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お客さんは神様じゃない。大切な共感者だ。〜本当の共感者を集めるために

お客さんのは神様ではないと思う。

そこには上下関係はなく同等の関係がある。

サービスをする側、お金を払ってサービスを受ける側は同等だ。

お互いがお互いに敬意を払える関係が理想的だ。

お客さんは共感者だ。

わたしはハンドメイドの作品を作っている。

お客さんは神様ではないといえど軽んじたくもない。

お客さんとはいったいなんなのか。それは私の作品、サービスに良いと思ってくれる共感者だと思う。

私が率直に示した意見や方向性に近しい感覚を持って同じようにそれ良いね👍と言ってくれる共感者なのだ。

私たちは承認欲求を持っているけれど、何を承認されたいのかといえば、

自分らしさや何も偽ることのない素の自分 を認めてもらったり、共感して同じような感覚を持つ人に出会いたいと思っている。

つまりお客さんはその共感者で、そのような人たちがいることで自分と似たような感性の人がいることを嬉しく思えるし自分らしいことが肯定される感じがする。つまりお客さんはかけがえないという意味で大切なのだと私は思う。

自分らしく発信しなければ意味がない

作品を作るとき、働く時、そのサービスを提供するとき。

私にとって大切な“共感者と出会う”といことを目的とするのならば

いつも自分らしくいる必要がある。

偽ったり演じたり、する自分で作品を作ってしまうと、類は友を呼ぶように偽りの自分にシンパシーを感じるお客さんや共感者が集まってくることになる。

そうなると仕事をする限り偽りの自分でいなければならず首が閉まって苦しくなる。長く続けようとおもうほど自分に無理をしいないように発信しなければいけない。

自分らしく発信するために

わたしも今まで演じるように知らず知らず働いていた。そうすると最初は楽しかったものを作ることがだんだん嫌いになってきてしまった。

自分を演じる、偽るとはなんなのか?

私の場合

・お客さんのために働く

・売れるために働く

・効率よく働く

・商品の方向性やクオリティを守るために自分でバランスを取りながら作品を作る。

とてもお客さん思いでポジティブなのだがそれが首を絞めていた。

お客さんのために、自分を犠牲にするときそれは認めていなくても「お客様は神様」状態にいる。お金や効率の奴隷になっている時もそうだ。

泉谷閑示著書(「普通がいい」という病)では、「〜したい」というのは、心を中心とした欲求で、現在を軸にしている。「〜すべき」という感情は、頭を中心としていて過去や未来を軸にしている。心と体は繋がっていて、頭の要求に押しつぶされる時心が病気になったり、体が不調になったりするという考えがある。

そんな時ないがしろにされているものは何か。。

それは自分のしたいという欲求にふたをしているということだ。

・この作品が作りたいのに、売れないから。不本意ながらこれを作ろう。

(この時すでに自分を偽って作品を提供している。)

・あまり作りたいものばかり作っていると特別なものばかりになってしまって、普段作っている素朴な作品が売れなくなるから不本意ながらレベルを落として素朴に作ろう。

(作りたい欲求に蓋をしている)

こうやって毎日自分の心の声に耳を傾けず、したくないのにすべきことにばかり集中していると、

自分を偽り続け、偽りの自分に似た共感者が集まり、その方向性をますます変えられなくなっていく。そうして

「私はこんなことがしたかったのかな?」

「なんかわからないけどこの仕事嫌い!」

と自分の心が反発の意思を示し始める。


本来の自分、素に自分であるために


何より自分本意であるということ。

仕事にもよるだろうけど、ハンドメイドやものづくりの場合

私が私らしく楽しんでいることをお客さん(本当の共感者)は望んでいる。

自分勝手なくらい自分の思うまま夢中に作る作品は魅力的だ。

そして不本意だったり、嫌々作るものを受けとるお客さんはどういう気持ちだろうか。確かにそれでも買ってくれて喜んでくれるだろう。でも自分はなんだかそこも不本意な気持ちになるだろう。

自分が楽しむことだけを考えることは悪くない。

HSPであるのならおさらだ。

HSPは普段から自分より他人のことを考え過ぎてしまう。自分勝手なくらいが世間的にはちょうどいいくらいなのではないだろうか。

だから私は

朝起きたら自分に

・今日はどんな気持ち? ー普通、だるい、なんだかワクワクする、ピリピリしてる。
・今日したいことは?作りたい作品は?


と自分の心に聞いてみる。

そうすると今まで埋もれていて小さなともしびになっていた 心、本音、願望が小さく声を上げる。

それをできるだけちゃんと聞き取り実行する。

そうして心を中心軸に据えると心からの願望はより聞き取りやすくなり、同じ仕事をしていても楽しくなる。

心に従うと活力が与えられる。まるで生きるための燃料は心からの命令に従って体を動かすにあるのではないかと思うように。

作品を作る時もまずは自分が作りたいものを作る。お客さんの期待や売れることや効率は後回しにして。自分の心の声に従って作ってみる。

そうした時すかさず頭からブレーキがかかる。


それ売れるの?疲れそう〜。今までの方向性と違うんじゃない?お客さん離れそう〜。


でも新しいことや変化の時

心は必ず「〜したい」というが、同時に恐怖や恐れが生じる。

そんな時は迷わず行く時だというサインなのだ。


そこで頭からくるブレーキに従ってしまうと、安心と同時に活力、やる気は必ず奪われていく。

しかし心に従った時は燃料は尽きない。

頭に従って働くと嫌になり、仕事は拘束された不自由な時間になるが、

心に従った時間は楽しく、まるで遊んでいたかのような充実した時間になる。

心のしたいことに従って作られたものは必ず自分らしく、素の自分であって偽りがない。

そうして作られたものや仕事には満足があり、そうして集まるお客さんは本当の共感者である。満足は満足を生んでいく。

自分のしたいことがたとえ少数派であるとしてもそれをしなければ本当の共感者に出会うことができない。

毎日全力を尽くすことはできないかもしれない。手を抜く日もある。でもできるだけ心に従う割合を増やしていきたい。






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