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広島の小学生だったわたしが #ひろしまタイムライン を見て感じたこと

Twitterで #ひろしまタイムライン という企画が行われています。
原爆が落とされた75年前にTwitterがあったら、という擬似投稿のアカウントです。



「この企画考えた人、天才か…」と思いました。
実在した人の日記を元にしたツイートからは日常がリアルに浮かびあがります。


8/6の朝までは戦時中の日々の暮らしが、それ以降は地獄絵図となった広島の様子が悲痛な呟きで伝えられています。


わたしは広島出身です。
子供のころ、学校で毎年必ず「平和教育」の期間がありました。

学年ごとに原爆を題材にした映画を観たり。
全校生徒で千羽鶴を折って平和公園内にある「折り鶴の塔」に届けたり。
毎年必ず、です。


広島で育った者と、そうでない者の価値観の差を感じることがたまにありましたが、 #ひろしまタイムライン は今を生きる人に原爆のことを伝える手段としてめちゃくちゃ有効だと感じました。


原爆を題材にした映画では普通の人の、普通の日常が一瞬で地獄絵図に変わる光景がたくさんの作品で描かれていました。

その落差があまりに怖くて、子供のころは繰り返し夢に出てきていました。
「あと数分で原爆が落ちるから、少しでも遠くに逃げて隠れられるところを探さなきゃ」
とパニックになる夢です。

#ひろしまタイムライン では、それに近い感覚を感じました。
普段使っているTwitterというツールで目にすることで、よりリアリティがあります。

広島で生まれ育ったわたしも今では東京暮らしの方が長く、平日の朝8:15は出勤だし土日はまだ寝ている時間。

8/6が特別な日であるという感覚は正直だいぶ薄れてしまっています。

が、子供の頃に繰り返し教わった原爆の恐ろしさは今もしっかりと覚えていますし、どんな理由であれ戦争に反対である姿勢は一生変わらないと思います。

ぼんやりとしていた平和に対する想いというか「広島人の血」のようなものを、思い出させてくれたのが #ひろしまタイムライン でした。

3人のツイートを読んでいると、まるで本当に彼らが今同じ時代を生きているかのように錯覚してきます。

だからこそ、75年前の原爆被害をリアルに感じられるし、他人事ではないという気持ちにさせられます。

これはわたしが広島出身だからではなく、3人のツイートを目にした人にそれぞれの形でリアルに伝わっているのだろうと、リプライを見ていて思います。

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どうして戦争がなくならないのか、子供のころは不思議で仕方ありませんでした。

でも #ひろしまタイムライン と同じTwitter上で目にする誹謗中傷や酷いデマ、自粛警察、同調圧力。

「間違っている」と感じたことに対して、必要以上に強い言葉や態度で攻撃する姿があり。

その一方では雰囲気に流されて想いや意見をうやむやにしてしまう姿もあり。

人という生き物は過去から学ばず、その場その場で都合よく生きるようにできているのかもしれません。

そんなんじゃ戦争がなくなることもないよなと、悲観的な気持ちになってきます。

#ひろしまタイムライン も、誹謗中傷も、同じTwitter上で起きている出来事だというのがまたなんとも…人の醜い部分を炙り出しているように見えます。

「人」という単位で見ると範囲が大きくてとても複雑な色・形ですが、もっと範囲を狭めて自分の身の回りから考えていくしかなさそうです。

わたしにとっての最小単位は自分と、この家で暮らす3匹の猫と1匹の犬。

いぬとねこは、何があってもわたしが守らなければなりません。

そして自分自身のことも。

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戦争だけじゃなく、災害でも「普通の日常が一瞬で失われる」可能性はいつだってあります。

というか、普通に暮らせているだけでも奇跡のようなもので、少しも当たり前じゃないはずです。

自分といぬとねこと、それからもう少し範囲を広げて周りのために何ができるのか、これからも自問自答が続きそうです。

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なんとしても守るよ、この穏やかな寝顔。


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