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違うものには違うと、明確にNoを突きつける強さを

今から1年以上前、独立してから8ヶ月間ほどが経ち、友達と飲み屋をふらつきまくってた時にふと聞かれた一言がある。

「独立してから、実際何が変わった??」

変わったものはたくさんある。そもそも親友と仲直りできたのもそうだし、人間関係のストレスはほぼ無くなった。生活水準は下がったし当時は貯金だけで生きてて月の収益なんて前職時の4分の1にまで落ちてたし。

筋トレして体つきも変われば住む場所も交流関係も変わった。むしろ変わってないものってなんだ性格くらいか。

そんな中であえて「ストレス」という側面に触れるのであるならば「好きなものは好き」「嫌いなものは嫌い」と言えることに対しての開放感は確かに大きいものがある。

今回は「違うものは違うよね」というお話。

「違うと感じた事」に対して明確にNoを突きつける。

アタリマエのことなのかも知れないけども、僕は独立するまでこんなことすら出来なくなっていた。

人は何も意見を言わないでいると自分自身の気持ちすら簡単に忘れてしまうものなのだなぁとふと思う。

いつからかわからないけども、少なくとも独立直前の自分は「違う」と思ったことに対しても「違う」とは言わず。すべての人に当たり障りなく「上っ面の共感と同意」を繰り返して生きていた。

相手のことを否定しないというのは悪くないことだと思うけども、どっちつかずで中途半端な意見を保とうとしていた。

前職時代の経験はさておき、問題としてはそういう過ごし方をしていると「自分が何が正しいと思っていたのか?」すら感じられる事が少なくなっていたなぁと今ならばすごく感じる。

〇〇だから仕方ない、☓☓だからこういう回答をするしか無い。

その場に応じての回答をすることは大事だし、嘘も方便だとは今の自分も思うんだけども、自分を見失って何が嘘なのかすら感じられなくなっていたのは自分で自分の心を消し去っていたからだろうなと。

人の適応能力って凄いから、何も言わないでいるだけで何も感じない人間になっていくのだなと思う。(といっても心は嫌がってたが)

優しい人間で有り続けるためには現実的な強さが必要だ

世の中には「嘘はつくな!」「常に自分に正直であれ!」という言葉がもてはやされることが多いし、実際に僕もそうしたほうがいいとは考えているんだけども、その生き方をするためには「現実的な強さ」が必要になる。

例えば、会社に勤めていて日々の生活費をその会社から頂いているのならば、当然やりたくない仕事をやらないといけないことだってあるだろう。

無理に波風立てないように業務を進めることもあれば、部下や上司の機嫌を伺うこともあるかも知れない。

別にビクビクしてるとかじゃなくてその方が業務が円滑に進むのならばその選択肢を選ぶのは何もおかしいことじゃない。

だからといってフリーになったら開放されるのか?というとそうじゃなくて、結局仕事を取れなかったとしたら、嫌な仕事だってやらないといけなくなることだってあるだろう。

取引先から切られたくないという感情が先行すれば多少無茶な納期でも仕事を請け負うことがあるのかも知れない。

収益面だけで今回話したけども、世の中には「自分の意見はちゃんと伝えて、自分の感情を理解しつつも、相手にも納得してもらえる話し方や伝え方」が出来る人もいるわけで。そういうスキルも一つの強さだ。

我を通す、正直であれ。というのは素晴らしいことではあるけども、本当の意味で好きなことをして生きていくには「現実的な強さ」が必要なわけだ。

優しいことは素晴らしいことだけども、力なき優しさは自分の身すらも守れない。

素直に生きようとすれば必然的に強くなれる

ここまでの話だけを見ると「スキルも経験もないやつが好き勝手生きたいなんて甘えたこと抜かすな!」と聞こえるかも知れないけども、僕が伝えたいことはそうじゃない。

「素直に生きようとすれば必然的に実力が求められるようになる。だから強くなりたいならば素直に生きていれば勝手に強くなるよ」ってことだ。

結局好きに生きようとしたらどうあがいたって人生において何かしらの選択肢が現れる。

目の前の仕事が別にそこまで好きじゃないだけども嫌いじゃない仕事ならば、生活費の観点から請け負うか?拘りを持って断るか?の選択肢が生まれる。

断るにしたって他で生計を立てる力がなければ、一旦その仕事を請け負って、生計を立てる力をつけるのも1つだ。

何かに対して、空気を読むこと無く「僕は行きたくないので行かないです」「やりたくないことはやらないです」と伝えるにしたって伝え方で自分の大切な人に嫌な思いをさせることに繋がるならば、話し方や伝え方を磨こうと思うようになる。

好きに生きたいならば強くならないといけない。という現実は

好きに生きようとしたら強くなれる。という可能性を秘めている。

違うものには違うと、明確にNoを突きつける強さを

僕が実際に独立して強くなったのか?といわれると筋力面以外は正直なんとも言えないところなんだけど、それでも「違うものは違うよね」と明確に言えるようになったことは変わったことだし、良かったことだったと思えている。

冒頭で話した友人と飲んでいる時に「違うものが違うと言える開放感はあるよね」と話したら

「それさ・・・今までお米を食べたことが無い子供が初めてお米を食べた時に『お米って美味しい!!』って言ってるくらいの話だよww」

なんて言ってたけども、確かにそうかも知れない。久しくお米を食べてなかったから(素直になってなかったから)味もわからなくなっていたのかも。

力がないから素直になれない、正直になれない、自由に生きられない。コレは確かに事実だ。

だけども素直になろうとして無かったから実力も力も身につかないなんて側面だってあるのかもしれない、少なくとも僕はそうだったと思っているし

これから生きていく上で意識ができる限りは「違うものには違う」と言える状態の自分であり続けようと思う。

違うものには違うと、明確にNoを突きつける強さが欲しい人に必要なことは、まず自分が素直に生きようと動き始めることなのかも知れない。



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