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歴史を使いたいトルコ、使われるオスマン―小笠原弘幸『オスマン帝国英傑列伝』


1.列伝にひそむ隠し味が楽しみ

帝国の長い歴史にひとかどの人物あり。歴史を学ぶとき、流れや出来事から入るよりも人物から入った方が頭に入る人におすすめだ。

オスマン帝国は、現在のトルコを中心としてヨーロッパやアジア、アフリカにわたる領土を持ち600年栄えた。その長い歴史を10人の人物を通してひも解いていく。

僕は列伝の形をとる歴史の本が好きだ。どの人物を選んで語るかに著者の個性が宿るからである。サッカーでいうベストイレブンをどう選ぼうかという話と同じだ。

この本も著者である小笠原さんの個性が出ている。とはいえこれはオスマン帝国の歴史を解説する本である。歴史学者として自分の好み100%で取り上げる人物を選ぶわけにはいかない。

選んだ10人を分類すると「スルタン(王)」、「女性」、「芸術家」、「帝国の幕を下ろした男(ムスタファ・ケマル)」に分かれる。

この中で特色があるのが「芸術家」だ。学校で歴史を学んでいると芸術を含む文化は、歴史の本筋として扱われない。小笠原さんは10人のうち芸術家を3人取り上げている。なぜだろうか。

以前まで研究ではオスマン帝国の学問や芸術は低く評価されてきた。特にオスマンと同じムスリム(イスラム教)王朝と比べてである。

近年その評価は払拭されつつあるが、未だに低評価の認識が通っているのも事実である。だからこそオスマンの芸術家を取り上げたのだ。ここに小笠原さんの強い意思が入っており味がある。

列伝本といえば出口治明さんの『世界史の10人』は名著である。

彼が他に何冊も書いている通史本は、それを読むなら普通に学者が書いてる本を読んだ方がいいと思ってしまうものだ。でもこの本は別である。

出口さんの何の遠慮もない偏愛が詰まっており一番味つけが濃い。列伝は嘘さえ書かなければ、比較的自分の好きなように歴史を語れるのが良さだ。その良さがこの本は存分に出ている。

2.トルコが抱える不都合すぎるオスマンの真実

今のトルコにとって、オスマン帝国が積み上げてきた歴史をどう扱うかは非常にデリケートな話だ。

なぜなら現在のトルコ共和国はオスマン帝国を否定する形で建国されている。建国者のムスタファ・ケマルは、多民族かつ多宗教のオスマン帝国へのカウンターパートとしてトルコ民族主義を掲げて国民をまとめたのだ。

従来、トルコにとってオスマン帝国は負の歴史であり肯定しがたいものだった。ところが時代は流れ、オスマン帝国の輝かしい歴史をトルコのものとして肯定する見方が市民権を得るようになる。

エルドアン大統領はイスラム的価値観を重視し、ムスリム国家であるオスマン帝国がトルコに残した遺産を強調している。自らをコンスタンティンノープル(現・イスタンブール)を陥落させたメフメト2世と重ねてるという話もあるくらいだ。

トルコの偉大さや歴史の深さを誇るにオスマン帝国の歴史はもってこいだ。近年はドラマの題材にもなっている。しかしその歴史は必ずしもトルコ人にとって都合のいいものではない。

例えばオスマン帝国のスルタンの母親の多くは様々な民族出身の奴隷だった。メフメト2世も非トルコ系民族のキリスト教徒が母親である。

ところがトルコは民族主義から成り立っていたため、自国が生んだ偉大な王の母親がトルコ系ではないことに不都合を感じる者も少なくはない。そこで実は彼の母親はトルコ系ではないかという説が唱えられたこともあった。

「オスマンのミケランジェロ」と呼ばれた大建築家のスィナンは、トルコ民族の英雄とされている。しかし研究ではどの民族の出身か未だに判明していない。

トルコ民族の英雄であるからには、彼がトルコ民族でなければならない。そう考えた人たちがいた。そのためトルコ民族であることを証明するために、資料の捏造や墓を掘り起こして頭蓋骨を鑑定するといったことも過去には行われている。

歴史を使いたい者が実際の歴史をどのように捉えて取捨選択するのか。トルコではその様子を現在進行形で観察できる。

そしてこれは他人事ではない。自分の言いたいこと、やりたいことのために都合よく歴史をつまみ食いして活用してないか。政治家、経営者、そして自分たちにも常に言い聞かせるべき話がトルコとオスマン帝国の関係には眠っている。

小笠原さんの著書に関する書評はこちら。

◎『オスマン帝国』

◎『ケマル・アタテュルク』

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