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会社のせいにしていると機会損失は膨らむだけ

YouTube中毒者として与沢翼氏の動画は外せない。最近になって更新頻度が上がり、【「新」与沢の流儀】と題して2日に1回の動画アップロードを始めた。最新の動画を貼るので興味のある方は見てほしい。どうでもいいが、与沢氏の年齢は現在38歳。見た目が若い。

彼はこのような自己啓発系の動画を次々と挙げており、現在3本目になる。

No pain, no gainの精神

私はNo pain, no gain(痛み無くして得るものなし)という言葉が好きだ。自分の内面に何か信条や思想を宿すときは何かしらの経験を通すことで得るべきだと思っているし、経験と失敗からしか学びは得られないと思っている。

だから、自分自身は何も経験していないくせに偉そうに良さげな言葉を並べて盲信者を増やすような真似をしているインフルエンサーが嫌いだ。例えば「私は色々な本を読み漁ってこんな価値観を得たから、それをもとにこのようなビジネスをしたら成功した。皆も真似するべきだ」というような発言を堂々としている方々とかだ。温故知新の言葉の通り、先人の教えを活用するのは大切なことだがそれを真似しただけではたとえ成功してもたまたま運が良かっただけとしか言えず、それを周りに流布しようとする行動に価値はない。あくまで経験と学びがセットになって語られることで価値が生まれるのではないかというのが私の考えだ。

その点、例えば与沢氏は動画内でも語っているように「ネオヒルズ族」と呼ばれていた時代の失敗を糧にして今の成功を手にしてきたので発言には一定の信ぴょう性があるんじゃないかと思っている。盲信者になるつもりはない。

経験しなければ機会損失は膨らむだけ

私自身、誰かに自分の過去を話すと、なんだだかんだ失敗を重ねてきていることを都度実感する。与沢氏のレベルには到底及ばない次元の内容ではあるが、大学の頃オール明けで居眠り運転して自損事故を起こしたとか(猛省)、タバコ・ギャンブルで貯金をすり減らしていたとか(猛省)、経験を経て善悪の分別を学び今に至っているんだと感じる。できることなら失敗なんてしたくない、だけど失敗からしか学んだからこそ自分の価値観に自信が持てる。

私がいかに素晴らしい人間であるかを自画自賛したいわけではない。むしろ私は昔から今に至るまで石橋を叩いて渡らないような癖があり、それをずっと恥じている。安定志向が極端に高いのだと思う。

別にそれが悪いことだとは言わないしその結果今の安定した暮らしがあるんだと思うと、「今までの人生、間違った道は歩んできていないのかな」程度には納得できる。だが今までの人生すでに大量の機会損失を抱えているのではと思う。つまりリスクを恐れて行動しなかった結果本来得られたはずのリターンは相当膨れ上がっているのではないと感じている。

今までの経験から私自身リスクに対する感度は高まっている。今の自分の社会的ポジションを鑑みると、これからの人生「間違えないように歩くこと」は多分容易い。

例えば今の会社で働き続けるという選択。

将来的に会社の業績が傾き仮に倒産に至ったとしてもどこかに再就職することはできる自信はある。給料が下がったとしてもゼロになることはない。細々と生きることはできる。自分のせいではなく、会社のせいにできるからだ。

自分で選択をせず受け身の態勢をとり続ける限り私が個人レベルで道を踏み間違えることはない。周りの同情も買えるだろうし、社会的信用が減ることもない。「しょうがない」と自分自身を納得させられるのだ。

でも石橋を(多少は叩いて)ちゃんと渡ろうと歩き始めたらどれだけ豊かな人生を送れるだろうか。失敗しても人生の幅が広がるし成功すれば言わずもがな。本心でそう感じる。機会損失とは金銭だけでなく、失敗から得られるはずの人間的な魅力の取りこぼしのことともいえるはずだ。

失敗したくないからと閉じこもり、不平不満を誰かのせいにしてばかりいると知らぬ間に機会損失は尋常ではないレベルに膨れ上がってしまう。失敗していいから行動しようと、改めて自分を諭す。

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