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私はセリヌンティウスになりたい


最近のマイブームは
隣人の幸せと健康を願うこと。

安全で穏やかな日々が
今後も末長く続いていくように。
荒波のない凪のような
穏かな人生を過ごせるように。


辞職したころは鬱陶しかった
友人たちの幸せアピールも、
今では日常のささやかな幸せになった。

Instagramは毎日誰かの幸せに満ちて、
私が付け入る隙を与えない。


中学の頃にいじめられていた
ぽっちゃり体形の同級生は
大人になるにつれ痩せていったし、
今は愛娘の成長を日々投稿し続けている。

バンド仲間の知り合いだった
他校の同級生たちも、
いつの間にか立派な親になっていた。

疎遠になっていた同級生の投稿は
お洒落なディナーの写真が減っていき、
今は子どもの寝顔と犬の写真ばかり。

後輩も恋人との旅行や
外食の様子をよく投稿する。

独り身の友人たちも、
ペットとの何気ない一枚や
趣味を全力で楽しむ様子を
毎日のように更新していく。


最近はそれが愛おしくて仕方がない。
永遠にそのままでいてほしい。

私の幸せはどうでもいいから、
周りの隣人が少しでも長く
幸せな時間を過ごせるようにしたい。


困っているなら手を差し伸べたい。

眠れないと悩んでいるなら
眠れるまで付き合ってあげたい。

それで私が眠れなくなっても良い。
私の分まで健やかに寝てほしい。

運動が続かないと言うのなら
私も一緒に運動しても良い。

運動は嫌いだけど、
二人で一緒ならきっとできる。

酔っぱらって寂しくなったら
いつでも電話をかけてきて良い。

誰にも言わないし、
酔っぱらって電話したことを
忘れてくれたって構わない。

悩みごとの相談でも、
何かに対する愚痴でも、
満足するまで聞いてあげたい。


「自分を愛するように
あなたの隣人を愛しなさい」
とイエスは言ったけど、
自分のことは二の次で良い。


昔は遠回りしてでも
友達を家まで送った。

「女の子が暗い時間に
外にいるのは危ないから」
と優男のようなことを言っては
「アンタも女でしょ」
と母親に怒られた。

仕事もそうだった。

私の休憩時間はなくても良いけど
パートさんや年下の子たちは
私の分まで休んで欲しかった。

私の周りの全ての人が
幸せに過ごせることが幸せで、
それを作る事が嬉しかった。


「何かあったら何でも言って」
という自分の言葉は
いつしか足枷に変わって、
みんなは私を
「ねえさん」
と呼ぶようになった。

「ねえ」という名前は
私にかかる優しい呪い。

友達も、先輩も後輩も、
飲み友達も、ゲーム仲間も、
誰も私の名前を呼ぶことはない。

私のことを名前で呼ぶ人は
数人の親族しかいない。

でも、それで良い。

私を名前で呼ぶ人が
現れるのを待てば良いし、
そんなイイ人がいるなら
まだ独身の友達に紹介したい。


正直なところ、
私は誰かのセリヌンティウスになりたい。

「三日間人質になってくれ」
と無茶言う親友の頼みに対して、
無言で頷いた後ハグで返した
最高にかっこいい人。

自分も危険に曝されるのに、
最後まで親友を信じ抜いた人。

そんなスマートで頼れる
かっこいい人に私はなりたい。


初めて『走れメロス』を読んだ時、
授業中なのに泣いた記憶がある。

親友を信じ抜く2人に対して
めちゃくちゃ感情移入した。

「がんばれ」「めげるな」
「大丈夫」「必ず来るよ」と
まるで自分も登場人物のように
ハラハラしたし、ラストに
「2人とも良かったね…」
「王様も寂しかったんだね…」
と泣いた。


処刑されようとしている親友に
「代わりに人質になってくれ」
と言われたら、
私は無言で承諾できるだろうか。

現代で言うなら、
仕事の締め切りが近いのに
「旅行の間ペットを見てくれ」
「ちょっと子供の面倒見てくれ」
と言われるようなものだ。


「いやー、ダルいなぁ」とか
「こっちにも予定ってもんがさぁ」
とかつい口走りそうだ。

いや、面と向かっては言わないか。
二つ返事でOKする。

「おっけー!いいよいいよ!
楽しんできなよ!
気を付けるんだよ!」
って絶対言うな、私なら。


あれ、じゃあ私は既に
セリヌンティウスなのでは。

メロス!!
いつでも頼ってくれていいからな!
妹の結婚おめでとう!
お前も幸せになるんだぞ!!



ねえ




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