テクスト上の混乱について

アルターエゴというものが内面に存在しているという時、何をエゴと呼び、何をアルターエゴと呼ぶかにおいて混乱が生じているように思う。
それは自己のなかでいわゆる主導権争いが起こっているということにも等しいのだと思う。
アルターエゴが発した言葉をエゴが熟考のうえそれを自分の言葉として発するということもある。
そこでエゴとアルターエゴとが混淆しているというような事態にもなるのだろう。
エゴとアルターエゴがどちらが自分のメインの意識というか、〈私〉なのか。

その点が分からず、ただその時々で何かをエゴと呼び、その反対をアルターエゴと呼んでいるだけで、読み手は分かりにくいだろうなと思う。
現在、
エゴ:意識はやや女性寄り、一人称は「私」、臆病なところがある、性格は割合従順、普通の性格
アルターエゴ:意識は男性、一人称は「俺」「僕」、饒舌、自己主張が激しい、反抗的、面白い性格
こんな感じになっているのだと思う。

エゴとアルターエゴをこのようなものとして定義するけれど、それはアルターエゴの声が若干、解離性幻聴に近い形で脳内で聴こえているのに対し、エゴの声は自分で能動的に発している感覚があるため、幻聴という受動的体験か、それとも自己触発の声かという2つの違いがあるから、自分の方をとにかくエゴとして良いのかなと思っている。

アルターエゴの声、それが受動的に聴こえている。
そのような体験をしている人が他にいるとは思うし、そういう人と共有したいこともあるのだけれど、
それについては、解離の当事者同士で刺激してしまうこともあるみたいで、医者の介在が必要になってくるかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?