役員を辞めてみた! 新しいチームの在り方実験 ~組織編~
根岸です。どうでもいいのですが、ほぼ日大好きです。
前回は「事業編」の実験についてでした。今回は「組織編」です。
事業と組織は両輪の掛け算で成長するもの。オフライン前提からオンライン前提に時代が変わったから、事業だけでなく組織も変わってしかるべきだよねって思ってて、何がどう変わったか考えてみた。
オンライン前提時代以前の「働く」を取り巻く環境
インターネットが普及する前は、リアルが前提だったよね。画一的な価値観でみんなが生活していたんだ。良い学校を出て、大きな会社に入る。一度入社したら転職なんて裏切り行為で、骨をうずめる覚悟で定年まで。会社の成長のためにまずは計画を練って練ってネルネルネ。八つ当たり的に計画のダメ出しを食らっても、個人の意思はグッとこらえて上意下達。厳しい上下関係に歯を食いしばる。巨人が負けた翌日は部長に話しかけるな、が合言葉。自己の価値観と違ったとしても、それでも第三者である社内で評価されるために、そして、昇格・昇給を夢見て、毎日、満員電車に揺られる日々を過ごしていた。
転職がご法度? 一社に骨を埋める覚悟? 社内で偉くなることだけを目指す? いまでこそ考えづらい価値観だけど、「24時間戦えますか」がトレンドワードになるほど、皆そうだった。
でも、それは不幸どころか、むしろ幸せだったんだ。
経済成長著しい国だったし、まだまだ「モノ」による未来があったし。お金を増やすことが、結果的にいろんな「モノ」が手に入る。資本主義社会で勝ち組になって、35年ローンでマイホームをゲット。一国一条の主になることで、自己重要感も高まったし、自分の周囲もハッピーになれたんだ。本当は、自己の軸ではなく他者の軸で歩んでいるんだけど、そんなことは気にしなくてよかった。少し昔の話だから若い人は分かりづらいかもしれないけど、これ、ハッピーだったんだよ💛 ほんとだよ。
ネット時代以降の「働く」を取り巻く環境
ところがネットが普及して前提が変り始めた。コロナの影響で一気に変えざるを得なくなった。時代背景も変わった。経済大国というポジションを以前ほど示せなくなった。経済成長は踊り場を迎えたよね。以下の山口さんのツイートのとおりで、フィクション劇場はエンディングを迎えそう。というより、本当は心の奥底でみんな気づいていたでしょ。この10年ほどノンフィクションというフィクションで踊ってたことを。(満員電車って乗る価値を感じているのは、きっとチカンだけです)
出発点が変わるから、何もかも変わる。新聞依存の情報取得から、誰でもいつでもいろんな情報を得られるようになった。世界が保有する情報量は、直近2年程度で50%を占めるらしい。そのくらい情報が増え続けていることもあり、多様な価値観があることを知る機会が広がった。「人生100年時代」「少子高齢化」「産業寿命の短命化」などの背景もあり、資本主義的右肩上がりのフィクションは通用しなくなっちゃった。
だから社会は、個人の多様な価値観という自由を許容するという大義名分の代わりに、民衆を守る責任を手放している。その結果、個人は第三者の評価軸で生きる必要がなくなり、自分の軸で決断できるようになった。いや、なっちゃった。ポジティブなようにみえて、それは、幸せが崩れる瞬間になってしまった。
軸が変わったひとつの証として。
所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる調査
国民総幸福量
みたいな調査や尺度の結果に表れているし、そもそもこういった軸での調べる行為が発生していることそのものが示している。資本主義なら、億万長者は誰だ!家の大きさはどうだ!高級車だ!ダイヤモンドは何カラットだ!でラクチンだったのにね。
誰かと優劣を比較することで、幸せの基準としてきたところが多分にあるからね。無意識的に「第三者(社会や会社)の価値観」をベースに頑張ってきたのに、急に絶対的価値観が求められた。
優劣比較の相対評価で自己重要感を味わったり、失ったりしていたのに、「自分で決めていいよ。責任も持ってね。優劣?そんなのないし。オンリーワンだし。YOU好きにやっちゃいな!」と投げつけられたんだ。絶対軸がない場合は、心の拠り所が急に分からなくなっちゃっている。無意識的に。潜在意識的に。不明という恐怖でしかないよ、もう。
だってさ、通信簿、受験合格、内定など、優劣の比較の中で育ってきたからね。それがフツーだから、別に意識的に考えることもなかった。だから、何か絶対的な軸があるか、あるいは、優劣の比較が自分の軸だと言い張れるケースを除いては、自由という闇に突然放り込まれたんだよ。個人の自由という名の、不安社会誕生です。
自由は自由を奪うことがある。アラブの春がそうだが、わずか数年で、希望は絶望に変わった。自由を求めた結果、自由が利かなくなってしまった。私見だが、貧困不満やうらやましいという人間感情を抱えた「優劣の比較」がそうしていると感じている。※詳しくは調べてね、ご自由に!
優劣の象徴をいかに削り、個性を組み合わせるか
冒頭に記載したとおりで、事業と組織は両輪の掛け算で成長する。それは前提が変わっても変わらないと思う。ただ、前提がオフラインからオンラインに変わったことで、中身は変える必要がある。
共通する着地のひとつが並列関係(フラットな関係)という仮説。目に見える上下関係を失くすことで、
・ひとつの組織/チームなので、共通のゴールを持つことを前提に
・個人が絶対的価値観で、自分のありのままでイキイキできて、
・個々が持つユニークさを、流動的に組み合わせながら、
・凸凹な個人の集合体として、チームの総合力を上げていく
「別に役員辞めなくてもいいんじゃね?」とも考えた。でも、前回の事業編に書いたとおりで「どんなに言葉で語っても、実態が伴っていないとなかなか浸透しない」ことはあり得るし、実験の穴になりかねない。やるならいっそのことヤッてしまえーーーと。
その結果、どうなるか。まだ全然分からないけど、いろいろ細かいところも実験しながら進んでみるよ。じゃーね!
事業と組織の両方を合わせた実験テーマは「優劣の排除」で、「優劣を社会から失くしたらみんなハッピーになれる」の仮説検証。
・前提がオンラインになった
・事業と組織の両輪の掛け算で成長することは変わらない
・事業も組織も中身は変化する必要がある
・いきつく仮説が、フラット(並列な関係)
最後に
最近のほぼ日での「今日のダーリン」の一部を引用させていただきます。
じぶんでなんでもできる、というのは、いまの時代には、よいこととはされにくい。もっと上手にできる人の手を借りたり、ふつうに売っているものを利用したりするほうが、よっぽどいいということがあるのだ。それは手間が省けるというだけでなく、じぶんが最もうまくできて、しかも人から望まれている仕事のほうに、じぶんの時間を費やせるということでもあるのだ。
早い話が、材料を入手してパン生地をまるめて、パンを焼いて食べるよりも、ちょっと歩いてパンを買ってきたほうが都合はいい。たいていの場合は、かかった費用だって市販のものを食べるほうが安くなることだろう。じぶんは、いちばん得意なことをする。それが、いわゆる「稼げる」ことになるし、人からも求められていることでもある。これがいまの世の中の原則になっている。
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今後については、適宜レポートしていこうと思う。この実験を、これからの新しい経営のカタチである「スマート経営」のバージョンアップに活かしていきたい。