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「起立性調節障害」って知ってる?


みなさんこんにちは、万貴です。


みんなが過ごしている地域は雪がなくて、もう暖かいのかな?

北海道は雪ラストパート!って感じで
まだまだ春の訪れは感じられません😓

早く上着一枚で、ポカポカいい天気の中を散歩したいなぁ。



そんなこんなで今日は、少しだけ真面目なお話。


noteを始めるにあたって、いくつか自分が書きたいことや
自分が書くべきことを最初にリストアップしてました。

今回のお話は、先ほどの後者。
私が ”書くべきこと” だと思っています。


少しでもこの記事を見て、心が動く人がいればいいな



では、本題へ。




みなさんは起立性調節障害って聞いたことがありますか?



起立性調節障害とは ↓

起立時にめまいや動悸、失神などが起きる自律神経の病気を「起立性調節障害」といいます。小学校高学年から中学校の思春期の子どもに多く、中等症や重症の場合、朝なかなか起きられないことから不登校につながることも。実際に不登校の子どもの約3分の2が起立性調節障害に悩まされているといわれています。自分の意思ではどうにもならない病気のため、保護者が起立性調節障害への理解を深め、適切な治療や生活習慣の改善に取り組んでいくことが大切です。
そのほか、食欲不振や顔面蒼白、倦怠感などの症状が表れることもあります。なお、別名はOD(Orthostatic Dysregulation)といいます。
ー引用 Doctors File  https://doctorsfile.jp/medication/481/


簡単にまとめると
自律神経の乱れにより、朝思うように起きれなかったり
低血圧の影響で激しい運動ができなかったりします。

この病気が発症する主な年代は、上記にある通り
思春期の10代が一番多く、最長で20代の若者もいると言われています。

ほとんどの発症者が思春期真っ只中の子達なので、
朝 起きたい時間に起きれないところから始まり
学校を休んでしまう。
そのループにはまってしまって抜け出せず
不登校になってしまう。
この流れが出来上がってしまっているのです。

また、女性の方はわかると思いますが
生理期間の気だるさが無条件でずっと続いているような、
そんな辛い日々が続く感じです。

この病気にかかっている子達はとっても苦しいんです。




というのは

私も起立性調節障害だったから、痛いほど気持ちが分かるの。





私が起立性調節障害になったキッカケ



病気が判明したのは今から6年前、中学一年生の時。

吹奏楽部に入部して初めての夏のことでした。
私の中学校の吹奏楽部は毎年、コンクール時期になると
3階にある音楽室から飛び出し
体育館で合奏(みんなで音を合わせること) をしていました。

私は打楽器パートで、
大好きな先輩方と楽器に囲まれながら
夏のムンムンとした暑い空気の中
せっせと楽器運搬に勤しんでいました。

全てが初めてのことばかりできっと張り切りすぎていたんだろうなぁ 笑

そんな感じで過ごしているうちに
半ば熱中症みたいな感じになっちゃったんです。
気になる点は ”半ば” ってところですよね。

その後気を失ってしまったんです。
えーーーーーー!ですよねほんと 笑

その後親が呼ばれ、緊急搬送され、病院へ入院。

今考えればとんでもない流れでした。

(その日ちょうど姉の誕生日で、「まきが死ぬかもしれない!」って気持ちでみんな盛大に姉の誕生日を祝えなかったこと、家族に多大な心配と迷惑をかけたこと、いまでも姉と親に申し訳なく思っています。あの時はごめんね)



何日か入院した中で判明したのがOD、起立性調節障害。


その当時この病気は有名ではなかったし、そう診断されている人も少なかったように思います。
(診断はされていないけど同じような症状を持ち、苦しんでいた人達は山ほどいたと思う。)


そんな時に心強い主治医の大島先生に出会います。

今でもあの出会いに感謝だなぁと思い返すときがあるほど
主治医の大島先生に救われました。
あの時はありがとうございました!
どこかでこのnoteを見てくれてたら嬉しいな。


それから大島先生とお話しして薬を処方してもらうことに。
血圧を上げるお薬です。

それを朝晩飲み続けること。

そして何より大切なのは生活習慣を狂わせないこと。


起立性調節障害完治の一番の敵は不規則な生活なんです。


ようは、三食しっかり食べる・早寝早起き・睡眠時間を十分に取ること。

これが完治への一番の近道なのです。


え、??そんなんだけでいいの?


