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恋が難しい

ここでは私の気持ちを最大限に表すことができる。
だから意のままに記そうと思う。

タイトル通り、恋ってものが難しい。
詳しく言えば、片思いというものが難しい。

「人を好きになるのは素敵なこと」という意見あるが、
それに賛同も否定もしない。
別に人を好きであろうとなかろうと、その人自身の価値が下がるわけでも上がるわけでもないからだ。

ただそれによって、多かれ少なかれ人生に何らかの波動が及ぼされるのは事実だ。

生活の刺激となり、自分磨きをしたり、
恋愛ソングに自分を重ねてみたりすることは、
淡々と生きていくよりかは、芸術的なのかもしれない。

ただ、芸術を生み出すには、心の消耗が必要不可欠だ。

有名な音楽家も、振り返ってみれば数多の恋路が記録され、
片思いの相手、恋人、妻などに曲を捧げてきた。
時には、恋に翻弄されて朽ち果てた人物もいる。

それはきっと現代人にも言えることで、
例え芸術家でなくとも、心を擦り切れさせて生きているのだと思う。

そんなこんなで前置きが長くなったが、
人を好きになることで、人生が潤いもすれば思い悩むこともある。

私は大方、前者30%、後者70%の感覚で生きている。

確かに恋によって人生が潤っていると感じることもある。
ただ、苦しみが多いのもまた事実だ。

連絡が来てほしい。
連絡が来て欲しくない。

もっと知りたい。
何も知りたくない。

嫉妬なんてしたくない。
それなら関わりたくもない。

だから逃げ出したくなる。

こんな苦しみに押し潰されるくらいなら、
こんな気持ちを抱きたくなかった。
とても辛くて、苦しい。

私が男女関係なく友人のことが大好きで、
出来ることならその関係性を維持したいと思うのは、
そういった苦しみを味わうことなく幸せでいられるからかもしれない。

男女の意識がなかった少年少女のあの頃から、成長しきれていない。

私は一度自分の恋心に気づいてしまうと、その相手が近くにいようとなかろうと
常に胸が苦しく、生活に緊張が伴う。
何も手につかなくなるのだ。

仕事に集中していても、ふと相手とのやりとり、言葉、声が思い起こされる。
そうなると意識が削がれ、胸元がきつく締め付けられる。

だから嫌なんだ、片思いは。

それを超える何かが起きてくれれば、忘れることが出来るのに。

でも、こんなふうに逃げる自分と決別したいという気持ちもある。

私は今まで片思いから逃げてきた。
今までお付き合いしてきた人も、全て相手からの好意が先行していた。
もちろん相手からの好意は嬉しい。ただ、それもある種、安全な道を辿っていた表れなのかもしれない。

片思いをしていた相手と仲良くなり、
一緒に電話をしたり、遊んだことももちろんある。

だが、いつも自分から逃げていた。
告白することもなかった。
ただただ怖いのだ。
自分が発した言葉によって、これまでの関係が破綻することが。

そうなるくらいなら、自分の気持ちに蓋をして、
最初から何もなかったことにしてしまえばいい。
この気持ちが存在していたことは、自分だけが知っていればいい。

そういった考えのもと、20年余りを生きてきた。

だけど、もう私もいい大人だ。
そんなことで何が生まれるのか。

あわよくば、相手からの進展を望んでいるくせして、
自分の中で消化しようとする行為に惨めさを感じる。

成長しなければ。

だが何から始めればいいのか。
分からない、分からない。

恋というものが分からない。
そこに憧れを抱く自分も。
分からないのに片思いしてしまう現状も。
他人の恋バナに心躍るのも。
そもそも人はなぜ恋をするのか。
なぜ誰かと添い遂げることに美徳を感じるのか。
分からない、分からない。

掃き溜めのように黒々とした何かが溜まっていく。

恋というものが難しい。

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