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最善を目指して600年変わり続けた大帝国―小笠原弘幸『オスマン帝国』


1.安定と繁栄のための「兄弟殺し」

「人間の選択」の面白さが体感できる一冊だ。オスマン帝国の歴史がこれほど学んでて楽しいとは思ってもみなかった。

主人公はオスマン帝国。現在のトルコあたりを中心にアジアやヨーロッパ、アフリカを股にかけ600年にわたり栄えた大国だ。この帝国のはじまりから終わりまでの軌跡を書いた本である。

国家が600年以上続くためには、多少の内紛がときにあっても基本的に「安定」していなくては長続きしない。オスマン帝国には国を安定させる仕組みがいくつもあった。その仕組みが独特だ。

例えば「兄弟殺し」がある。新しいスルタン(王)が即位する際、同じように後継者候補だった自分の兄弟とその子を殺してしまう。こうすることで自分に不満がある人々が、別の王族をかついで反乱を起こすことを防ぐのだ。

なんて非道かと思うかもしれない。しかしオスマン帝国はこれなくして存続することはなかった。兄弟同士の内乱で弱体化した王国はいくつもあるが、事前に兄弟を殺しているオスマンには無縁だったからだ。

またオスマンは、ムスリム(イスラム教)国家でありながら非ムスリムの人々との共存を図り、事実上の多宗教かつ多民族国家であった。

この共存の姿勢の表れが、キリスト教の子供を徴用して育成し人材登用するデウシルメであり、その制度で登用された人々で構成されたイェニチェリと呼ばれる軍隊である。

このようにオスマンには同時代のヨーロッパやアジアの国家ではあまり聞かない独特の仕組みや構造があり、それが国の長い繁栄と安定に繋がったのだ。

2.最善も完璧も存在しないからこそ変化が必要

しかしオスマン帝国の歴史は「最善の選択は永遠に最善ではない。そしてこの世に完璧な選択は一つもない」ということを教えてくれる。それが僕にはたまらなく響いた。

再び「兄弟殺し」を例にだす。倫理的にどうかはさておき、王族内の争いで滅びた国はいくつもあることを考えると、事前に争いの火種を消すことは国の存続を図るには合理的である。つまり最善の選択なのだ。

だがこの慣習は後に撤廃される。兄弟を全員殺してしまうと、スルタンの子供がちゃんと生存していないと後継者が不在になるからだ。

実際にオスマンでは後継者の問題が生じたこともあった。よって後継者たりえる王族は殺すのではなく、万が一にそなえて鳥籠という居住空間に半分軟禁されることになる。これも王家の滅亡を防ぐ最善の選択だ。

しかし「兄弟殺し」をやめたということは、現スルタンの代わりとして担ぐことができるスペアがいることになる。その結果、スルタンも交えた権力争いの末にスルタンを交代させるパワーゲームが何度も起こることになる。

「兄弟殺し」をすることもしないことも、国を残すための最善の選択であったはすだ。そして間違いなく選択した瞬間は国のためになった。でもその選択が後に国を危うくすることになる。

最善が永遠に最善であることはないし、最善にも必ず穴がある。完璧な選択は何ひとつないのだ。それでも当時の人間たちは最善を信じて選択している。

そしてこの「兄弟殺し」の撤廃は、かつて最善と信じていたとしても、それを変える柔軟性がなければこれほど長く帝国を維持できないことを示している。最善も完璧もない。だから人間には変化が必要なのだ。

歴史は人間が作るものだし、だからこそ彼らの選択は賢かったり愚かだったりする。それは自分たちの鏡でもあるはずだ。だから歴史を知るのは面白い。

この記事では「兄弟殺し」を軸に話をした。オスマン帝国の他の政策にもこのような「最善だけど最善じゃなく完璧でもない」選択の例がいくつもある。ぜひ本を読んで「人間の選択」の面白さを体感してほしい。

小笠原さんの著書に関する書評はこちら。

◎『オスマン帝国英傑列伝』

◎『ケマル・アタテュルク』


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