そう思いますよね。

でもそれが、思春期の子供たちには難しかったりするんです。


ついつい夜更かししてしまったり、偏った食事をしてしまったり。
誰もが学生時代に経験したことがあると思います。

そんな自分との戦いでもありました。


学校が始まってからも、今までと同じ生活ができないことに気付きました。


体育の激しい運動ができない。
みんなは陸上競技記録会に向けてだったり、
体育の大事な成績が決まる長距離走の授業に普通に参加できるけど
低血圧持ちの私は同じようにみんなと一緒に走れない。

それをわかってくれる子もいるけど
まだ未熟な中学生にはそれをズル休みだと思う子もいた。

合唱コンクールの朝練習。
みんな熱を持って、眠いけど頑張って朝集まってるのに
その練習にも遅れて参加してしまう。
教室に入ればみんなの顔がこっちを一斉に向いてくる。
合唱曲一曲分立っているのも本当はめちゃめちゃキツい。
足の方からフラフラしていく感覚が自分でも分かる。

でもズル休みじゃないの。
心から居心地が悪かったのを今でも覚えてる。


ちゃんと友達もいたし、
私のことをそんな批判的に見てなかった人もいたのだろうけど
その時の私はまだまだ未熟で
そうゆうネガティヴな考えしかできなかった。
なんせ中学の時だし。


今なら全部ひっくるめて明るく生きれるんだけどなぁ!笑


中学三年生の頃にはほんと少しだけ症状が和らいでいました。
でもその時は
”治す” というより ”うまく病気と生きていく” ことを心がけていました。

自分がキャパオーバーする手前で歯止めをかけること。
これ実は結構難しいです。

でもその時も周りの人に救われました。

中学時代はなんでも死に物狂いで、自分がやらなきゃ!みたいな感じで
活動していました。
(今思えばそんな頑張らなくてよかったことばかり)


そんな時に
奥田ちゃんと休んでる?」「一回水飲んどいで。
って一言をかけてくれる先輩・同期・後輩・先生がいたから
なんとか歯止めをかけれていました。

自分の中でも
「あ、こんだけ動いたら自分苦しくなるんだ」とか
「こうゆう事は周りに任せてもいいんだ」とか
この病気のおかげで学べたことがたくさんありました。



そんな私にもみんなと同様に高校受験がやってきます。

もともと公立高校を受験しようと考えていたのですが、
ひょんなことから私は私立高校の大編成吹奏楽部に憧れを持ちます。

『大好きな音楽を続けたい!!』

そんな私の思いが親に届いたのか、
私の心身の健康が一番だと、いくら偏差値が低い学校だろうが
まきがやりたいことをやって楽しく過ごせるのが一番だと
私の親が考えてくれた結果なのか。

答えはきっと後者ですが、私の人生において
私の親がこのタイミングで下した決断は
のちの私にとって、とても大きいものになります。




高校生活、病との戦い



そんなこんなで無事念願の私立高校へ入学㊗️

私立高校ということもあってなのか、
私の高校の先生はすんなりこの病を認めてくれて
中学の時より過ごしやすさは倍増していました。

(中学の頃の先生方も十分理解してくれたし、力になってくれました。)

きっと私は周りの大人に恵まれていたのだと思います。

親にしろ、学校の先生にしろ、
ちゃんと話を聞いてくれて体調を心配してくれた。

そして何より、同じクラスに低血圧、または起立性調節障害の子がいたんです。

「私だけじゃない」

そう強く思えた瞬間でもありました。心強かったです。



部活動は小編成から大編成へ。

大編成ならではのキツさも正直ありました。
でも大編成だからこそ、甘えが通用しなかったんです。

「病気持ちだから。」

そんなこと、
大先輩の前じゃ、
死ぬほど努力している同期の前じゃ口が裂けても言えなかった。
そんなことを言い訳にしたくなかった。


今思えば
その思いが自分の背中を押す良い薬になっていたのかなとも思います。


朝練に参加したいから前の日必ず10時までに寝る。

そんな良い生活習慣を築いていけていました。
今思えばとても部活動にありがとう!


部活動をやっていく中で、先輩方も顧問の先生も同期も
理解を持って接してくれる方ばかりだったので
たまに具合が悪くなる事はあっても頑張ることができました。
(多分この部活のおかげで心身ともに強くなれた)

そして
高校生活における自分の居場所を見つけた気持ちになりました。



でも私の中の問題はクラス。

全てのエネルギーを部活に懸けていた時代、
部活に合わせて自分の体調をコントロールしていました。

っていうのは部活に全力を出したいから、
午前の授業はお休みしてお昼休みから登校する
そんなようなもの。

もちろん欠席日数制限みたいなのはあったから
うまく逆算しながらね。

部活の人は、そんな私のサイクルを分かってくれている。

けれど、クラスの人からしたら

「1時間目、または2時間目、なんなら昼からやってくる奴。」


ま、そりゃそうなんですよね。
クラスに私のことを分かってくれる友達がいたから辛くはなかったよ。

でも
「また今日もサボったの〜?」
なんていう心無い言葉には毎回心が慣れなかった。
ノリだとしても。


授業中にガラガラ大きな音が鳴るドアを開けて
自分の席に座るまでの時の流れは
毎回遅く感じたし、みんなの顔をちゃんと見れなかった気がする。


そんな時に隣の席の人や友達が
「おはよ」って声をかけてくれただけで
嬉しかったなぁ。ありがとう。



そんな生活を続けること、2年が経ちました。
高校二年生の頃。


定期的に病院へ通っていましたが、
時を重ねるにあたって徐々に回数が減っていきました。


っていうのも本格的に症状が緩和してきたんです!

