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アキのエッセイNo.62ー出来ることを強要しないOTでありたい

こんにちは、アキです。

4月からOT(作業療法士)に復帰した私ですが

ここ最近、思ったことを書きます。


私は病院の作業療法士として勤務し

現在、研修中です。

そこでは色んな患者様がいて

色んなリハビリが行われていますが

そのリハビリの目的は

「機能の向上」または「機能の維持」を行なうことです。

「残存機能を使って出来ることはなるべく自分で行ない

難しいことは道具や他人の力を借りて行う」というスタンスで

リハビリを行うわけですが

機能を上げることに意識が向き過ぎては

それは「出来ることを強要していること」になるのでは?

思ってしまいまして。


例えば、注意機能障害のある患者様がいて

机上訓練にて数字の探索や迷路課題を行うことがあります


そのリハの目的は

注意機能の向上、または維持です。


なぜ、それを行うのか?


日常生活における

注意機能の低下による弊害

例えば、家事や仕事を行う人であれば

2つ以上の作業を並行して行うことに支障が出たり

(料理を2品以上作っていて、「フライパンで炒め物」を作りながら「サラダ」を作っていて、サラダに気を取られていて炒め物を焦がすなど)

他にも注意機能の障害による弊害はありますが

それらを防止するために行うようです。


しかし

機能を訓練することで

どれだけ生活に反映されているのか?

機能訓練だけを行って確認することが出来るのでしょうか?


実際に

生活の場を模して、実施した上で

何が問題になるのかを評価し

それに対し対応策を考えていかなければ

意味が無いと思うのです。


また、機能訓練中心のリハビリの問題点と言いますか

必要以上に機能の向上を求めることにならないか?

という疑問があります。


いったん障害を負って

リハビリにより機能が向上できたとしても

健常者と同じレベルまで回復することは

難しいケースが多いです。


先ほど述べたように

生活に焦点を当ててアプローチをしていけば

たとえ機能が低下し

何らかの症状があったとしても

生活の工夫(道具の使用、他者の見守りや介助など)により

対処可能である

その対処にはどれくらいの機能があればいいかも

おおよその目安が分かると思います。


一方、機能訓練を中心としたアプローチのみで完結してしまえば

生活の工夫により

ある程度障害があったとしても対処可能であるはずなのに

どこまでの向上を目安としているか分からないとなると

無制限に機能の向上を求める結果になるのでは?

と、私は思うのです。


機能向上を目指すにしても

「何のために行うのか?」

「どう、生活につなげていくのか?」

その目的を明らかにしなければ意味がありません


機能訓練は必要なレベルまで行ない

あとは生活の工夫で対処する。

機能訓練と併行して、実際の生活の場面を模してアプローチをする生活訓練にも重点を置くべきだと私は思います。


また

生活訓練をする際にも

レベルアップをどこまでも目指すのではなく、出来ないことも受け入れて、出来る範囲でやれる工夫を提供できる

そういうリハが必要だと私は思います。


出来ないことを受け入れる

障害の受容を手助けするのも

リハ職の役目ではないかと私は考えています。


私のことを例に挙げますが

発達障害である私は

「頑張れば普通になれる」という親の言葉を信じて

人並みになれるよう努力してきましたが

普通のふりは出来ても

普通にはなれませんでした。


無制限に努力し続けた結果

得られるものなんてありません。


出来ないことも受け入れる

それが出来るようになって

私は「こんな私でもいいんだ」と思えるようになり

心が救われました。


人並みでなくても

案外、生きられるものです。


自分の経験を通して

無制限に出来ることを強要するセラピストにはなりたくない

障害を負っていても

生きていくことは出来る

機能を上げることが全てじゃないと

伝える事が出来るセラピストになりたい

私は考えています。


今日はこのような形で締めくくります。

お読み下さりありがとうございます!
































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