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言葉の花束ーアキの詩集No.72


1.「曼珠沙華は悪い花」

曼珠沙華は
赤くて
妖艶な花

彼岸に咲くから
彼岸花とも言う

まるで
花魁の簪のような
花弁

その魅力に
惹きつけられて

花を摘んで
髪に挿したくなる

手を伸ばせば
「いらっしゃい」と
手招きしているかのようだ

摘もうとすると
「あなたは
毒がお好き?」と言ってくる

「なんで?」と
聞くと

「私には毒があるの。
根っこのほうにあるのだけど
そんな毒々しい女を
あなたは好きになれて?」

そんなこと言って
脅してくる

毒があるのは
根っこだけなんでしょ?

なら
花だけなら
良いんじゃないの?

あれこれ
悩んでいると

「あなたには
毒のある女は早いみたいね。
早く
帰りなさい」

なんて
あしらわれてしまった

あぁ
悪い女だ

でも
そんな態度が
また
いい

毒のある女なんて
近づいて触れてもしたら
痛い目見る

分かっていても
もう
求める気持ちが
止まらない

悪い花に
溺れる
心地よさ

味わってしまったら
最後

彼女を
手に入れたら

あなたも
彼女の毒にやられて
手に入れられてしまうだろう



2.「愛する者のために、というエゴ」

自分の
愛する者のため
守りたい人のため
奮闘することは

一見すれば
格好が良い

けれど
裏を返せば

自分が愛していない人
守りたくない人のためには
何もしない

または
守りたい人のために
傷つけてもいい
苦しめてもいい

そういう意味も
孕んでいる

人は
自分を受け入れ
愛してくれる人

自分を
守ってくれる人を

愛して
守ろうとする

それは
愛の反響とか
共鳴とも言うのか

自分にとって
都合の良い人を
大切にしようとするから

結局
その行為の根源は
エゴなのかも知れない

エゴが原動力となって
行ったことは

どこまでも正しいように見えて
どこかしら
矛盾や綻びがある

自分のその
エゴのために
何かを犠牲にしているとしたら

それを
正義と言えるのだろうか?

もし
何かを犠牲にしているとして

自分は
胸が痛むか?

それとも
何とも思わないか?

真の愛は
無条件と言うけれど

全ての人を
同じように愛し
大切にするのは難しい

だから
開き直って
自分にとって都合の良い人だけを愛し

まずは
自分が出来る限りの愛を
その人達に注ごうとするのも
正しいのかも知れない

それしか
出来ないかも知れない

それだけ
人は弱い生き物だ

でも
愛する人達の範囲を
広げていく努力を
私はしていきたい

それも
エゴかも知れないけれど

私が
こうしたいと思う道を
歩んでいきたい

そうしなければ
それが
正しいことなのかどうかも
分からないから



3.「私の意地」

今まで
私をとことん虐め
差別し
貶めてきた人が
結構いる

そのせいで

私は底辺を生きている

それで
「あんたのせいで」と
恨み続けたら
思うつぼ

それじゃあ
面白くない

今の人生で
喜びを見出し

やりたいことに
どんどんチャレンジして
見返してやりたい

そして
貶めてきた人達に
「あんたのおかげで幸せです」と
言ってやりたい



4.「生きることについてのつぶやき」

過去の自分が

どんなに
臆病者で惨めな人でも

過去の自分が

どんなに
色んな人を平気で傷つけるような
悪党でも

それを基盤として
徐々に
愛することを知っていって

人を大切にすること
思いやりが
出来るようになっていったから

今の
私がある

初めから
正しい人はいない

おそらく
人は悪から
スタートするんだと思う

でも
心の畑には
ちゃんと
優しさの種がある

その種を
大事に育てていけるかどうか

芽を出して
きちんと成長させて
大きな木になれるかどうか

それが
大事だ

人は
いくらでも
やり直せると言うけれど

どんな躓きも
過ちも

愛を知り
人として成長する糧とする

そういう
生きる強さを持つことで

人は
いくらでも
成長し続けることが出来る

まったく傷も苦しみもない人生に
どんな気づきがあるのだろう?

