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史実だからこそ描ける悪魔の伏線―こざき亜衣『セシルの女王 6』


1.綺麗な和解のオモテとウラ

 明るさの底に重低音が暗く、暗く鳴り響くような一冊だ。

 昨年も今年も『セシルの女王』は僕が一番おすすめしたいマンガだ。誰にでもすすめたい。買わせたい。

 ヘンリー8世の5番目の妻、キャサリン・ハワードの処刑からはじまる6巻は「家族」が大きなテーマである。

 ウィリアム・セシル(以下セシル)は身分を理由に反対する父・リチャードを押しのけてメアリ・チークと結婚した。誕生した男子には尊敬する大政治家トマス・クロムウェルからとってトマスと名付けた。

 トマスの出産後も体調が戻らないメアリの治療やトマスの養育も含めセシルはリチャードに支援を願うも拒否される。ただし、メアリの実家・チーク家と縁を切ればトマスを嫡男として歓迎すると言われてしまう。

 そのときは物別れに終わったが、メアリがすぐに病気で亡くなってしまう。セシルはチーク家の承諾を得てトマスを自分の実家で養育させてもらうよう頼みに行く。トマスの姿を見たリチャードは涙を流し父子は和解にいあたる。彼らの相剋は綺麗なまでに丸くおさまったのだ。

 だが本当に綺麗だったのだろうか。リチャードからすればトマスを孫として歓迎したい。でもトマスの母・メアリの実家とは近くなれない。極端な話、セシルの子はほしいが結婚はなかったことになってくれたら最高だ。でもそんな都合いい話はない……はずだった。

 だがメアリの死で事態は一変する。セシルとトマスは以前ほどメアリの実家を頼りにくくなる。結果、リチャードからすればトマスをメアリの実家から距離を置かせた上で孫として認めることができ、セシルと和解もできた。

 あの綺麗な和解はメアリというある意味「邪魔者」の死によって演出されたものではないか。

 トマスを嫡男と迎え入れると宣言したリチャードは、すぐ再婚をセシルにすすめている。子供を育てるのは一人で大変だという親心からだ。

 しかしだ。もしその再婚相手がリチャードのお眼鏡にかなう人物であり、セシルと彼女の間に男子が生まれたとしたら?リチャードは己が認めなかった結婚相手との男子と認めた結婚相手との男子、どちらを大事に扱うのだろうか。嫡男とするだろうか。

 これらはセシル親子の感覚に問題がある話ではない。当時の身分制度、社会構造、慣習からすれば導き出される必然である。だからこの作品でも過度に問題視する描写がなく、読者の感性にたくしている。本気で歴史ものを描くなら、物語内にて現代の価値観を反映させる人物や描写はノイズだからだ。僕も歴史好きとしてそういう描写は確かに勘弁してほしい。

 だから重低音なのである。なんてことない「いい物語」の底に残酷な伏線がずーっと読者の心に鳴り響いている。『大奥』を描いたよしながふみさんは、佐久間宣行さんとの対談で次のような話をしている。

歴史もののいいところは、本当にあったことなので思い切りよく描けるというか。

メロディ特集 第1回 「大奥」よしながふみ×テレビ東京プロデューサー・佐久間宣行対談

 セシルの最初の結婚と親子関係、これらにまつまる物語は出来すぎなくらい明るく、残酷で、綺麗だ。でもこれは事実に基づくからこそ描けたものなのである。

2.人間になりたかった王

 並行して国王ヘンリー8世と家族の物語も進んでいく。ヘンリーの在位中にエリザベスの王位継承権を復活させるため、自分の協力者をヘンリーの元に送り込みたいセシル。家族を作ることができないまま未亡人になった己の生きる意味を「家族を再構築する」ことに見出したキャサリン・パー。懐疑心による孤独から抜け出したい国王ヘンリー8世。皆の利害が一致し、キャサリンはヘンリーの6番目の妃となる。

 パーは見事にヘンリーの心の隙間を埋め、彼の娘であるメアリとエリザベスの王位継承権を回復させることに成功する。息子のエドワードを含む3人の子供とヘンリーの4人のハブのような立ち位置で王家を「家族」として再構築していく。

 パーと結婚したヘンリーの姿を見て、僕は5巻で描かれた彼の4番目の妃であるアン・オブ・クレーフェとの離婚を思い出した。

 誰とも愛し合うつもりがないし子供を産むつもりもないアンは、ヘンリーの愛人だったキャサリン・ハワードに王妃の座を譲ると持ちかけ、身元の保障を条件に離婚を成立させる。そればかりかヘンリーから「王の妹」と呼ばれる立場に遇されたのだ。

 僕はヘンリーがアンに「人間」を見たと考えている。王宮に集う人間たちは、誰もがヘンリーを絶対頂点とするパワーゲームの土俵で踊るピエロでしかない。そしてまたヘンリー自身も頂点で踊るピエロそのものである。そんな世界で自らの意志で土俵で踊ることを拒絶し、人間として生きることを選択したのがアンだったのだ。

 国王である以上、ヘンリーはアンのように土俵を降りることはできずピエロのまま生涯を終えるだろう。だとしても彼はパーと出会いをきっかけに「人間」に少しでも近づこうとしている。

 ヘンリーの人生はだんだん終わりが見えてきた。彼が残りの人生で何を残すのか。そして人間として生涯を閉じることができるのか。彼のこれまでの所業を考えるとそううまくいくとも思えない。しかしその結末を知っているのは「史実」だけだ。史実と作者による悪魔のような伏線に期待したい。

 今巻もキャサリン・ハワードなど登場人物の死がいくつか描かれており、決して軽い巻ではない。しかし前巻や前々巻と比べるとパワーゲームの激しさはおさえ気味だ。

 僕はこの作品を勝手に「英国版『鎌倉殿の13人』」と銘打って周りにオススメしている。鎌倉殿にもあまり激しくない回があった。そしてそういう回の後に限って血を血で洗うようなパワーゲームが訪れるのだ。『セシルの女王』はどうだろうか。次巻もわくわくが止まらない。

【本と出会ったきっかけ】
 大好き。ずっと大好き。

3.参考資料

◎まるで英国版『鎌倉殿の13人』!今、『セシルの女王』がおもしろい(つじー)
 既刊4巻時点で作品を大大大おすすめした記事。

◎パワーゲームを降りる者、降ろされる者、戦う覚悟を決める者―こざき亜衣『セシルの女王 5』(つじー)
 5巻の書評。ヘンリーとアンの関係にフォーカスしている。

◎メロディ特集 第1回 「大奥」よしながふみ×テレビ東京プロデューサー・佐久間宣行対談(コミックナタリー)
 本文で引用した対談記事。セシルまったく関係ないけど非常に面白いのでおすすめ。

◎なかよし餃子エリザベス すすきの店/西18丁目
 Xにて歴史好きにちょっと話題になった北海道札幌市の餃子居酒屋。エリザベスの看板が特徴のおいしいお店だ。セシルの女王の公式も食べたそうにしていた。

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