が狂うような生活はしていない。なのに、夜が来ると目がさえてしまう。電気を消して暗い部屋に横たわると、どうしようも無く落ち着かなくなるのだ。今日も眠れないまま外は明るくなって、鳥の鳴き声が聞こえてくる。僕は溜息をつきながら、諦めてゆっくりと起き上がった。

いつからこうなったのか。はっきりとは思い出せないが、多分ここ数か月のことだと思う。追い込みの猛勉強の甲斐あって第1志望の大学に合格し、ちょうど入学のタイミングでリモート授業から通常授業に戻った。最初は緊張したが、友人も出来て、大学生活にもだいぶ慣れたと思う。だがそれでも、夜が来ると眠れないのだ。

とは言え、授業中に眠くなることもなく、友だちとスポーツ観戦や飲み会にも行っている。傍から見れば、ごく普通の大学生だと思う…夜眠っていないことを除けば。体調は良くも悪くも無いと思うが、何しろ眠っていないので、まともな判断が出来ているかは不明だ。

着替えるためにクローゼットを開ける。洗濯後に畳まなくて良いように、ハンガーのまましまってある夏服ーほぼTシャツだがーから、今日の服を選ぼうとした時、クローゼットの隅がやけに暗いことに気が付いた。
「あれ…?何かあるのか?」
そっと手を伸ばすと、ヒンヤリとした塊に触れた。これは何だろう。掴んでみると、想像よりも重く、大きかった。レンガぐらいあるだろうか。片手では取り出せそうにないので、両手を突っ込んで引きずり出した。
それは、見たことのない石だった。夜空のように暗く、深い色をしている。よく見ると、中に星のようなものがキラキラと光っていた。
「あ!これは…」
僕は突然、全てを思い出した。

今年の初め、入試が近いのに合格ラインギリギリで焦っていた頃。僕は模試の結果が思わしくなく、胃が痛くなるような焦燥感を抱きながら予備校を出た。早く帰って勉強しないと、と思いながら、何故かまっすぐ帰宅する気になれない。帰りの駅とは反対方向の、普段は通らない寂れた商店街に入って、ただブラブラと歩いてみることにした。

すると、商店街の中ほど、雑貨屋と喫茶店の間の細い路地の奥に、小さな店を見付けた。その店の名前はどこにも見当たらないが、店の前の看板の文字は読むことが出来る。
『あなたの欲しい物を差し上げます』
「売ります」じゃなくて「差し上げます」?半端ない胡散臭さ。そう思ったのに、何故か吸い込まれるように青い木製のドアを押し、店に入ってしまった。
「いらっしゃい」
ドアと似た色の青いワンピースの女性が、店の奥から座ったまま声をかける。外から見たときよりも店内は広く、両側の壁には小さな抽斗がぎっしりと並んだ背の高い棚が立っていた。アンティーク調の椅子に座る女性は、若いのか高齢なのか、どちらとも分からない不思議な顔立ちだが、声は低く心地よかった。だか、そもそも店に入るつもりがなかった僕は、何と言えば良いのか分からない。特に欲しい物がある訳では無いとか、間違えて入ったとか、モゴモゴと言い訳を呟きながら店を出て行くチャンスを窺っていた。すると、
「あなたの欲しい物はこれね」
と、女性がどこからか小さな黒い石を取り出し、銀色の小さなトレイに乗せてこちらに歩いてくる。
「いや、あの」
慌てる僕の声が聞こえないかのように、女性は落ち着いた声で続ける。
「これはね、夜石。蛍石の中でも特別な石よ。あなたの夜を吸い込んで、この中に蓄えていくの」
「…は?」
僕は言い訳するのも忘れて、ポカンとしてしまった。何を言っているんだ、この人は。やっぱりここ、胡散臭いじゃないか!早く退散しないと、契約書とかに何か書かされて…
「契約書なんていらないわ。お代もいらない」
突然言われ、跳び上がりそうになった。僕は考えながら口に出してしまったのか?いや、何も言っていないはずだ。じゃあ何で…
「時間が足りないんでしょう?」
混乱する僕を気にすることも無く、深く静かな声で彼女は続ける。
「この石があれば、あなたは眠らなくても大丈夫。あなたの夜を預かってくれるわ。もちろん、無限ではないけれどね」
良く分からないが、これ、絶対に触ったらダメなヤツだ。そう思う僕の気持ちと裏腹に、何故か右手が勝手に伸びる。気が付くと僕は、サイコロぐらいの大きさの正八面体の石をつまんでいた。
「おめでとう。今からそれはあなたの物よ。それをポケットに入れて帰って、寝室の暗い場所に置いてね」
その言葉に操られるように、僕は右手の石をポケットに入れる。
「約束は3つ。誰にもこのことは言わないこと、夜石を暗い場所に置いたら1度忘れること、そして」
彼女はじっと僕の目を見て言った。
「思い出したら、この石を砕くこと」
僕は動けないまま、ゴクリとつばを飲み込んだ。
「預けた夜を少しずつ返してもらうには、夜石を砕かなくてはならないの。あなたがこの石を思い出すのは、壊すタイミングが来た時。だから、グズグズしないでね」
こう言うと、彼女はボールペンのように細く小さな銀のハンマーを手渡してくれた。
「さあ、もう行っていいわよ。幸運を」
僕はロボットのようにそれを受け取り、その店を出たのだった。


全てを思い出した僕は、クローゼットの奥にもう1度手を伸ばした。あった。指先に細く冷たいハンマーの感触。僕はそれを取り出して眺める。
夜石はいつの間にかこんなに大きくなっていた。それだけ僕の夜を蓄えたのだろうが、この小さなハンマーで割れるのだろうか。不安な気持ちを抱えながらハンマーを振り下ろすと、予想に反して、ハンマーが当たった瞬間に夜石は小さく砕けた。キラキラ輝く小さな八面体の欠片は、きっと僕の夜の数だけあるのだろう。これだけの夜を預けて、受験勉強を頑張ったんだ。どうしてもこの大学で学びたかったから。
僕は柔らかい布を探し出し、夜石の欠片を集めてそっと包んだ。このまま置いておきたいが、多分この石は毎夜少しずつ消えていくのだ。そしてこの石についての僕の記憶も。一言、石をくれた女性にお礼を言いたかったが、もうあの店に辿り着くことはないだろう。そんな気がする。
さあ、授業の支度をして出かけよう。精一杯勉強して、そろそろバイトやサークルも考えよう。僕は出かける前に、また夜石の欠片の包みをクローゼットの奥に仕舞うと、静かに部屋を出た。

今夜から、僕の夜が返ってくる。


下のゆきさんの記事を見て作ってみました。拙い作品ですが、公開を快くO.K.して下さったゆきさん、有難うございます!


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