知識だけの正義や愛は
正直うさんくさい

生きていく過程の中で
いかに
喜怒哀楽を感じて
その中で学んでいくこと

そこに
生きる意味がある

どうせ生きるならば
正義のヒーローだけでなく
悪役もやりたい
憎まれ役も
とことんやろうじゃないか

色んな役を経て
蓄えてきたものは

自分という人間を
より深みのあるものに
してくれている



5.「無理しなくて良いよ」

無理しなくて良いよ

笑えないとき
元気が出ないときは

無理して
何かをしなくて良い

思うように結果が出ないときは
自分の何かが
整っていないとき

そういうときは

自分が整うまで
自分に手を当てて
「ありがとう」という気持ちを込めて
さすってあげて

自分の手からにじみ出る
温かなエネルギーが
自分を癒してくれる

癒されて良いんだよ

自分が
その許可を出して
癒しの力を受け取ることが出来れば

次第に
自分が整っていくから

結果を出せない自分に
発破をかけるよりも

そんな状態になるまで
頑張り続けた自分を
労り

無条件に
自分を愛し
受け入れてあげて

落込んでも良い

弱みを見せても良い

人生には
浮き沈みはつきもの

その状態も
優しく包み込んであげて

どんな自分も
大事な私

そう思えれば
少しずつ
自分を受け入れられて
自信もついてくるし

次第に
生きる力も湧いてきて

再び
笑う元気も
戻ってくるはず



6.「家族や夫婦関係のあり方」

兄はまた
何も告げずに
ふらっと家出をし
おそらく先輩の家へ行った

両親は
休みとなればしょっちゅう
外出をする

ラブデートというわけではなく
たいていは
母が父を半ば強引に
自分の都合に付き合わせて
連れ回している

我が家の現状を見て
家族って何だろう?て
つくづく思う

家族とは
一番基礎となる
「社会」である

社会には
人と人が上手く
折り合いをつけるための
ルールが存在する

我が家には
ルールというものが
一切ない
無法地帯だ

門限とか
なければ

きちんとした
報告連絡相談も
ない

たまに
電話にて
「今、どこどこにいるんだけど」と
連絡が来るが

それ
何で出かける前に
言わないの?

人の都合とか
考えていないと思う

みんな自己都合で
動いていて

気が向いたら
ついでのように
言うだけ

他者のことを考えて
相手を思いやって
行動するということを

一切教えない

だって
親自身も
出来ていないじゃん

基本的な
相手への思いやりの仕方から
社会常識やマナーとか

仕事が忙しいことを理由にして
なぁなぁにしてきたし

そのせいで
兄は
優しい人間ではあっても
相手を思いやるスキルが足りない
自己中人間になってしまった

年金手続きなど
一人前の大人ならば
出来なければならない
様々な作業を

「教えて欲しい」と
お願いしても

あまり積極的に
教えてくれない

「こっちがやるよ」と
言って
やんわり断ろうとするの

それ
優しさのつもり?

何も出来ない大人に
そんなにさせたいの?

ある意味
親としての責任がないと思う

半ば強引に
自分でやってみたりして
自立しようとするけれど

出来れば普段から
何かしら手続きをするときは
私を同伴して
色々経験させて欲しいし

事後報告でいいから
何をしたかの
概要を教えて欲しい

親はいつまでも
元気じゃない

私はそんなに器用じゃないから
いざ
やらなきゃいけないというときに
行動出来ないかもしれない

そういう私の気持ち
あまり分かっていないと思う

親の責任って
子どもに衣食住を与え
生活を保障するだけじゃないと思う

一人前に
育て上げること

そのために
経験させること

そのために
色んなことを
親も子も一緒に考えて

お互いに
学び合い
成長し合うこと

それがないと
家族の意味がないと
私は思っている

自己都合のために
父を連れ回し
父に依存する母

その母を献身的に
支えているつもりの父

この共依存関係に
果たして
学び合いや
成長はあるのか
疑問だ

この共依存に
「おかしい」という疑問を抱かず
何も変化を起こそうとしない

その時点で
学ぼうとしていない
気付こうとしていない

だから
成長がない

夫婦は
依存し合う関係で
終わってはいけない

お互いから
学び合うことで
成長し合う関係

私が
家庭を持つならば
そういう関係を
築きたい

そのためにも
腹を割って
話し合える関係を
家族で築きたいと思う



7.「鎧」

きれいで
華やかな服よりも

私は
実用的な服を
着ていたい

ただ
不思議なのは
私のイメージの中では

なぜかいつも
鎧を身にまとっている

動きやすい格好を好むのは
分かるけれど

私は
何と戦おうとしているの?

私のスタイルって
ワイルドなんだね

蝶よ花よ
色恋よと
歌うよりも

私は
世の理不尽と向き合い

筋を通し

守られていない者達のために
尽くしたい

そういう気質だから

イメージの自分は
常に
鎧なんだね



8.「陣取り猫」

布団にどんと
陣取る
2匹の猫

その傍らで
隅の方に押しやられ
身をよじって寝る飼い主

あのぉ
この寝床
私のなんですけど?

と言っても
知らん顔

猫様々だ

あぁ
体痛い

でも
可愛いなぁ

女王様達を
撫でる喜びに浸る

至福の時



9.「私の誕生日に願うこと」

今日は
私の誕生日

昔ならば
何か素敵なプレゼントを!
とか
どこか行こうよ!
とか

色々
おねだりしただろうけれど

この年になると
美味しいケーキがだべられるだけで
満足してしまう

誕生日だから
何か特別なことをしたい

というよりも

誕生日だからこそ
いつもの日常を
平穏無事に過ごし

ささやかな幸せを
感じたいと思う

帰る家があって

迎えてくれる
家族がいて

一緒に
ご飯を食べる相手がいて

安心して
語り合える
傍に寄り添い合える
人がいる

そういう
普段の日常を
平穏に過ごす要素の一つ一つが
当たり前にあるけれど

実は
その当たり前が
当たり前として存在していることは
凄く幸せなことなんだと
気付いて

だからこそ
その当たり前の一つ一つを
大切にしていきたい

そう
思うようになったんだ

家族が常に
一緒にいる必要は無い

みんなそれぞれ
やりたいことがあって
みんなの都合もあるから
束縛するつもりはない

けれど
なんか我が家って
みんな自分の都合しか考えてなくて
心がバラバラな感じがする

離れていても

映画とか一緒に見て
何か同じ事を楽しむ
ということをしなくても

お互いを想い合って
心を繋いでいる

そういう絆を
築いていけると
良いんだけれどなぁ

当たり前のように
家族が家族を想い合う

それがあって
それを感じることが出来れば
他はいらない

ささやかな幸せを
家族とかみしめる

その日常があれば
私は十分幸せだ



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