あえて「好き」だと伝えたい。
―――にゃこちゃんの「好き」は軽い。
好意の安売りは良くない。
と、いままでに幾人もの友人に言われた。
確かに私は比較的「好き」のワードを多用する方だとは思う。
良くないことかもしれない。
でも、少しだけ、聞いてほしい。
◇
私の長所は他人の尊敬点を本当にたくさん見つけられること。
これだけは大昔からずっと胸を張って言える。
どんなに苦手なところがあっても、その5倍10倍と素敵なところを知っている。
ここまではいいのだけれど、、、
私はどうしてもその人がまとう輝きの美しさを本人に伝えたくなってしまう。これはあくまで私の自己満足。
でもね、
「あなたのこういうとこいいよね!!」「かわいい!」
なんて伝えた時、もし私が言われたなら
「いや、でもそんなのは買い被りで…」
って素直に受け止められない気がして。
それなら、否定されずに伝えられる言葉を探さなくちゃ。
そうして行き着いた言葉。
「好き」
「良い」は客観的に他に比較基準の存在する言葉だから否定できるけど、
「好き」は感じた個人の感情だからそれを否定するのってすごく難しくなるよなぁって。
あくまで私が気づいたあなたの素敵なところを相手に謙遜させずに受け取ってほしいってだけのエゴなんだけれども。
でも実際、戸惑われながらもそのまま私の気持ちを受け取ってもらえることが増えたような気がする。
それに、「好き」って口に出せば出すほど、その人自身のことを好きでいられる気がして。
◇
でも、伝え始めると、その好きポイントが相手のプレッシャーになるかもしれないと不安になる。
好きはたくさん伝えるけれど、
その重さはある種の呪いになり得るだろう。
だって私自身「ここが好き」って誰かに言われたら、その相手の好きな自分でいようとふるまってしまう。
でもさ、それは求めてない。
ふとその瞬間に良いと、素敵だと、好きだと感じたところを伝えたいだけなの。
伝えた内容がその人を好きであることの条件ではないから。
そんなことを悶々と悩んで結局、あなたの持ちうるその素敵な性質はもちろんだけれど、
「あなた自身が大好きなんだ」ってしっかり伝えるようになった。
◇
きっとほかの人より好意を伝える機会が多い私。
そんなことしてたら誰かにいつか刺されるよ、なんて笑って言う人もいる。
もちろん、普段の生活で本来頻繁に現れる語彙ではないから、齟齬も生じるだろう。それはもちろん留意して、使うタイミングも相手もかなり丁寧に選択しているつもりだ。
本当に好きな人ができた時に想いが伝わらないよ、なんていう友人もいる。
でも待って、もう既にその子が大好きだから私が「好き」て言葉を使うに至ったんだよ。
たしかに、何度も口にすることで私の持つ「好き」の受け取られ方の価値が下がるのかもしれない。でも私が伝える好意の尊さは数が増えたとて変わらないの。
もし「好き」が伝わらなくなったら、もっともっと言葉を尽くして選んで私が見つけた私の大好きな人の素敵なところを本人に伝え続ける。
いいのか悪いのかわからないけれど、これが今の私の人間関係で、私らしさの一つで、大好きな人を大切にしたいがゆえの結果だから。
嬉しすぎて空飛べそうです。焼きプリンを食べます。