同調圧力という言葉

(あくまで私個人の偏った意見となっております。エビデンス、きれいな言葉をお求めの場合はお控えいただいたほうが良いかもしれません)

私はあまり同調圧力という言葉が好きではないのです。
先入観ではありますが、どうもこの言葉が使われるときは誰かを否定するときに使われるような気がするからです。

ま、そりゃ圧力って言葉を生命に対して使うときにいい意味ないですよね。


どんな時に同調圧力を感じるのか
意見を言いにくい、周りがやってるからやらないと人の目が…といったとかそういう人の目を気にしなければならない息苦しさの原因を同調圧力と言っているのでしょう。

確かによくわかります。
私も小さいころから周りの目ばかり気にして生きてきました。
周りのイメージを壊したくないからと本音を言えない、自分のキャラクタを表現できず苦しい時期もありました。

特に正社員じゃないとか、働いていない、そのあたりは自分への否定感があります。
誰に否定されなくても相手もそう思ってるんだろう、正社員が常識だ、なんていまだに自分でも思ってしまいますよ。

あぁ、そんな年齢や職業で見る目が変わることなければ、もっと自分らしく自由に生きられるのに…
なんて幻想を抱いたりしてしまいます。

自分がどういった時それを感じるか書きだすと、結局自分の思い通りの環境だったら心地よい、そうでないからそれはよくないものだったと言ってるのではないかと気付きました。

結局この同調圧力という言葉を極端に使うって、わがままを正当化してるだけなのではないのでしょうか?


否定の同調圧力
今度はその言葉を使って否定をする方々の視点を考えてみます。
同調圧力って言ってる方はどこからその情報を仕入れているんだろう、と疑問に思いました。
事象を目にして自分の頭で考えてその結論を導き出せた人ってどれくらいいるんでしょう。

有名な人がこう言ってるから、先駆けた人がこう言ってるから。
SNSが発達して誰もが考え方を発するのはいいです。
でも鵜呑みにして便乗してないでしょうか?

その方々があの人が言ってるから自分は正しいと思う、こう言えば自分は分かってると評価されると思ってるかどうかは知りません。
でもこの風潮に流されるなら、それもまた同調圧力の一種なのではないでしょうか。

ブームに乗って使ってる、流行語のように捉えてる人もいる気がします。
みんなブームとか好きなのに、生き方の話になると途端に否定的だったりするのにびっくりします。


結局善なのか悪なのか
私は周りに支配されない。これが私の生き方だ!と、誰もが好き勝手生きたらそりゃ社会はめちゃくちゃになりますよね。
町中ゴミだらけ、マナーも何もなく、みんな偉そうに主張ばっかり。
想像するだけで地獄絵図です…

社内、町内、グループ中にはルールがあり暗黙の空気もあります。
それでお互いぶつかり合わないで来れた部分が確かにあるはずなんですよ。
日本人は本来それが得意だったとか言われています。

元々が同じような学校教育、周りに合わせる生き方をしてきてる。
個が突出するのをよしとしなかった弊害もあります。

でも弊害だけではないはずなんです。
それがなければ一丸となって黙々と働いて勝ち取った日本の経済成長はなかったのでしょうから。
その恩恵の上で生活しているのもまた事実です。

ただし時代が変わってきているのも事実です。
しかし周りに合わせる、周りを尊重する文化って私は好きなんです。
みんなが気持ちよく過ごせるって素敵じゃないですか。

周りを気にせずズバズバ主張できることがいいわけでもない。
相手のいいなりや周りに合わせて、間違った道を容認することがいいわけでもない。

どっちがいい悪いじゃなく、時代の移り変わりに合わせてハイブリッド、いいとこどりでいいじゃないですか。

その言葉の先にはあなたと同じ生きて人生を歩んできた生身の人間がいます。

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