薬も前は朝晩飲んでいたけれど
朝1錠だけでちゃんと生活できるようになったりと

健康体への希望が見えたわけです!


その月の診察で、病院卒業を言い渡されました。


約5年に渡る病との戦いに終止符を打つことができました。


もーーーーーー嬉しかった!

でもきっと私より、同期より、先生より
私の親が喜んでいたような気がします。


お母さんは毎回毎回遠い病院へ行くのに付き添ってくれました。
一番側で私の健康を祈っていたし、
どんな時でも一番側で支えていてくれていたのは間違いなく私の母です。

お父さんはしんどい時にいつでもすぐ迎えにきてくれました。
私が自転車で高校まで行こう!と決断し家を出てチャリを漕ぎ
坂道で苦しくなってその何分後かに具合悪くなったときも。笑
今ではとんだ笑い話だけど、
娘を愛していないとそんなことしてくれないよなって。


私がずっと大きな心配と迷惑をかけ続けた親にとって私の”病院卒業報告”は飛び上がるほど嬉しいものでした。



そんな時に気づくんです。



経験者は、語りたい。



ここは是非、語らせてください!


起立性調節障害を患った子供達にとって大切なこと。

それは周りの人間の理解・認知と協力です。


周りの人間というのは
まずその子の親・先生を指します。

病名が判明しないうちは
「なんでこの子は朝寝坊ばかりするの?」
「なんでこの子は遅刻ばかりするの?」

そんな風に親はその子のことを責めてしまうことがあると思います。

不安が怒りへと変わっていってしまう。

でもその行動は、その子からのサインです。
少しでもあれ、?って思ったら病院へ連れてあげていってください。
もし何もなくて健康体だったらそれはそれで安心だし、
もし起立性調節障害と診断されたとしても
病名を分りながら生活するのとしないのとでは天と地ほどの差があると思います。


今、起立性調節障害と診断される子はとっても多いです。

大きな不安を感じるとは思いますが、
その子が一番生きやすい環境を作るためにもお願いしたいです。


先生には、毎日じゃなくていい、たまにでいいから
その子の体調と心の中を聞いてあげて欲しいです。
起立性調節障害って精神状態が症状に出る場合が多いと思うんです。
そんな時に学校の中で、一番頼れる大人であって欲しいなと願います。


また、周りの人間っていうのはその子の友達も指します。

自分の症状を分かってくれる人が一人クラスに居るだけで
教室の重いドアを開けようと思えます。
クラスでの居心地が良くなります。

中学生だろうと高校生だろうと、何歳であろうと
自分がその子の友達だと思うのなら
その子のそばにいてあげてください。
あなたがその子の居場所になるんです。

その子がドアを開けた時に一言
「おはよう」っていってあげてください。


私からの、心からのお願いです。







起立性調節障害と戦うあなたへ



今、とても辛くて苦しくて悔しくて
でも頑張って今日も生きているみんなは
めーーーーーーーーーっちゃえらいです!!

テストで言ったら100点満点中100点!

もしあなたが近くにいるのなら今すぐ抱きしめたいくらいです。



自分と自分の大切な人たち、
それは人それぞれだと思うけれど
家族だったり、友達だったり、先生だったり

そんな人と会話するために、一緒にご飯を食べるために
そんな人たちの顔を見るために
明日も生きようね。


そしてそんなあなた達にとって大切な人たちは、
あなたの健康と幸せを心から願ってくれているよ。


そんな人たちを悲しませないためにできることは何かな?


小さなことかもしれないけれど

夜早く寝て自分の体をゆっくり休ませたり
薬を忘れずに飲んだり
作ってくれたご飯をよく食べて

あなたが元気になることじゃないかな。


病はいつかあなたの体から離れて行くの。

でもそれはあなた次第でもあるんだよ。


心から自分の幸せと大切な人たちの幸せを願うのであれば、

小さな一歩から踏み出してみて欲しいな。


私はいつでもこのページからあなたのことを応援しているよ!



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



長くなってしまいましたが、
私の経験から伝えたいことは全て書き上げたつもりです。


”病はいつかあなたの体から離れて行く” と書きましたが
まさにそうで

私は今一人旅ができるほど 海外へ行けちゃうほど
元気モリモリなのですから!実証済み!


だから、親御さんも、あなたも明るい未来を想像して、自分の夢を抱いて、日々できることを頑張って欲しいなと思います。


私が元気に生きることによって
いつかあなたの指標みたいなものになれたらいいなって思っています。



ここまで長い文章を飽きもせずに読んで下さり
本当にありがとうございます。


今回の投稿がいろんな人の心に届くといいな〜!


ではまた!


万貴




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